第3話 義務
――康太とは関係のない世界が大きく変わりだした。
康太はいつもと同じように夕方のチャイムで目が覚めた。
ランドセルを大きく揺らし、体操服袋を蹴りながら、楽しそうに帰宅する小学生の声がとても耳障りでその声を掻き消そうとテレビをつけた。
するとニュースが流れていて、また近くのコンビニで強盗事件が起きたらしい。
だけど、強盗したのは一万円だけ。
一万円を握りしめて、颯爽と逃げていったという。
康太は強盗するなら、もっと奪え。と強く思う。
捕まったら、その何倍ものお金を支払わなければならないのに一万円だけ奪ってたら割に合わない。
強盗の犯人は小心者なのか、豪胆な人なのか分からない。ただ言えるのは、自分みたいな引きこもり以上に犯罪者は世の中に悪いことをしているということだ。
「続いてのニュースです。本日午後二時頃、国会にて個人情報保護法が改正されました。改正に伴って、全国民に対して個人情報を読み取れるバーコードを手首の内側に記すことが義務化されました。詳細につきましては、総務省から全国民にメールが送信されますので、ご確認お願いいたします。」
アナウンサーがコンビニ強盗のニュースを知らせる時と同じトーンで話していたので、どれほど重要なことなのかが馬鹿な俺でも伝わってきた。
康太はすぐさまスマホを手に取り、メールの受信箱を開いた。
いろんなゲームからのお知らせのメールでいっぱいになっている中で、総務省からのメールは黒曜石のように黒く光り、重たい字のように見えた。そして、いつも以上に強く指で押し込み、メールを開いた。
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この度、個人情報保護法が改定され、インターネット上にある個人情報を全て消去することが決まりました。それに伴って、全国民に対して手首にバーコードを記し、そのバーコードのみで個人情報を開示できることとなりました。また、個人情報を開示できるのは政府機関、又は政府公認の機関のみとなりますので、ご安心ください。そして、バーコードを記す日程・会場等は各市町村からのメールにてご確認お願い致します。
[※こちらの政策は任意ではなく、義務です。]
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このメールの内容よりもこのメールが自分に届いたことに驚いた。引きこもりで世の中に何も貢献していないのに、国民として認めてくれているように思えた。
だが、嬉しさは微塵もなく、ただ虚しさだけが腹の深いところまで重く沈んでいった。
このメールが自分に届かなかった方が心が楽だっただろう。
政府から強制的に外へ出ることを課せられたが、世の中と繋がるのはこの1回だけだと強く思い込み、康太は仕方なく行くことにした。
日にちは今週の日曜日、時間帯は世代別で20代は13:00からだった。
同じ年代の人が同じ時間で同じ場所に集まる。
大手企業で勤める人は友達に自慢をするだろう。
引きこもりをしている俺みたいなやつは、極力存在を消して時間が過ぎる事を待つことしかできない。
エリートコースを進む人を羨ましく思うが、妬むことはできない。今までの努力の差が大きすぎるからだ。
だがたとえ、タイムスリップして過去に戻れたとしても努力しようと思わない。悲惨な未来を知っていても知らなくても性格は変わらないし、努力したとしても同じような未来を辿るしかない。
康太がスマホの画面をもう一度見るとやけに明るく眩しく感じた。
画面が明るくなったのではない。外が暗くなっていたのだ。
時間を潰すために布団の中に入り、寝ることにした。
徐々に日曜日が近づいてくる。
永遠に日曜日が来なければいいが、そんなわがままは通用しない。
日曜日は久しぶりに自分とは関係ない世界の時間に合わさなきゃいけないから、土曜日は夜に寝ることにした。
かすかに小鳥のさえずりが聞こえた。土曜日の夜に寝てからそのまま天国まで来てしまったのか。閉じた瞼の間から漏れ出してくる明るい光がやけに眩しかった。
昼間に外に出たのはいつぶりだろうか。紫外線が嫌なほど降り注ぐ。真っ黒な帽子を深々と被り、頭だけは外敵から身を守った。
会場までは歩いて10分ほど。会場に着くまでに地面に溜まった熱で足が溶けそうだった。
会場入口の看板を見つけた。その周りには同世代の人が楽しそうに立ち話していた。久しぶりに会ったのだろう。少し身長が伸びただの、髪を染めただの、生産性のない会話で盛り上がっていた。
そんな人たちと極力目を合わせないように康太は視線を落とし、自分の歩く足を置ける場所だけを見ながら、中に入った。
受付の人に名前を聞かれ、
「...石川康太です。」
一瞬、自分の名前を思い出せなかった。
「では2番の列にお並びください」
名前を言うことに詰まったのを全く気にしないで、優しく促された。
パイプ椅子が縦に並べられ、列が進むごとに一つずつ座る椅子を変えていく。
前へ進むたび、工場のべルトコンベアーに乗せられているようで、大量生産されるロボットの気持ちだ。
「次の方、中へお入り下さい」
康太が扉を開けると、医師のような男性と看護師のような女性が椅子に座っていた。
「左手首を出してください」
「少しチクッとします」
モバイルバッテリーみたいな小型の機械を手首に当てられ、たった20秒ほどで国の管理下に置かれた。
部屋を出て、自分の左手首を見ると、長さが大小さまざまな20本ぐらいの黒い線が手首にこびりついていた。
まあ引きこもりの自分にとってこのバーコードを使うことは一生ないだろう。
こんなことを考えていた頃は、今思えば、純粋に生きられていた。
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