賽を投げたお姉さん

 週末のこと、早速俺は部屋の引っ越し作業を行っていた。引っ越し作業とはいってもそこまで運ぶ物があるわけではない。せいぜいが着替えであったり僅かな家具、その少なさの理由はやはり真白さんの部屋に向かうことが多かったからだろう。

 そんな少ない家具であっても、父さんが休みということで手伝いに来てくれた。一緒に家具を運んだりする理由があるとはいえ、真白さんの部屋に入れる異性は俺を含め真白さんの父親と俺の父さんくらいなものだ。


「こんなものでいいか?」

「そうだね」

「はぁ……ここがたか君の部屋になる……くぅ~ん♪」


 感動するかのように犬のような可愛い鳴き声を上げた真白さんに俺と父さんは揃って苦笑した。真白さんはスタイル抜群の美女なのは言わずもがなだが、こんな一面を持っているのを父さんたちは知っている。だからこそ、特に変に思うことはなくこれが真白さんだと受け入れていた。


「……ここが今日から俺の部屋……か」


 何というか、前の時より豪華である。

 俺の部屋に元々あった家具はもちろん、真白さんが揃えてくれていたものを含めると本当に充実した部屋になった。


「それにしても、こうして実際に付き合うことになった二人を見るのは新鮮だな」


 そう父さんが言うと、真白さんが俺の腕を取った。


「この通りもうラブラブなんですから。私はたか君が大好き、たか君も私が大好きなんです♪」

「はは、そうか」


 こうやって自分の恋人とイチャイチャしている姿を親に見られる恥ずかしさよ。父さんは微笑ましそうに見つめてくる。それから引っ越し作業が終わったということで父さんは帰ろうとしたが、もう少しゆっくりしてはどうかと真白さんがお茶を出す。

 そんな中、真白さんと父さんは話に花を咲かせるのだが……その内容がなんとも俺の心に刺さる内容である。


「もう少し早く隆久は観念するかと思ったんだがなぁ」

「ふふ、私すっごく攻めたんですから♪」

「そうかそうか。あまり手強くはなかったのかい?」

「いいえ、凄く手強かったですよ。私と一緒だと耐性が付いてしまうとかで」


 やめてくれと大声を上げてここから逃げ出したい気分だ。ずずずっと紅茶を飲みながら下を向いて気配を殺していた俺を真白さんが抱きしめ、いつものようにその豊満な胸に導かれた。


「まあでも、もう両想いですから……それが今は幸せです」


 その言葉には万感の思いが込められているようだった。

 真白さんはそのまましばらく俺を抱きしめ続け、満足した後に解放してくれたが父さんが凄く羨ましそうに俺の肩を叩く。


「羨ましいな隆久」

「そんなこと言うと母さんがキレるぞ」

「……そうだなぁ。あれはあれで嫉妬深いからな」


 基本的に穏やかで元気な性格の母さんではあるが、怒るとかなり怖いし父さんのことになるとかなり嫉妬深い。まあそんな母さんでも俺が間に入ると笑顔になってくれるのだが……一度だけキレた所を見たことあるけど本当に怖かった。

 父さんもその時を思い出したのかブルっと体を震わせている。


「さてと、それじゃあそろそろ帰ろうかな。隆久、大丈夫とは思うが何かあれば連絡しろ」

「あぁ」

「真白ちゃん、隆久をよろしく頼む」

「お任せください。それこそ一生をかけて面倒を見ますよ♪」


 最後にその真白さんの言葉に盛大に笑った父さんは部屋を出て行った。

 二人っきりになった俺たちだが、早速真白さんがさっきの続きをするように俺に身を寄せてきた。ただ抱きしめてくることはなく、ただ触れていたいのか肩をくっ付ける程度だった。


「これでようやく、たか君がここに住むことになるのね」

「そうですね……それはそれでちょっと緊張します」

「なんで?」

「色々と逃げ場がないじゃないですか」


 同じ屋根の下、そうなると俺はもう真白さんから逃げることは出来ない。まあ今となっては逃げるつもりは一切ないのだけれど、やっぱり変な緊張はしてしまうというものだ。


「うふふ、絶対に逃がさないわ。もう絶対に……絶対にね?」

「……っ……その耳元で囁かれるのに弱いです俺」

「知ってるわ♪」


 楽しそうな真白さんの様子に俺は小さく溜息を吐くしかなかった。


「……まあでも」


 俺は真白さんの肩に腕を回すようにした。さっきの真白さんのように抱きしめるわけではなく、ただ触れていたいという理由からだ。


「あら、少し積極的じゃない」

「そうですか? ただ、こうしたかったんです。改めて真白さんと一緒に過ごすと思うと本当に嬉しいですし、もっともっと好きになる自信があります」


 それこそ際限がないほどに、俺はもっとこの人を好きになるんだろうなと思った。


「いいわよ~。もっとお姉さんを好きになってちょうだい」

「溺れるくらい、ですか?」

「えぇ! お姉さんが居ないと生きられなくなるくらい好きになってねたか君!」


 もうそれくらい大好きですね、とは言えなかった。

 真白さんが唇を重ねるようにキスをしてきたからである。最近は本当にキスを多くするようになった。付き合うことになったから、というのもあるけど真白さんが単純にキスが好きなんだと思う。


「たか君」

「何ですか?」


 何かを決めたような表情になった真白さんはこう言うのだった。


「今日、今から報告するわ。付き合うことになったこと」


 一瞬音が消えたように、その言葉はすんなりと俺の中に入ってきた。

 驚き……はない、やめてくれと言う気持ちもない。真白さんがそう決めたのなら俺もそれに付き合う、そんな決意のようなものが俺にも宿るような気がした。


「分かりました」

「……ありがとうたか君」


 そして、そんな俺の新たな決意を察してくれたように真白さんは微笑んだ。

 スマホを手に取り、素早く指を動かして文字を打ち込んでいく。これでいいかしらと俺に見せてくれた画面には、本当にシンプルな文字が並んでいた。


“大好きな彼が出来ました。本当に嬉しいです”


 たったそれだけの短い文章だ。

 よく有名な人が恋人が出来たこと、結婚することをSNSでも報告するけどそのどれよりも圧倒的に短い。でも、俺にはその文面に込められた真白さんの想いがよく伝わってくる。


「はい、投稿したわ」


 今を持って、真白さんが付き合っている事実が外へと拡散された。


「試しに通知をオンにしてみようかしら」


 すると、止めどなくスマホから通知音が聞こえる。次から次へと色んな通知は流れては消えていき流れては消えていく。中にはとても長い文章と思わしきモノも一瞬で消えて行ったが……あれを確認するのはちょっと怖い気もする。


「さてと、今日の配信はどうなるかしらねぇ」

「楽しそうですね真白さん」


 気負っている様子はなく、むしろ早くそんな時間が来てほしいというような表情だった。


「これでいいとは思うけど、やっぱり自分の口でも伝えたいじゃない? 私には愛する人が居る、自分の口からそれを改めて言ってみたいのもあるしどんな反応があるのかも単純に興味があるの」


 何というか、そんな風に考えるのは真白さんらしいなと思えた。

 そんな真白さんの姿が眩しく見え、同時にその相手が自分であることの幸福を感じていると、俺のスマホも震えた。

 メッセージの相手は宗二で、俺は何となく内容を察した。


『マシロさんに彼氏が出来たってよ……おめでたいことのはずなのに辛い』


 宗二の気持ちがこの文章を通じて伝わってくるかのようだ。俺としてはこれにどう返事をすればいいか分からず、とりあえず元気を出してくれとだけ送っておいた。

 送信が完了したのを見つめていると、横からパシャっとシャッター音が聞こえたのでそちらを見ると真白さんがスマホを構えていた。


「良い写真が撮れたわね。ここをこうして、これで……どう?」


 俺の顔の部分を隠すように編集したその写真に首を傾げる。


「嘘じゃないよ、そう書いて投稿しようと思うんだけどいい?」


 真白さん、もしかしてカミングアウトしたから結構ネジが緩んでる? そう思ったけどそんな様子もいつも通りか、なんて思う自分が居るのも確かだった。


「……大丈夫です」


 何とかそう返すと、真白さんは頷いて本当に投稿した。

 すると再び震えだすスマホに俺たちは二人揃って苦笑するのだった。さて、賽は投げられてしまった。どう転ぶかは今日の配信次第……でも、あまり不安がないのはきっと真白さんが傍に居るからなんだろうな。

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