第5話 入手

 悠人はいつも通り19時過ぎに最寄りの駅に着き、下の方から抜かれていくジェンガのように体をぐらつかせながら家まで足を進めた。


 玄関の前に立つと、ほのかにカレーの匂いがした。石川家特製のカレーだ。隠し味にコーヒーが少し入っている。悠人はブラックコーヒーは飲めないが、コーヒーが入ったカレーは深みがあって美味しい。


 悠人が玄関のドアを開けると、裕子がキッチンに立っていた。


「おかえり」

「ただいま」

「カレーはもう少しで出来るから、鞄を部屋においてきて」

「はーい」


 悠人は階段を上がり、突き当りにある部屋のドアを開いた。鞄を椅子の背もたれに掛け、すぐにまた一階に戻った。


 悠人はカレーのいい匂いを嗅ぎながら、コップやスプーンを棚から取り出し、カレーが出来次第すぐに食べられるように準備をした。裕子がとろとろに煮詰まったカレーを皿に乗っている炊き立てのご飯に寝かせるようにそっと流し込んだ。ダイニングテーブルに置かれたカレーライスは湯気を出しながら存在感をアピールしてくる。


「いただきます」


 悠人はその言葉を言い終わる頃には、カレーが口に入る寸前までスプーンを持ち上げていた。


 すると、どんどんどんと鈍い音が聞こえてきた。音は階段の方向から聞こえてくる。少しずつ音が近づいてくる。背筋を少し伸ばした時、そこに現れたのは、幽霊ではなく、康太だった。


 夕飯時に康太が起きていることは、スーパーに売っている卵から雛が生まれてくることと同じくらい信じられなかった。


「康太、こんな時間に起きてるの珍しいね。どうしたの?」

「いや、何もないよ。たまたま目が覚めただけ」

「そっか、まあカレーを作ったから食べ」

「分かった」


 悠人は裕子と康太が話しているところをあたかも気にしていないかのようにカレーをどんどん口に運んだ。


 ダイニングテーブルを三人で囲みカレーを食べる。異様な光景に空気が動きを止めた。カチカチ、皿とスプーンが当たる音が動きの止まった空気の中で響いていた。


「ごちそうさま」


 悠人はこの空気から早く出ようと口にカレーを溜め込んだまま、キッチンに食べ終わった皿を置いた。二階に上がり、自分の部屋に入ったとき、大きくため息をついた。


 大学の英語の課題を今日の23時59分までに提出しなければならないことを思い出し、机に向かった。


 時計を見ると、20時10分。提出締め切りまでまだ時間があるので、少しベッドに横たわった。


 トントン、ノック音がした。


「悠人、ちょっといい?」

「うん、いいよ」


 康太が悠人に用があるなんていつぶりだろう。


「悠人はさ、手首に彫られたバーコードのことどう思ってる?」


 悠人はどんな重要なことを聞かされるのかと身構えていたが、なぜか街頭インタビューかのような質問をしてきた。


「うーん、あんまり信用してないかな。政府が何を考えて行ったかもよく分からないし」

「だよね、俺もそう思ってる。何か表向きの目的に不信感があるんだよね」

「それでさ、悠人に手伝ってほしいことがあって」


 悠人は康太がいつも部屋に引きこもって何を考えているか分からないから、これから言われる頼み事に少し恐怖を感じた。


「政府の個人情報管理システムをハッキングして、バーコードを手に入れてほしいんだ」

「何を言ってるの。そんなことをしていいわけないし」

「俺は小さい頃から友達が多くて、裕福な暮らしをしていた。だけど、お父さんが行方不明になってから貧しい暮らしに変わった。それと同時に友達もどんどん離れていったんだ。貧富の格差をここまで感じたのも、政府と関係のある仕事をしていたお父さんに何かあったからだと思ってて、何かしら政府が関係していると思うんだ。だから、政府の内部に潜入して真相を解き明かしたい」

「なるほど、確かにお父さんがなぜ行方不明になったかは気になる」

「だけど俺にはハッキングできるほどの知識も技術もないから、悠人にお願いしたい」

「うん、分かったよ」

「ありがとう。政府の内部に潜入するには富裕層になりすますことが一番の近道だと思うから、富裕層の人のバーコードをハッキングして入手してほしい」

「分かった。やってみるよ」

「よろしく」


 悠人は再び机に向かい、パソコンを起動させた。悠人は小さい頃からパソコンに興味があり、時間があればずっといじっていたから、プログラミングはお手の物だった。


 だが、今回はそう簡単なものではない。政府が管理する個人情報が全て入ったシステムだ。厳重なセキュリティが敷かれているだろう。


 悠人は幸い明日は大学も部活もないから、夜遅くまで取り組める。


 康太は悠人が打っている意味の分からない文字の羅列をじっと見つめていた。カタカタとキーボードを打つ音が時計の秒針の動きより早く聞こえてくる。


 時計を見ると30分以上経っていた。悠人の指は動きを止めることはなかった。すると、パスワードが出てきた。少し指の動きを止めたかと思ったが、再びものすごい速さでキーボードを打ち出した。


 康太は自分が使っているスマホのパスワードも一瞬で解読されるんだろうなと少し恐怖を感じた。


「できた」


 悠人は1時間程で政府管理システムのセキュリティを突破したのだ。ここからなりすます富裕層の人物を決める。


 条件としては、康太と同じ年代である20代の男性。そして会社を経営して富裕層になった人の息子。そのような息子はお金があることが当たり前の環境で育ったため、責任感も危機感も薄い。


 悠人はそのような人物を狙って個人情報が書かれたリストをスクロールする。丁度いい人物がいた。


_______________

 新島翔 

 24歳 男性  父親:新島不動産 社長


 学歴:交鈔学園幼稚園      

    交鈔学園小学校         

    交鈔学園中学校

    交鈔学園高等学校

    交鈔学園大学

_______________



 学歴は勉強せずともお金を使って、幼稚園からエスカレーターで大学まで行ったのだろう。この人にしよう。


 悠人は新島翔の個人情報が入ったバーコードを自分のデスクトップにコピーした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る