自炊警察vsマスク警察

金澤流都

自炊警察vsマスク警察

「うわああああーっ」


 マスク警察のバズーカ式マスク装着装置が唸りを上げる。目の前の、肺の病気でマスクのできない少女に殺到するマスクを、その少女の兄が全身で受け止める。兄の体には無数の不織布マスクがへばりつき、息も絶え絶えであった。マスク警察の男は、小さく「ちっ」と舌を鳴らすと、肺の病気の少女に静かに歩み寄る。


「人類滅亡病から人類を守るには、マスクと自炊しかないって、知らねえのかァ……?」


「わ、わたしは、病気で――」


 少女は恐怖のあまり過呼吸の発作を起こす。見るからに苦しそうだ。少女の兄が立ち上がり、マスク警察と対峙する。


「――マスク警察。どうしてもマスクのできない人間は許す、って話じゃなかったか」


「ああン……? 規約が変わったのさ。問答無用でマスクをつけろ、とな」


 そんなのおかしい。少女の兄――青年は、こぶしを握りしめた。しかしマスク警察は、全身をパワードスーツに覆われており、まともな攻撃が通るとは思いにくい。


 そこに。

「――そこのマスク警察! 弱いものいじめはやめろ!」

 と、拡声器の声が響いた。現れたのは、手製のあんパンを持った自炊警察である。


「くそ、邪魔が入ったか。明日からはちゃんとマスクつけろよ!」


 マスク警察は逃げていった。自炊警察は少女と青年に近寄る。


「マスク警察に理不尽なことを言われたんだろう。これを食べなさい。元気が出る。アレルゲンも入っていない」


 自炊警察は手にもっているカゴからあんパンを二つ取り出し、少女と青年に渡した。自炊警察と言えばあんパン。あんパンといえば乳幼児のヒーローだ。愛と勇気しか友達がいないともっぱらの噂の。


「ありがとうございます」少女はあんパンにかぶりつく。中にはいい感じに炊けたあんこがぎっしり詰まり、パンは米粉の生地でしっとりしており、てっぺんにはケシの実がふりかけてある。青年もあんパンを食べる。


「うまいです。こんなうまいもの久しぶりに食べました。俺、料理が下手くそで、ぜんぜんおいしいものを作れないから――」


「自炊というのは『心』だよ。無理に美味しいものをつくろうとしなくても、毎日ていねいに作ってていねいに食べる。それだけで人類滅亡病から守られるなら大した労力じゃない。どうだい、あんパンおいしいだろう」


「はい。中のあんこがおいしいです」


「本官があずきから炊いたあんこだ。豆から厳選して炊いたものだよ。喜んでもらえて嬉しい」


 青年と少女は、あんパンをもぐもぐした。慈しみの味のするアンパンだった。


 ◇◇◇◇

西暦30xx年。人類は人類滅亡病という病気と戦っていた。その熾烈な戦いは、古から語り継がれる2020年以降の新型コロナウィルスのそれとは比較にならないほどのもので、人類はその数を半分まで減らしていた。


 この「人類滅亡病」に対抗する手段は、入ってくるものと出ていくものを管理すること、すなわち自炊とマスクだけであった。


 自炊して、自分の体に入ってくる成分を知り、そしてマスクをして体から出ていくものを制御する。これが人類滅亡病を防ぐもっとも有効な手段であった。人類滅亡病はウイルスや細菌の形をとらず、人の体に自由に出入りする、非科学的な言葉をつかうならばいわゆる「悪霊」のようなものであった。人類滅亡病は体に入ってしばらくは発症せず、悪霊がその人体を気に入ればその人間を立ち枯れする木のように殺していく。発症する前の、いっけん健康な段階の人間が、他人とマスクなしで接触すれば、悪霊は待ってましたとばかりに分裂し、広がっていく。


 発症する前に、悪霊に力を与えなければ、この病気にかかることはない。悪霊は、自炊した料理に込められる「愛」で倒すことができる。この時代、愛というものの力が細かく分析され、愛はすべてに勝ちうる力を持っていることが判明していた。


 だから自炊警察は愛の力をもつ自炊を広めようとしていたが、しかし職業によっては自炊する余裕のない人もたくさんいる。そういう人たちにも自炊をさせようとして――本来愛というのはそういうものではない――、自炊警察は時として暴走した。この物語冒頭のマスク警察と同じく、市民に自炊を強要することすらあったのである。


 そもそも人類滅亡病は、体のなかのエネルギーをバランスよく保つことができればかからない病気でもある。愛とマスクが必要なのは潜伏期間だけだ。しかしだれが潜伏期間なのか判断がつかないので、自炊警察とマスク警察は、その権力を振りかざすことになったのである。


 ◇◇◇◇

 マスク警察署の、物々しい建物。屋上には長距離マスク砲が設置され、三キロ離れたところのノーマスクの人間にマスクをつけさせることができる。


「――検挙率が落ちている! どういうことだ!」


 マスク警察署長が大声でそう怒鳴った。もちろんマスクをしているので、つばが飛ぶことはない。むしむしと暑いマスク警察本部で、居並ぶマスク警察官たちはだらだらと汗をかき、マスクはみなじっとりと湿っている。


「あの、署長。お言葉ですが、検挙率が下がったということは、マスクをつける人が増えているということではないでしょうか」と、若い女性のマスク警察官が言う。


「それは詭弁というものだ。いいか、この国の市民はマスクをつける気などない。こっそり隠れてノーマスクで路上飲みをやっているのだ。許すまァじ!」


 署長はホワイトボードにでかでかと「一日20件の検挙」と書き込んだ。


「できないものは用なしだ。さあいけ、行ってマスクをしていないものを捕らえろ!」


「イエス・サー!」


 マスク警察官たちは、素早い身のこなしで広間から出ていった。


 署長はひとつため息をつく。本当は自分だってこのくそあっちい夏にマスクなど付けたくない。しかしマスク警察官、それも署長が、マスクをつけていなかったら大問題になる。


 せめてウレタンマスクにしたい、と署長は思った。しかしウレタンマスクは飛沫の飛び散り方が布マスクより激しい。飛沫感染というより人間同士の会話を伝って伝染する人類滅亡病であるが、それでも少しでも安心したい、というのがマスク警察官たちの一致した見解だった。


 人類がどんな天気でもマスクをつけるようになって半世紀が経つ。五十年経ってもワクチンの作り方の見つからない人類滅亡病との戦いは、本当に終わるのだろうか。


 ◇◇◇◇


 自炊警察署の、シンプルな建物。建物のなかは、豚の角煮やら、焼き鳥やら、ペペロンチーノやら、もろもろ雑多な食品の匂いで満ち満ちていた。これらの料理は、自炊警察署屋上にある自炊ランチャーという装置で、自炊のできない人間のところに送られるが、自炊ランチャーというのは実にシンプルに食べ物を飛ばす装置なので、豚の角煮は柔らかいところが空中分解した状態で届くし、焼き鳥は串からバラバラになってしまうし、ペペロンチーノは冷めてしまう。マスク警察に対抗して作った設備だが、実際のところ評判は芳しくない。


「諸君。今期は検挙率が落ちている。これはいったいどうしたことだ? なぜ路上でお惣菜をアテにして酒を飲む連中があれだけいるのに、取り締まれない?」


 自炊警察署長はそう言い、ホワイトボードをこんこんと指で叩いた。今月取り締まった非自炊食事の検挙数が書き込まれている。


「それは……」男性の自炊警察官が言葉に詰まる。この間自分で作ったあんパンを兄妹にふるまった、あの自炊警察官だ。きょうも彼の持っているカゴには、焼き立てほかほかの米粉パンがぎっしり入っている。そこにあるのはまぎれもない愛だ。


「愛の旗印のもと、一致団結して愛を広め、この世から人類滅亡病をたたき出すのが我らの仕事だ! 愛なき人々に、健康的で文化的な食生活を届けることこそ、我らの使命だ!」


「おー!」自炊警察官たちは拳を突き上げた。


「ではみなキッチンで得意料理をつくり、街に出かけて、人々に愛を広めるのだ!」


「イエス・サー!」


 自炊警察官たちは得意料理のレシピを思い描きながら、自炊警察署の三分の二を占めるキッチンにそれぞれ向かった。あるものはマリトッツォを、あるものはインドカレーを、あるものはひつまぶしをこしらえる。食材は国から特別に支給されたものだった。


 自炊警察署長は、自作したパウンドケーキをもぐもぐと食べながら、

(神よ。いつになればこの時代は過ぎ去りますか)と、無神論者らしからぬことを考えた。


 自炊警察というのがおかしいことは、署長も考えていた。自炊というのはそもそも自発的に、個人個人で行うべきものだ。


 そして、お惣菜は決して悪ではない。スーパーなりコンビニなりの店員や、工場のひとたちが、真面目に考えて真面目に作っているものだ。そこには自炊ほどの愛があるわけではないが、しかし人を想って作られたものなのは確かだ。


 ――そして。真夏に、自力で天ぷらを揚げろだとか、自力でそうめんを茹でろだとか、そういうことを言うほうがおかしい、と、自炊警察署長は思っていた。食事はみな楽しく食卓を囲うもので、料理する一人だけが苦しまねばならないのはおかしな話である。


 自炊警察署長は窓から外を見た。無数の自炊警察官が、料理を抱えて出動していく。


 ◇◇◇◇


「こんにちはー。自炊警察です」

 若い女性の自炊警察官が、ボロアパートの203号室のドアをノックした。


「はあ……」


 ひげ面の中年男性が現れる。家の中には、レジ袋が散らかっているのが見えた。


「家宅捜索の許可が出ているので、調べさせてもらいます」


 自炊警察官がぞろぞろとアパートの部屋に入っていく。ゴミでとっ散らかった部屋の中を、かたっぱしから調べていく。


「これはスーパーの中華サラダのパッケージですね」


「こっちにはコンビニの焼きそばパンのパッケージがあります」


 自炊警察官たちは無遠慮に、惣菜やパンのパッケージを探していく。ひげ面の表情が次第に曇る。


「あなた、経済状況的に、自炊ができないわけじゃありませんよね? このアパート、ちゃんとコンロもシンクもありますし」


 先頭にいた女性自炊警察官がそう訊ねると、ひげ面は、

「仕事が忙しくて、帰ってくるのが夜中の2時、出るのが朝6時。その状況で自炊とか不可能だろ」と、そう答えて目を落ち着きなく動かした。


「ふーむ。仕事が忙しくて愛ある食事ができない……と。国が、一日一回は自炊するように通達を出しているのはご存知ですね?」


「だから無理だっつってんだろ!」


「騒ぐと公務執行妨害で逮捕しますよ」


「……くそっ」


 女性自炊警察官は、心の中でため息をついていた。しょせんもともとはいわゆる自警団に近かった自炊警察が、なぜこんなに権力をかざすことができるようになったのか。


 人類滅亡病は、人類の暮らしのありかたそのものを変えてしまったのだ。


 ――そのひげ面の男性は、自炊不十分の罪で逮捕されることとなった。これから自炊警察署に連行し、当分の間、毎日三食自炊で作る訓練が行われる。その訓練は過酷なもので、一般家庭の自炊ではほぼ使わないコハダの握り方だのマカロナージュのやり方だのも学ばされる。それらが一人前にできるようになるまで釈放されないのである。


 女性自炊警察官は、自分は独善的な人間だ、と、心の隅のほうで思った。


 その中年男性を連行し、パトカーに押し込もうとしたそのとき、向こうのほうからマスク警察のパトカーが走ってきた。マスク警察のパトカーは自炊警察官たちの前に止まると、

「西の方角から、自粛警察が攻めてきたぞ!」

 と、拡声器で叫んだ。


「じ、自粛警察だって?!」

 自炊警察官たちは驚きの声を上げる。


 自粛警察というのは、古の伝説に語られる新型コロナの時代に、人々を恐れさせたクリーチャーである。すべての店舗を営業できないようにし、すべての人を家に閉じ込め、人々の暮らしを一変させた、「善の意識の暴走」そのものである。


 見ると、西の空はどんよりと薄紫に曇り、その下には怪獣のような姿をした自粛警察が、まさしく怪物の上げる声としか思えない声を発しながら街に迫っていた。


「――しゃあないですわ。マスク警察さんはいけ好かんのやけど、そんなことを言うてる場合とちゃうんですわ」

 現場のリーダーである男性自炊警察官――得意料理は味噌汁――が、出刃包丁を構えた。ほかの自炊警察官たちも、柳葉包丁だのお玉だのしゃもじだのを構える。


「そーよぉ! ブロッコリーおっ立てて追っ払うんだから!」

 ちょっと年のいった女性自炊警察官――とにかく豪快――が、なにやらグツグツ言っている鍋をお玉でカンカン叩く。


「まさかここでマスク警察と背中合わせで戦うとは思わなかったですね」

 元家政婦の女性自炊警察官――得意料理は創作フレンチ――が、アツアツのフレンチ風炊き込みご飯の入った炊飯器を投げつけようと構える。


 マスク警察も、さまざまな兵器――マスクの鼻のところの針金を素材に作ったガンランスや、取り締まって集めて作ったウレタンマスクの甲冑、そういうものを構えて徹底的な戦闘態勢を取った。


「じしゅくしろ~」


 自粛警察がのしのしと近寄ってくる。まず火を噴いたのは、マスク警察のバズーカ式マスク装着装置だった。しゅばばばばば! とマスクが発射される。


「じしゅくしろ~」自炊警察は大声で叫んだ。響きの大きさに、みな耳を覆う。


 しかし、体にマスクがまとわりついて動きが鈍った自粛警察に、男性自炊警察官が出刃包丁で肉薄する。その包丁さばきは精密で、熟練した腕前を感じさせる。自粛警察の腕がすぱりと切り落とされた。すなわち部位破壊である。部位破壊の報酬は自粛警察の腕だ。


 マスク警察のマスクの針金ガンランスがものすごい勢いの火炎を噴き上げる。自粛警察の頭部の角が破壊された。部位破壊である。報酬は自粛警察の角だ。


「いけるわよ――!」

 自炊警察官が鍋をぶん投げる。ひき肉の団子とキャベツがいい感じにコンソメ味で煮えた、いわゆる「食べればロールキャベツ」が自粛警察の動きを封じ、その隙に自炊警察官が創作フレンチ炊き込みご飯入り炊飯器を投げつける。アツアツの炊き込みご飯を浴びて、自粛警察の動きが停まった。


「いまだ!」


 総員、武器(ガンランス、包丁、しゃもじ、お玉、中華鍋、フライパンなどなど)を握りしめ突撃する。総攻撃を受けた自粛警察は「じしゅくしろ~」と叫びながら、すごすごと空を飛んで逃げだした。基本的に、自粛警察も人類の善意(ただし独善)から生まれたものなので、反撃されると逃げだすほかないのである。


「――討伐しましょか? こういうんは放っといてもええんやろなあて思うんですけど」

 自炊警察の現場リーダーが、マスク警察のリーダーにそう訊ねた。


「まあ、特に害はなかった。我々も市民も無事だし、問題はないな」

 マスク警察のリーダーは、マスクの向こうで笑顔になった。


 こうして、自炊警察とマスク警察の共闘により、自粛警察は街から去っていった。街は守られたのである。


 そして、自炊警察とマスク警察は、人間が人類滅亡病から救われるまで、日夜戦い続けるのである――。

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自炊警察vsマスク警察 金澤流都 @kanezya

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