第288話 俺たちの望んだ未来に

 彼らが感謝の意を最大限に示す気持ちも分からなくはない。

 この世界の住人には討伐不可能な相手だったんだ。

 異世界の俺たち、それも意志に関係なく強引な手段で呼び寄せ、結果的には世界のために行動させたことを考慮すれば、きっとみんなと同じ立場なら俺も最上位の礼節を持って感謝を伝えていただろう。


 確かにそれだけのことをしたんだと頭では理解してるつもりだ。

 現実的に起こりえない奇跡が叶ったような心境なのかもしれない。


 それでも俺は、みんなが頭を下げる姿は見たくなかったのが本音だった。


「ありがとう、最大限の感謝を示してくれて。

 でもみんなは、そんなことをしなくていいんだよ。

 俺たちは、俺たちの信じた道を進み、結果的に世界が救われただけなんだ。

 ……本当に、それだけなんだ……」


 赦せなかった。

 意味を感じない、理解すらできないことをする魔王が。

 命を命と思わないどころか、おもちゃにしか捉えてない価値観のすべてが。

 ただただ愉悦に浸るためだけに200年もの尊い日々を、呪いとして過ごさせていた悪党ですらない最低最悪の存在を、俺は拒絶しただけなんだ。


 ……だから俺は、そこまで感謝されるほどのことはしてないんだよ。


 そう思いながらも、俺は言葉を紡げずにいた。

 内心ではみんなの姿に相当困惑していたのかもしれない。


 みんなに褒めてもらいたくて魔王と戦ったわけじゃないからな。

 俺自身が倒したいと願ったから、そうしただけなんだ。


 そんな重苦しくも思える空気を壊してくれたのは一条だった。


「よしてくれ。

 鳴宮も言ったけど、俺も気に食わねぇ魔王をぶった斬っただけだ。

 そんでも礼が言いたいってんなら一言、"ありがとう"って言ってくれりゃいいんだよ!」


 どこか楽しげに笑う一条に、張り詰めたような場の空気が一気に緩んだ。


 いつだってこいつは自分の道を歩き続けてるやつだもんな。

 それが良くも悪くも、他者に強い影響力を与え続ける。


 だからこそお前は、"勇者"と呼ばれるような存在なんだろう。

 一条がこの世界に呼ばれた理由、今なら確信できるよ。


 ……物語に登場する主人公とは、随分と違う印象を受けるが。


 *  *   


 苦笑いが出てしまうような敬礼をやめてもらい、普段通りの姿を見せてくれたみんなに俺は安堵した。


 美しい煌めきを放ち続けながら空へゆっくりと流れる星々を眺めながら雑談をしていると、女神様は今後の話を始めた。


 すべては予定通りどころか、アリアレルア様が想定してた"最善"よりも遥かに前向きな結果となったことに、女神様は心から喜んだ。


 その慈愛に満ち溢れた美しい笑顔を見ていると、この方に世界を管理してもらえるなら何の問題も起こらないだろうと思えた。


 実際にはそれほど単純ではないと聞く世界の管理でも、きっともう大丈夫だろうと俺には思えてならなかったのは不思議な心境ではあるが、そう感じるのは女神様が心から世界を憂い、命を大切に思ってくださる方だと確信できるからだ。



 ……あの時。

 暗黒の物体を貫くために地上へ顕現されたアリアレルア様の表情は、これ以上ないと思えるほどの怒りに満ちていた。


 あれはもう、憤怒と表現してもいいかもしれない。

 それだけの怒りを見せる相手だったことは間違いない。

 きっと魔王に対しても平静を装ってはいたが、内心では身を焼かせるほどの激しい怒りでいたんだろうと思う。


 実際、あの暗黒物質は魔王よりも遥かに格上で、その目的も笑顔を歪めるには十分すぎた。


「……じゃあ、なにか?

 アタシらのいる世界は、そいつを送り込んできたやつの実験として使われたってことか?

 ハルトでも斃せないと判断したとんでもなく凶悪なもんを放り込んでおいて、研究結果を知るためだけだったってのか?」

「はい」


 美しい顔をしかめながら、女神様は短く答えた。


 ……データの回収。

 恐らくはその目的もひとつだ。

 "より強く頑丈な手駒"を創り出すため。


 何のために、なんてのは想像するのも恐ろしいし、俺は介入できない。

 あれが出現した瞬間、全身に確定的な"死"を刻み込まれた。

 思い出してみても震えがくるほどの圧倒的な悪意に、自分の身すら守れない俺なんかが首を突っ込んでいいような世界ではないことをはっきりと自覚させられた。


 確かに俺は、まだまだ未熟だ。

 奥義の"疾風迅雷"も、ひとまず放てる程度の練度だ。

 高め続けていけば、いずれあんな連中も一刀両断できるようになるかもしれないが、それがいつになるのかも俺には判断がつかない。


 今そこにある危機に関われるほどの強さは俺にはない。

 高め続けた技術も精神も、参加するには未熟すぎるんだ。

 その意志を言葉にすれば子供の戯言にしか思われないほど、俺は圧倒的に戦力不足なんだな……。


「ハルトさん。

 ハルトさんには待ってくださってる方がいるのではないですか?

 その方を悲しませるようなことをあなたがするとは思っていませんが、それでもどうか、大切に想う方の手を離さないでいただければ、私も笑顔になれます」


 ……すべてお見通しか。

 いや、俺は表情に出やすいからな。

 ここにいる全員に気付かれてるんだろう。


 力になれず申し訳なく思う一方で、どこか安堵した自分がいる。

 ただでさえ佳菜が不安に感じながら過ごしているかもしれないのに、これ以上問題事に首を突っ込めば本当に取り乱しかねない。


 佳菜は常に冷静で思慮深いと思われがちだが、俺に対してだけは別だ。

 軽い怪我でもしようものなら顔面蒼白になりながら心配するからな。

 これ以上、問題事に関わらないほうが、俺たちは幸せになれる気がした。


「真面目過ぎんだよ、ハルトは!

 そんな面倒事、できるやつに任せりゃいいんだよ!」

「……お前は大雑把すぎるぞ……」


 豪快に笑うヴェルナさんを、白い目で見つめるサウルさん。

 まるでいつもの日常に戻ったような、不思議な既視感があった。


「俺たちの戦いは終わったんだ!

 魔王を斃して世界は平和になった!

 それだけでいいじゃねぇか!」

「……カナタも、たまにはいいことを言う。

 あたしもそう思うよ、ハルト君」

「――ぅおい!?

 たまにってなんだよ!?」


 一条とレイラに、俺たちは声を出して笑い合う。

 こんな瞬間が来るなんて、この世界に降り立った当初は考えもしなかったな。


 ……まさか、あれだけ関わろうと思わなかった魔王を討伐するために世界を歩くことになるなんて、想像する方がどうかとも俺には思えてならないが、今もじゃれ合うように言葉を交わすふたりを穏やかな気持ちで見ている俺は、ようやく世界が平和になったと実感できたのかもしれない。


 一呼吸置いた一条は空を見上げながら、大切な人へ想いを綴った。


「……エルネスタのばあちゃん、見てるか?

 俺たち、魔王を斃して世界を救ったよ。

 ほんとはばあちゃんにもこんな気持ちを味わってもらいたかったけどさ。

 きっと俺たちの望んだ未来に向かってることくらいは伝わったと、俺は思うようにするよ……」


 晴れやかな、何よりも優しいその表情は、いつもの賑やかに感じる一条とは打って変わって別人にも思える姿に見えた。


 ……しかし、それ以上に異質だと思える気配を周囲から感じ取り、意識をそちらへ向けた。


「……カナタ、お前……なんも聞いてないのか?」

「んぁ?

 なにをだよ、ヴェルナ」


 一瞬、場の空気が凍り付き、ヴェルナさんたちはゆっくりと女神様に視線を向けた。


「そのお話は後ほどにと思いまして」

「……いやいや、そういうのは先がいいとアタシは思うんだが……」

「あ?

 なんだよ?

 なに言ってんだ?」

「……カナタ、お前……。

 いや、俺が言葉にすることでもねぇな……」


 サウルさんが一条から視線を逸らしながら話すことでおおよそを察した俺は、思わず右手でこめかみを押さえた。


 同時に、様々なことを理解する俺の耳へ、声が優しく届いた。


「なんだかとても、出辛くなってしまいましたね……」

「……え、エルネスタの、ばあちゃん……?」


 どこか申し訳なさそうな表情でカナタを見る高齢女性が、そこにはいた。

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