無事に思い出してくれたお姉さん

「……あ~いい風呂やぁ」


 真白さんやフィリアさんよりも早く一番風呂を頂いた。こうして風呂に入るまでに当然の流れとして、真白さんとフィリアさんが一緒に入ろうと言って来たのだがどうにか断ることが出来た。


 真白さんはともかく、フィリアさんにまであんな風に言われるとは思っておらず少しだけ慌てたけれど。


「ふぅ」


 明後日の昼頃には帰る予定でここには二日ほど泊まることになっている。どこかに出掛けたりするつもりもなく、ここに居る間はのんびりしようと真白さんには提案されていた。俺としては別に意を唱えるつもりはなく、フィリアさんも出掛けたりするよりはみんなでゆっくりしたいとのことだ。


「……よし、入ってこないな」


 いつぞやみたいに襲撃を掛けられると思ったがそんなことはなかった。ちょうど俺が風呂に行く時に勇元さんも帰って来たので、もしかしたらここに来ようとしている二人を止めているのかもしれないが。


「真白さんが入院……か」


 少し落ち着くと俺が自然と考えるのはさっきの真白さんの写真だ。元気そうな姿ではあったが、やっぱりあの病院で撮られた写真は気になる。ま、あまり気にしすぎても仕方ないしフィリアさんが話してくれるとのことなので今は我慢しよう。


「そろそろ上がるか」


 普段真白さんは女性ということもあって風呂が長いけれど、反対に俺はそこまで長風呂をすることはそんなにない。真白さんと一緒に入っている時は色々と頑張ってしまって長くなってしまうが一人だとこんなものだ。


 浴室から出て体を拭き、パジャマに着替えてリビングに向かう。


「上がりました~」

「あ、おかえりなさいたか君」


 お玉を手に持ち、エプロンを付けている真白さんは何というか本当に新婚さんみたいな雰囲気を感じさせる。まだ結婚しているわけではないのにこう考えてしまうのは流石に気が早いよなぁ。


「どうしたの?」

「いえ、真白さんが本当にお嫁さんみたいに見えてしまって」


 あ、思わずそのまま思っていたことを口にしてしまった。

 俺の言葉を聞いて一瞬ポカンとした真白さんだが、すぐに体をプルプルさせてから俺に飛びついた。あの僅かな瞬間にお玉を置いたのは流石の早業である。


「うふふ~♪ 何ならいつでも私はたか君のお嫁さんになれるわよ? たか君の同意があれば今すぐにでも――」

「えい」

「いたい!?」


 コツンと小気味のいい音が響いた。いつの間にか真白さんの背後に立っていたフィリアさんが綺麗なお玉で叩いたらしい。叩いたとはいっても優しくだが、真白さんの反応を見る限りそこそこ痛かったのかも?


「イチャイチャラブラブするのは寝る前にしなさい。はい、次は真白がお風呂に行く番よ」


 寝る前って……。


「分かってるわよ。たか君が彼氏になって初めて実家に帰ったんだもの。ちゃんと私の部屋でエッチは決定事項だわ」

「……真白さん」


 フィリアさんも居るし勇元さんも居るんだからハッキリ言わないでください!


「ねえたか君!?」

「は、はい……」


 くぅ、恥ずかしいけれど真白さんとそういうことが出来るのは嫌ではないし寧ろ好きなのだから頷いてしまう。エッチって聞くと破廉恥な意味に取られるかもしれないが、好きな人と体を重ねているあの瞬間は本当に幸せなんだ……って俺は一体何を言ってるんだ。


「それじゃあお風呂行ってきま~す♪」

「いってらっしゃい~」


 手を振って風呂に向かった真白さんを見送り、俺はフィリアさんの傍に向かった。


「フィリアさん、何か手伝い――」

「たか君は座ってていいわよ?」


 あ、このパターンはそういうことですか。真白さんもそうだしフィリアさんもゆっくりしていてって言うんだよな。手伝いたい気持ちはあるけれど、こういう場合無理やり手伝うのも厚意を無駄にするような気がしてしまう。


「たか君は優しいわね」

「いえ、手伝うのは当然といいますか」

「そういうところが優しいのよ~。ほら、大丈夫だから。ね?」

「……分かりました」


 俺は手伝いを諦めてソファに座る勇元さんの隣に腰を下ろした。隣に来た俺を見て勇元さんが苦笑し口を開いた。


「私も君と同じ葛藤を今でもするよ。どうやら妻と真白は好きな相手にはとことん尽くしたいと思う気質らしい」

「……何となく分かる気がします」


 真白さんとずっと過ごしているとそれは良く分かる。とはいっても毎日がそうというわけではなく、一緒に料理をすることもあれば準備をすることもあるし結局は気分なのかもしれないな。


「真白さんとフィリアさんはそっくりですね」

「そうだね。今の真白を見ていると昔のフィリアを見ているようだから」

「へぇ」


 それから少し話をした後、勇元さんが真剣な表情になって言葉を続けた。


「隆久君、昔の写真を見たようだね?」

「あ、はい……」


 昔の写真、その言葉に俺は頷いた。


「あなた、話してあげて」

「分かった」


 えっと……?

 俺を見つめて優しく頷いたフィリアさんから視線を外し、勇元さんと俺は視線を交わす。置かれていたお茶を飲んだ後、勇元さんは話してくれた。


「昔、高校二年の秋だったか。真白は事故に遭ってしまったんだ」

「……え?」


 真白さんが事故に遭った、そう聞いて俺は周りの音が消えてしまった錯覚を覚えた。いや、あの病室の写真からそういうことではないかと予想はしていたけどいざそれを聞くと心が苦しくなる。


「……っ」

「大丈夫よ」


 下を向いた俺を抱きしめるようにフィリアさんがいつの間にか隣に座っていた。俺を落ち着かせようとしているのか頭を撫でてくれる。手の平から伝わる温もりが俺を落ち着かせてくれるのにそう掛からなかった。

 頭を撫でながら抱きしめてくれるフィリアさんの温もりを感じながら、俺は勇元さんに改めて視線を向ける。どうか聞かせてほしい、俺の気持ちを汲み取った勇元さんは続きを話した。


「学校帰り、横断歩道を渡っていた時に真白は追突された。警察に詳しく聞いたけどどうも相手は携帯を見ていたみたいでね。ブレーキは踏んでくれたようだが、真白は意識がない状態で病院に運ばれた」

「……それは」


 ……大丈夫だ。真白さんは死んだりはしてない。ずっと俺の傍に居てくれた。元気に今を過ごしているということは大丈夫だったってことなのだから。だから安心しろよ隆久!


「隆久君は私が大学病院に勤めているのは知ってるね? 当時私は仕事中だった。つまり私は自分の娘が救急車で運ばれてくる瞬間を見たわけだ」

「……………」

「医者として対処しなくてはならない……だが、あの時のことは今でも覚えている。体中の感覚が無くなったと思ってしまうくらいに私は茫然としてしまった。医者としてあるまじきことだよ」


 それは……でも仕方ないのかもしれない。いざ自分の娘が意識を失くした状態で運ばれてきたのなら。


「まあその辺りのことは今はいいかな。今真白が元気なように、あの子はちゃんと目を覚ましてくれた。何かしらの体のどこかに後遺症が出ることもなく、あの子は目を覚ましてくれたんだ」

「……ですよね」


 だから真白さんはあんなに元気なんだから。

 ただと、勇元さんは言葉を続けた。


「目を覚ました真白は記憶を失くしていた。私たちを見た時、誰ですかとそう真白は言ったんだ」

「……あ」


 俺の体を抱きしめるフィリアさんの力が強くなった。俺は自然とその腕に手を当てていた。耳元でありがとうたか君と囁かれ、俺は気にしないでくださいと言ったがたぶん無意識だったと思う。


「真白が私たちを覚えていない、当然君のことも覚えてはいなかった。それを知った時私とフィリアを襲ったのは絶望だ」


 天井を見上げた勇元さんは何を考えているのだろう。俺を抱きしめているフィリアさんは何を考えているのだろう。俺は静かに勇元さんの言葉を待った。


「少しだけ重たい空気になってしまったが、そんな絶望はすぐに消え去った。とはいっても二週間近く真白は何も思い出せなかったが、ふとあの子はあっと大きな声を上げて叫び出したんだよ」

「叫んだ……ですか?」


 暗かった空気を吹き飛ばすように、クスッと笑った勇元さんの続いた言葉に俺はポカンとしてしまった。


「たか君よ、そうよたか君だわお母さんお父さん。あ、おはよう二人とも。確かこんな感じだったかしら?」

「そうだね。あの時は娘が記憶を取り戻した感動よりも、あぁこれが真白だなと私とフィリアは涙を流しながら呆れたもんだよ」

「……ほへぇ」


 つい変な声が出てしまった。

 そしてあの写真の場面に繋がっていくらしい。勇元さんとフィリアさんから悲しそうな雰囲気は最早伝わってこない、逆にそれで当時のそれからを楽しそうに教えてくれるのだった。


「娘の心の奥底にはいつも君が居たようだ。それだけ真白は君のことが好きで、大好きで仕方ないんだなって思ったよ」

「ふふ、そうなのよね~。でも幼いたか君に手を出そうとしたことは許せないから結局あの子が言ったように二十歳まで合わせることはしなかったけど」

「そ、そうなんですね……」


 そうして俺と真白さんが再会する時に繋がるとつまりはこういうことなのか。でも真白さんがそんな大変な時期があったのにどうして俺は忘れていたんだと情けなくなる。今から昔に戻れるなら殴ってでも思い出させたいくらいだ。


「隆久君、君が真白を救ってくれたようなものなんだ」

「そうよね。たか君にその気はなくても、あなたに対する真白の想いがあんなにも早く記憶を取り戻すことに繋がったと思うの」


 それは……どうなんだろう。

 俺自身が何をしたというわけでもないけど、本当にそうだとするならとても嬉しいことだ。真白さんはずっと俺を想ってくれていた。それは何度も伝えられたことだけどここまで強い想いだと知れたから。


「……勇元さん、フィリアさん。俺、真白さんとずっと一緒に居たいです」


 放たれる言葉は止まらなかった。


「俺、本当に大好きです真白さんのことが」


 最終的には笑顔で話を終えたようなものだが、もしかしたら真白さんに二度と会えなかった世界があったかもしれない。それこそ一生俺のことを思い出してくれない世界があったかもしれない。そうならなくて良かったなと思うと安心して涙が止まらなくなった。


「あ、あらあら」

「はは、参ったな。この場面を真白に見られたら――」

「ただいま戻ったわよ~……あ?」


 泣いてる俺、フィリアさん、勇元さんの順番に視線を動かした真白さんは最後にまた俺を見た。その瞬間、まるで髪の毛が逆立つような威圧感を醸し出した。


「どうしてたか君が泣いてるの? ねえお父さんお母さん」

「ちょ、ちょっと待て真白誤解だ!」

「そ、そうなのよ誤解よ真白!!」


 ……ぐすっ……っと、泣くのはここまでにして事情を……ってどういう風に説明しようか。俺は取り敢えず、のしのしと音を立てて近づいて来る真白さんにどう伝えればいいかを必死に考えるのだった。

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