第4話 信頼

 全国民の左手首にバーコードを彫ってから一日が過ぎた。


 何か世の中が大きく変わる予感がしていたが、それは勘違いに終わった。 

 世の中で生きる人々は、何も変わらず生活している。自分も例外ではない。

 

 ただ、何もなかったかのように振る舞う人々を見ると、少し気持ち悪かった。

 

 SNSで繋がることなんて一切ない康太にとって関係ない話だが、世間はSNSでの個人情報の漏洩・侵害が後を絶たず、社会問題になっていたことを夕方のニュースで知った。


 検索エンジンに本名を打てば、通っていた中高の学校名、部活動の成績、プライベートの写真、幾らでも情報が出てくるらしい。


 康太が高校に通っていた頃も、制服を着た学生がコンビニでペットボトルのお茶を棚から手に取り、すぐさまキャップを開け、笑いながら飲んでいた動画がSNSで拡散されていた。その学生はすぐに特定され、様々な個人情報が開示されていく。


 ハイエナのように弱ったものを見つけては、取り囲み、集中砲火する。

 正義ぶったハイエナは、死ぬまで正義ぶっていることに気づかない。


 のちに、その学生が飲んでいたお茶はコンビニで購入後、お茶をもう一度棚に戻し、動画を撮影したことが分かった。だが、弁解しても意味がない。

 

 当時高校三年生だった本人は、進学・就職に大きく影響したのだろう。


 バズりたい! その一心で行った行動はあまりにも浅はかで惨めだった。


 ネット上に個人情報が溢れかえった現代で、個人情報を誰の目にも触れないことなど不可能だった。そこで、政府が動き、個人情報を全て政府の監理下に置いたのだ。


 これからの日本には明かり未来が待っているのか。多くの人はそんな疑問をもつことはないだろう。


「政府が管理してくれるから安心だね!」

「これで犯罪者が減るでしょ。」

「過去を気にせずに生きられる!」


「ほんとに政府に任せて大丈夫?」

 こんなことを言っても世間に声は届かない。政府が作り上げてきた世界だから。


 ゲームに夢中だった康太だったが、ここ最近はあまりゲームをせず、ただぼおっと左手首に記されたバーコードを眺めていた。


 この20本ほどの黒い線がその人間の価値を示している。


 このバーコードによって康太みたいな下位層とお金持ちの上位層は見えないまでも限りなく遠い存在になったか。それとも、下位層と上位層の隔たりはこのバーコードしかなくなったのか。


 康太は後者だ。このバーコードでしか階級の区別をすることが出来ない。


 人間は誰しも同じように生まれてきたはずなのに。


 このバーコードさえ変えることが出来れば、康太も富裕層の仲間入りだ。政府の監理下におかれている安心感から俺を疑うことは誰もしないだろう。


 このバーコードさえ変えられたら。

 

 このバーコードさえ変えられたら。


 フランス国旗を掲げ自由を求めて民衆を先導する女性が自分の中に生きている感覚がした。


 富裕層のバーコードを政府の個人情報管理システムにハッキングし、盗めばいい。だが、ハッキングできるほどの知識もスキルもない。誰かに頼むしかない。


 でも犯罪を頼めるような絶対的に信頼を置く親友もいなければ、犯罪に手を染めた人間も身の回りにはいない。


 そうだ、悠人に頼もう。悠人ならPCに詳しいし、信頼できる。


 悠人は大学の講義を終えて、いつも大体5時頃には家に帰ってくる。日頃、あまり話したりはしていないが、悠人にしか頼めない。


 康太が引きこもりになってから悠人に対して妬むことしかできなかった。

 

 大学の勉強以外にも弓道部に所属していて、土日も朝早くから大学に行っていた。文武両道とはこのことを言うだろう。


 悠人が小さかった頃、海外旅行に行ったときに人混みで家族とはぐれてしまった。周りを見ても背の高い外国人に囲まれて、夜の樹海をさまようような恐怖だった。


「お父さーん!お母さーん!お兄ちゃん!」


 体内から溢れ出る涙とともに、膨れ上がった風船が弾けるほどに声を出した。


 だが、いつになっても家族が来ない。体内の水分がなくなり、声を出す力がなくなって、地面にしゃがみこんだ。悠人はコンクリートに埋められた大小さまざまな石をただ眺めていた。


「悠人!迷子になるなよ」


 声が聞こえ、周りを見渡すと、康太が背の高い外国人たちを掻き分けながら、近づいてきた。


「行くぞ」


 康太に腕を引っ張られながら、人混みの中を進んだ。康太からしたらめんどくさかったと思うが、悠人からしたら康太の背中がすごく頼もしく見えた。


 悠人はいつもお兄ちゃんの背中を追いかけていた。人見知りで、なかなか友達をつくることができなかったから、小学生になっても康太と遊ぶことが多かった。今思えば、康太はもっと同い年の友達と遊びたいと思っていただろう。


 たまに外に出て家の近くにある公園でよく康太とサッカーをしていた。家から公園に行くまでに車通りの多い4車線の道路を渡らなければならなかったが、車が通るたびに聞こえる地鳴りのようなエンジン音が怖くて足がなかなか進まなかった。そんなときも悠人の手を引っ張ってくれて、一緒に渡っていた。


 友達が多くて、みんなに好かれている康太だったが、今はその影は全くない。自分の部屋に引きこもってしまってから、ほとんど話すことはなくなった。悠人からしたら今でも話すことに少しも抵抗はないが、康太からしたら兄弟の立場が少し変わって話しづらいのだろう。


 大学の講義が終わり、16時40分から弓道部の活動が始まる。部活は大体2時間ほどの練習で、7時過ぎには家に帰る。


 弓道部の部員は8人。同級生はいない。二年生が3人、三年生が4人、四年生が1人で、初めの頃は人見知りの性格だから、なかなか先輩と話すこともできず、一人ぼっちだった。でも、三年生の藤原さんがいつも優しく声を掛けてくれて、少しずつ弓道部の皆さんとも馴染むことができた。


 大学の数少ない友人である崎野とは、いつも食堂で一緒に昼ご飯を食べていた。ガヤガヤと5.6人グループでいる子たちの会話が自分たちの領域まで侵入してくるのを防ぎきれない。

 

 東京大学に入学すれば、もっと真面目で物静かな学生ばかりいるのかと思っていたが、いかにもFランにいそうなウェイウェイ系の大学生が多くいる。大学デビューしたのか、高校時代は真面目で遊んでこなかった名残が少し見える学生もいる。

 貧乏な家庭で親の負担を少しでも減らそうとしてとにかく勉強してきた学生や、親がお金持ちで小さい頃から英才教育を受けてきた学生。


 弱冠二十歳の様々な生き方がこの塀に囲まれた空間に吸い込まれていた。


 そんな中で政府は個人情報を保護するために国民全員の手首にバーコードを記す政策を行った。


 このバーコードで人の全てを記すことはできない、悠人も康太と同じように政府に対して不信感をもっていた。




 

 

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