完全に意識させてくれやがったお姉さん

「……っ……あ~~~~!」

「ふふ、お疲れ様。ありがとねたか君」


 昼過ぎ……にしてはもう少し後か、時間を見ると既に三時だった。本日の予定として配信部屋の掃除も合わせて機材の手入れ、それから今の動画編集がようやく一段落したというわけだ。


「はいジュース」

「ありがとうございます」


 真白さんから受け取ったジュースを飲んで喉を潤す。涼しい部屋に居たので暑かったりはしないが、それでもこのジュースの冷たさに生き返るかのようだった。

 まさか案件動画の編集を一緒にすることになるとは思わず、ちょっと緊張したけどいつものように出来たと思う。この動画一つに多額のお金が掛かっていると思うとやっぱり人気のある配信者の凄さが良く分かる。


「この後は動画撮るんですか?」

「えぇ、ASMRを一つ撮っとこうかなって」


 ほう……ということはまた脳を犯す兵器が生まれるということか。


「でも、ASMRって凄いですよね。吐息一つでこう……頭がぞわぞわってする感覚がするんですよね」

「ふふ、自分の声だからあまりないけど……そうだわ!」


 ポンと手を叩いた真白さんがこんな提案をするのだった。


「たか君もやってみる?」

「うぇっ!?」


 突然の提案に変な声が出てしまった。

 いきなり何言ってんですか、そんな顔を俺はしていたと思う。真白さんは笑いながらどういうことかを教えてくれた。


「もちろん表に出すものではないわ。私だけのコレクションにするつもりなの♪」


 いやんいやんと体をくねくねさせる真白さんに俺は溜息を吐いた。もし表に出すなんて言われたら絶対に拒否するしそれこそ恥ずかしさで死ねるんだが、まあ真白さんだけなら……っていやいや、それでも恥ずかしいわ!


「たか君、昨日お風呂で勝負に負けたよね?」

「……あい」

「うふふ~♪」


 どうやら今日が俺の命日のようです……母さん父さん、今までお世話になりましたありがとうございました。


 なんて、現実逃避をしても何も変わらなかった。

 あれやこれやと真白さんがソフトの立ち上げから録音の準備、マイクの設置も全て終わらせ、真白さんがいつも座る椅子に座らせられた。これはもう逃げられないのかな、そんなことを思っているとポンと肩に手を置かれた。


「ごめんねたか君、流石に揶揄い過ぎたかしら」

「……あ、それじゃあ」

「えぇ、今準備したのは私が撮る予定だから……ふふ、本当にごめんね?」


 正直心から安心した。とはいえ、真白さんに俺は昨日負けたわけだし何もしないというのは……少し違うと思った。まあ何だかんだ、何か真白さんにしてあげたかったのだ俺は。


「それなら……真白さんの耳元で何か囁きましょうか? それくらいなら――」

「ほんとに!?」


 物凄い食いつきに椅子から転げ落ちそうになった。真白さんの勢いに押されるように俺が頷くと、真白さんは凄く嬉しそうに笑顔になって俺の手を引いた。導かれたのは近くのソファなのだが、まず俺に座るように促す。


「それじゃあ……」


 そうして座った俺の膝に頭を乗せるように真白さんが横になった。

 まるっきりこの前と逆の姿勢だが……まさかこれでやるのだろうか。見るかにうずうずしている真白さんだが、ハッと気づいたようにこんなことを口にした。


「ねえたか君、設定としては同級生……みたいな感じがいいわ。敬語は無しで私のことも呼び捨てにしてほしいの」

「いいんですか?」

「もちろんよ。まあこれはASMRというよりは単純に私がそんな風に耳元で囁いてほしいっていう願望だけどね!」


 なるほど……まあ何にしても俺はもう逃げられないわけだ。それならとことん真白さんに求めに応じることにしよう。とはいえ、どんな台詞を言おうかは何も決めてはいない。


「……よし」


 だからそうだな、普段のお礼を精一杯伝えることにしよう。もちろん、お礼はいつでも言っていることだけどこれはこれで特別な経験だろうし。


「……真白」

「っ!」


 ビクッと真白さんの体が震えた。

 ……ちょっと意識していい声を出そうとすると恥ずかしいなこれ。


「いつもありがとう。事あるごとにお礼は言ってると思うけど、全然足りないくらいのことを俺は君にもらってる気がするよ」

「……ふぁ」


 真白さん、本当に大丈夫? さっきから体が痙攣してるんじゃないってくらい震えてるんだけど……。


「どれくらいのことを返せるかは分からないけど、俺はずっと真白の傍に居たいと思う。君の傍で、ずっと見守って行けたらと思ってる。いいかな?」

「(ブンブン!!)」


 めっちゃ首を振ってる!!


「ありがとう……大好きだよ真白」

「わ、わたひも……」


 ……ねえ、本当に大丈夫なの!?

 顔が真っ赤なのもそうだけど、今膝に真白さんの頬が当たってるから分かるんだかなり熱い。火傷するんじゃないかってくらい熱いんだけど……とりあえず、俺も恥ずかしいので最後の一言で終わるとしよう。


「結婚しよう――真白」


 よし終わり! 真白さんの耳元から顔を離し、俺は暑くなった顔を冷やすように深呼吸をした。何十分も台詞を口にする真白さんに比べれば一瞬だったけど、俺にはこれが限界すぎてな。


「真白さん?」


 ジッと動かない真白さんだったけど、バッと起き上がって抱き着いてきた。


「結婚するううううううううううっ!! 絶対絶対するのおおおおお!!」

「く、くるしぃ……」


 真白さん首! 首締まってるから!!

 ずっと真白さんと過ごして分かっていることだけど、少しの余裕があって嬉しさを表す時は胸元に俺の顔を抱くのだが、こうやって無我夢中で抱き着いている時は余裕がないくらい嬉しさを表している証拠である。

 腕にトントンと手を当てると真白さんは力を緩めてくれたが、それでもしばらくは離してくれなかった。


「ありがとうねたか君。凄く幸せな気分だったわ」

「それなら良かったです」

「――絶対に現実にしてみせるから」


 副音声が聞こえるくらいの圧のある声が響いた。一瞬でいつもの雰囲気に戻った真白さんは交代と口にし、今度は俺の頭を膝に乗せた。


「お礼にお返しをするわね」


 ガッチリと頭を固定され、絶対に逃げられないようにしたうえで真白さんは俺の耳元に顔を近づけてきた。息遣い、口の僅かな動きによって聞こえる音が全て聞こえてくるかのようだ。


「……はぁ~」

「っ!」


 ……マイクを使わずとも、やっぱりこのぞわぞわする感覚が襲ってきた。頭から背中に伝わり、足元まで響くような得体の知れない心地よさに身を委ねる……そうしたくなってしまうのだ。


「ありがとうたか君……さっきの言葉、凄く嬉しかったわ」


 すぅ、はぁ、そんな息遣いを混ぜることで更に耳に快感を齎してくる。この前みたいに耳舐めをしてくる気配はないけど、それでもやっぱり真白さんの声の力は凄まじかった。


「私もね、たか君にたくさんのお礼をしたいの。私もたか君に助けられてる、ずっとずっと助けられてるの。だから私からもお礼をさせてね? ずっと傍に居て、たか君のことを見させてほしい。ずっと離れずに、あなただけの真白で居たい。だからたか君、私と結婚しましょうね」


 結婚しましょうね、その部分だけ何故か怖くなったけど……やっぱり脳だけでなく背中までゾワっとした感覚に襲われた。暑いはずの夏なのに、背中がきゅっと冷えるかのようだ。


「たか君」

「はい……っ」


 真白さんに呼ばれ、そちらに顔を向けた瞬間……俺の唇は真白さんの唇と重なるのだった。一瞬、本当に一瞬触れて離れた。けれどその時間はとても長く感じてしまうのだった。


「嫌、だった?」

「……いえ」


 嫌なわけが……ない。けれど、突然のことに動揺したのも確かだった。真白さんはそっかと小さく呟き、穏やかな雰囲気を纏いながら俺の頭を撫で続けていた。


「……………」


 その間ずっと、俺の心臓はうるさいくらいに高鳴っていたのだ。

 真白さんのことは一人の女性として意識……はしているんだと思う。真白さんの行動の一つ一つから好意は感じ取れるし、これで気づかないならどれだけ鈍感なんだと言われてしまうだろう。


 でも、やっぱり俺はまだ学生で真白さんは大人だ……それを壁として少しだけ勝手に感じているんだ俺は。


「真白さんは……」

「なあに?」


 本当に自然に、こう言葉が漏れて出た。


「待ってくれるんですか?」

「えぇ、待つわよいつまでも」


 その言葉に、安心する俺が居た。


「でも」

「え?」

「お互いに我慢出来ればいいわね♪」

「……………」


 何の我慢か、それは言われなくてもちゃんと理解できた。

 思えばこの日からか、ただでさえ真白さんに抱いていたドキドキする感情、それに火を付けたのは間違いなく……この時のキスだった。



「私が攻めることにも変わらないけど」

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