第2話 異世界の魔王様

 気が付いたら、やけに大きなベッドで寝ていた。

 身動きが取れない。腕が頭の上で拘束されているらしい。

 手首に感じるヌルリとした感触はタコのようで、薫の知っている手枷の感覚ではない。


(まだ、生きていた)


 目が覚める度、毎回思う感想は、こんなおかしな状況でも変わらないらしい。

 変な三人組と応戦して死にかけたことを、少しずつ思い出す。


(いや、今こそ正しい台詞だ。本当に死にかけたんだった)


 自分の体を確認する。全身傷だらけだったはずだが、綺麗に治療されていた。

 優秀な回復師ヒーラーでも居るんだろう。


(というか、服、着てない)


 自分の体がよく観察できると思ったら、下着姿だった。

 じわりと腹の奥が疼いて、体がビクリと震えた。思わず大腿を摺り寄せる。

 体が熱くて、勝手に息が上がる。下着が擦れるだけで、目が潤む。


(媚薬、とか言っていたっけ。こういうのは、慣れていない。対処法はマニュアルなら知っているけど、経験がないな)


 ただの手鎖なら骨を外して逃げられるが、触手のような手枷の抜け方なんか知らない。それ以前に、体に力が入らない。

 動くと背中に快感が走って、腹の奥が変な感覚になる。

 大きく息を吸い込み、ゆっくり吐いた。


「拷問でも、されるんだろうか」

「そういうつもりはないが」


 ぼそりと呟いた独り言に、返事が返ってきた。

 目だけで横を見やる。

 黒髪の男が隣に座って、薫を見下ろしていた。

 やけに全身真っ黒で、冷めた目をした人だった。


「拷問じゃないなら、強姦か」

「そういう気も、ないな。だが、お前が辛いなら、楽にしてやろうか」


 腹の上を男の細い指が滑る。


「!っ……やっ……っ」


 体が大きく跳ねた。背中を電気のような快楽が走った。腹の奥の疼きが増す。


「はぁっ……触るなっ」

「そうか。では、やめよう」


 手を引いた男は、特に興味のなさそうな顔で薫を見下ろし続けている。


「フイが悪戯したようだ。私にお前を犯させたかったらしいが」


 男の目が薫の腹の方に向く。

 ぐっと足を閉じる。隠すことはできないが、精いっぱいの抵抗だった。


「嫌がる女を抱く趣味はない。まして処女は好まない。……従者が悪いことをしたな」


 男の手が薫の額に伸びた。


「それより私は、お前自身に興味がある。眠っている間に、お前の記憶を覗き見た。要らないなら私が全部、食ってやろうか?」


 何を言っているのか、よくわからない。

 そういう能力なのだろうか。

 記憶を消したり操ったりする能力者は人間にも妖怪にもいる。


「この記憶は、お前にとって邪魔だろう。記憶コレのせいで、お前は生きることも死ぬことも選べない。ならばいっそ、捨ててしまえばいい」

「捨て、る?」


 額を指で突かれる。

 また体がビクリと跳ねた。少し触れられただけで、息が上がる。


「全部捨てて、やり直せ。そうすれば、本当の自分の気持ちが見えてくるだろう。自分がどうしたいのか、わかるかもしれない」


 自分がどうしたいのか。

 生きたいのか、死にたいのか。

 生きるなら、何がしたいのか。


(失くして、困ることもない)


 体を蹂躙されるくらいなら、記憶を喰われた方がマシだ。

 目の前の男に薫を犯す気はない様子だが、正直、薫の方が耐えられない。

 このままの状態が続くのは、それだけで拷問だ。

 体の感覚はどんどん敏感になっていく。腹の疼きが増していく。

 触れてほしいと、懇願してしまいそうだ。


「媚薬の、効果、消して。そうしたら、記憶を、たべていい、から」


 普通に話すことも出来ない。

 このままでいたら、理性まで飛びそうだ。


「ああ、そうか。気付かず、悪かったな」


 男の顔が近付いた。

 唇が触れる直前で、顔が止まる。


「薬の効果は吸い出すしかない。口吸い程度は許せよ」


 大きな手が頭の後ろに回って、顔を持ち挙げられた。


「待って、名前、おしえて。貴方の、な、まえ……」

「グラン。魔王グランだ」

「グラ、ン……んっ……んぁ」


 覆うように唇を重ねて、強く吸われる。舌に残った薬さえ吸い尽くすように、舐め挙げられる。口内を犯されて、体がびくびく跳ねる。

 腹の奥が切なくて、もっと深い場所まで触れてほしくなる。


「このまま私の魔力を分けてやる。お前ならきっと優秀な魔導師になれるだろう。自分の才を利用すれば、この世界はお前がいた世界よりずっと生きやすいはずだ」


 頭の中でグランの声がぐるぐる回る。

 流れ込んでくる魔力が腹の中に堪っていくのを感じる。

 これが増えたら人ではなくなるのだろうと、ぼんやり思った。


「どぅ、して……」


 どうしてグランは会ったばかりの薫を気遣って、こんなにも世話を焼いてくれるのだろう。


「すべては私のためだ。もう少し、深く吸うぞ。今度は記憶も吸い上げる」


 グランが薫の肩を抱き上げた。

 手首の拘束が解ける。解放された体が、グランの腕に落ちた。


「んんっ……」


 口付けが深まるたび、頭の中が蕩ける。

 余計なものが、全部流れて消えていく。

 重なる唇が気持ちよくて、絡まる舌がもっと欲しくて、薫はグランに手を伸ばした。

 その手をグランが摑まえる。

 握り返してくれる手が温かくて、体を寄せた。


「お前は、どこで生まれた? どこから来た? 名前は? 今まで、何をして生きてきた?」

「私、は……」


 当然に知っているはずの自分のことが、何一つ浮かんでこない。

 ここに来る前の、グランに口付けられるより前のことが、何もわからない。


「わから、ない」

「それでいい」


 グランの唇が額にあたる。熱い熱を押し付けられて、じわりと胸が震えた。


「お前のこれまでの軌跡は、私が覚えておいてやる。だからお前は、すべて忘れて新しく生き直せ。この城で、私の守護者として、私の傍にいろ」

「グランの、守護者?」

「嫌か?」


 ぼんやりとグランの顔を眺める。

 目の前にいるのは、どうやら魔王で、自分に新しい人生とやらをくれるらしい。


「嫌じゃ、ない。私に役割をちょうだい」

「記憶を奪っても、お前は同じことを願うのか」


 グランが困った顔で笑った。


「いや、お前に役割を強いるのは、私か」


 グランの手が頬を撫でる。

 悲しい色をした瞳が、真っ直ぐにこちらを見た。


「守護者は王を王たらしめる巫女シンボルだ。守護者がいる国には他国は手が出せない。別の世界から来たお前には、守護者になる資格と素養がある。だから、私の傍にいろ。いいな」

 

 ぼんやり頷いた。

 去るもなにも、他に行く宛などない。ここに、グランの傍にいるしかない。


「ならば、お前の名はミュゼだ。私の印を刻んでやる」


 グランが腹に手をあてる。

 丸い魔法陣のような印が、ミュゼの腹に刻まれる。

 温かくて気持ちがいい魔法だった。


「グラン、私。私は……、グランの役に立ちたいな」


 瞼がやけに重い。閉じそうな目を懸命に開ける。

 グランの腕が、ミュゼの体を包んだ。


「それがお前の本質、ということか。いいだろう。お前のやりたいように生きるといい。傍にさえいれば、私がお前を誰よりも大切に守ってやる」


 グランの声と言葉に安堵して、ミュゼは目を閉じた。

 包んでくれる腕は温かくて、総てを委ねて眠ってしまおうと思った。

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