精神を破壊されて発狂するお姉さん

 人が壊れる瞬間を見たことはあるか?

 さて、どうして俺がこんな問いかけをしたのか。それは目の前で行われている光景にあった。


「……落ち着け……落ち着け私……落ち着けって……」


 今日も今日とて真白さんは生配信を行っているのだが、その真白さんの様子が今日は特におかしかった。

 本日やっているゲームはリスナーから紹介されたものなのだが、このゲームは真白さんが今までやっていたゲームとは少しばかり勝手が違う。まず主人公、つまりプレイヤーが操作するのはおっさんだ。そのおっさんが足を使わず、手に持ったつるはしのみを使って上層を目指すという意味不明な設定のゲームである。


「……そこよ……そこに引っ掛けて……引っ掛けて……」


 キーボードは使わずマウスのみを使い、おっさんの持つつるはしを障害物に引っ掛けながら上を目指していく。

 ここまで聞けばこのゲームが如何に単純なゲームか理解出来るだろう。そう単純なのだ。おっさんを操作し上を目指す、ただそれだけのゲームだ……しかし、このゲームは時に残酷である。


「……あ」


 ある程度上まで登っていたのだ。

 慎重に、慎重に、ゆっくりと操作しながら登っていたのだ。だが、そんな真白さんの頑張りを嘲笑うように、画面の中のおっさんは突起につるはしを引っ掛けることが出来ず……落下した。


「あああああああああああああああああああっ!!!!!!」


 突如響き渡る真白さんの大絶叫、頭を抱え込むその仕草に思わず顔が映り込むのではないかと危惧したが、どうやら大丈夫なようだ。まあ真白さんの精神状態は最悪だろうけど。

 そう、このゲームは上層を目指すだけの単純なゲームだ。だが中継ポイントなどはなく、下に落ちれば落ちるだけ今までの苦労が水の泡と化す。


:あ

:あ

:あ

:wwwwwwwww

:やったな……

:マシロ……

:ざまぁ!!

:やめてやれよ今は

:……そうだなごめん


 このゲームは基本的にこうだ。どれだけ上手く上層に登れたとしても、小さな一つのミスで一気に下まで落下してしまう。忍耐力がどれだけ持つか、それがこのゲームの攻略を左右するのである。

 ちなみに、他に動画を探しても攻略動画よりこのミスによって齎される発狂の切り抜きの方が多いほどだ。


「もう嫌だ……もう嫌だああああああああああああああ!!」


 これは……完全に精神をやられてしまったな。

 俺も宗二と一緒にこのゲームをやったことがあるけど、見てる側は面白いがやる側はたまったものではない。それでも世の中には最低限のミスでクリアするRTA動画もあるので凄いとしか言えない。

 さて、いつもは絶対に出さないであろう発狂ボイスを披露した真白さんは立ち上がった。そしてそのままソファに座って見守っていた俺に抱き着いて来た。


「もう嫌だよおおおおおおおおおおおやりたくないいいいいいいいいい!!」

「……あ~」


 これはもう今日はダメかも分からないな。

 真白さんもこのゲームを知ってはいたが、ここまで精神を破壊されるゲームとは知らなかったわけだ。カメラから消えた真白さんだが、パソコンの近くに置いてあるマイクはバッチリ声を拾っていた。


:草

:これは……今日はダメか?

:まあこういうゲームよ

:先人たちはこれを乗り越えていったんだ

:10000¥ 大絶叫助かる

:ほら、続きあくするんだよ

:鬼畜で草


 完全にやる気をなくしてしまった真白さんだが……これはどうするんだろう。このゲームを他に生配信でやってる人は多く居たけど、そのほとんどがこの理不尽に耐えられずにキレるかやる気をなくして配信を切る人も多かった。

 このゲームを始めてからもう一時間が経過しようとしている。生配信で一時間は短いと言う人も居るかもしれないが、この理不尽に耐えての一時間は逆に褒められてもいいくらいのものだ。


「……まだよ」

「え?」

「まだお姉さんはやれるわ!!」


 どうやら真白さんはまだ諦めないみたいだ。立ち上がった真白さんは必ずクリアしてやるんだという気迫を感じさせる。でも……どうして真白さんは俺の手を引いているんだろうか。


「真白さん?」

「座って、たか君」


 真白さんがそう囁き指さしたのはさっきまで彼女が座っていた椅子だ。これは俺にやれと言っているのだろうか……というか真白さん、このメインチャンネルに俺は出ないって言ったばかりだけど。

 迷っている俺の背中を押すように、真白さんが俺を椅子に座らせた。


「っ……」

「これで良し!」


 そして、その椅子に座った俺の足の上に真白さんが腰を下ろすのだった。

 良く分からないうちに真白さんの動画に出演することになったのはこれで二度目だけど、ちょうど俺の顔の位置が真白さんの頭になっている。少し顔をずらせばコメント欄が見えるのだが、どんなことが書かれているのか怖くて覗くことが出来ない。


「……ふふ、そうだよ。私はね、彼がとっても大好きなの。傍に居てくれるだけで幸せで、一緒に過ごせるだけで……それだけでいいんだよ私は」


 後ろ姿しか見えないのでその表情を見ることは出来ない。でもコメント欄と話をする真白さんはとても嬉しそうで、そして言葉にしたように幸せそうに俺に背中を預けていた。

 ……そんな風に真白さんから信頼されていること、大好きだと言われることが嬉しくて俺は真白さんのお腹に手を回すように抱きしめた。そして、その温かい背中に頬をくっ付けるようにして身を寄せる。


「あ……ふふ、甘えん坊さんなんだから♪」


 真白さんのお腹に回った腕は見えたとしても、こうして頬をくっ付けているのは見えてないはずだ。今日の配信は最後まで、こうして真白さんの存在を感じていることにしよう。


「そういうのやめようね。私は顔も知らない人と会うつもりは一切ないし、そもそも必要性を感じないし。断言できるよ、私はあなたみたいな人は嫌いだね」

「……………」


 一体真白さんはどんなコメントを拾ったんだろうか。

 いつもの優しく全てを包み込むような声音とは違い、見下げ果てた……というか明らかに嫌っている真白さんの様子だ。それ以降は変なコメントを拾うことはせず、喋ることのできない俺でも傍にいることで満足しているのか、時折振り向いて可愛らしい笑みを浮かべては俺を幸せな気持ちにさせてくれた。


「私が彼をどれくらい好きかって? そんなの言葉で言い表せないくらいに好きに決まってるじゃん。大好き、愛してる、それだけじゃあ表現できないよ。ね?」

「……………」


 コクンと頷いた。

 一体どんなコメントが書かれているのか相変わらず見えないけれど、それが気にならなくなるほどに俺は真白さんに夢中である……あ、これはいつもか。


「さて、それじゃあゲームの続きをするよ。今の私は彼の愛に包まれているからもう余裕だね!」


 そう言ってくれるのは嬉しい限りだ――頑張れ真白さん。

 ……でも、意気込み程度でどうにかなるほどこのゲームが甘くないのも知っていたので俺はいつまで持つかなと、真白さんには悪いがそんなことを考えていた。

 そして、それから数十分しか経ってないのにも関わらず真白さんは限界だった。


「そこよ……そこに引っ掛けるのよジジイ……ほらほら……よし!」


 登っては落ちて登っては落ちて、それを繰り返していた真白さんはついに今まで突破出来なかった場所を超えることが出来た。喜ぶ真白さん、おそらくコメントも真白さんの頑張りを讃えていることだろう。


「この調子でクリア……あ」


 俺の視点からは何が起きたのか分からない、それでも真白さんが硬直したことだけは理解できた。こうして真白さんと距離が近いこともあり、イヤホンからの音がそこそこ聞こえている。カンコンと音を立てながら、おっさんの呻き声と共に落下していくような効果音……俺はそれを聞いてお疲れ様ですと心で呟いた。


「……すぅ……はぁ」


 大きく息を吸い、そして吐いた真白さんは……発狂した。


「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っっ!!!!」


 この日以降、真白さんはこのゲームを決して起動はしなかった。

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