第277話 後悔しないのかよ

 分かっていたとはいえ、一条は心根が優しいからな。

 勇者としても、人としても、魔物や襲ってくる動物以外の命を奪うことに抵抗はなくならない。


 本音を言えばそれでいいと思うが、戦う覚悟は持つ必要がある。

 相手は悪党どころの話ではなく、魔王の手駒として使われる人間だ。

 魔王と対峙するまで一条は戦わないことが前提ではあるが、精神的に気圧されると良くない影響を与えてしまう。


 だがもうひとり、問題を持っていると言わざるを得ない人がいる。

 俺は視線を向けながら声をかけた。


「……無理をすることはないと、俺は思うが」

「確かにそうだな。

 連中もひとりひとりが、冒険者で言やぁランクAと同等のやつも多いだろうよ。

 でもな、俺も簡単に引き下がることはできねぇんだ」

「な、なんでだよ?

 おっさん、冒険者を引退してたんだろ?

 なら、あぶねぇことは極力避けるべきじゃないのか?

 そこまでする理由、おっさんには……ねぇだろ……」


 確かにそれは正論だ。

 でもな一条、それでもバルブロさんは引き下がらないよ。

 気配が一切変わらないどころか、より覚悟の決まった鋭さを強く感じる。


 俺もできれば戻ってもらいたかった。

 でも本人が決断したことに、俺たちが口を出すわけにはいかないんだ。


「俺はよ、ハルトとカナタを気に入っちまってるんだ。

 詳しく聞きゃあ、異世界から呼ばれた召喚者って話だ。

 この世界の住人でもないお前らがこの世界のために戦ってんのに、俺が立ち上がらないでどうすんだよ」

「……死ぬかもしれねぇどころか、その可能性が高いんだぞ?

 そんなんで……いいのかよ……。

 後悔……しないのかよ……」


 今にも泣きそうな顔だな。

 その気持ちも痛いほど分かるよ。


 けど……。


「……心配してくれて、ありがとな。

 でもな、そうじゃないんだよ。

 戦争で命を落とすのは誰にだって起こりうる。

 大切なのは、何に対して自分をかけられるかってことだと俺は思ってる。

 ……この歳まで生きてるとな、後悔することが多いんだよ。

 お前にもいずれ、理解できる時がくる。

 ここで動かなきゃ絶対に後悔するって瞬間がな。

 命を張る理由なんて俺にはそれで十分なんだ。

 むしろこの場を去れば、後悔しか残らねぇ。

 こいつは俺の戦いでもあるんだよ」

「……バルブロのおっさん……」


 いずれ分かる時が来る。

 そう彼は繰り返した。


 この世界は時として不幸に見舞われる。

 そしてそれは、安全な日本に住んでいる俺たちとは比べられないほど多い。


 だからこそ彼は、いやこの世界にいる住人は、最悪の可能性を俺たちよりも遥かに理解した上で生活しているんだ。


 それはとても悲しいことだと俺には思えてならないが、人が人を襲う危険な世界で"それでも生きなければならない"と感じるのは、安全な世界に生きてた俺たちの考え方に過ぎないんだ。


 的を射てない。

 そんな価値観を彼らは持ち合わせてないんだ。

 それがこの世界では当たり前のことだから。


 盗賊も、魔物も、そして戦争も。

 危険を身近に感じてる彼らからすれば、命を懸けるのも日常のことなんだ。


 俺もそれを分かった気でいるが、正確に理解してるわけじゃない。

 でも、彼の意志と覚悟を蔑ろにはしたくないんだ。


 一条も、彼の意を汲んでくれたようだ。

 深く呼吸をして心を落ち着かせながら、覇気を感じさせる表情で言葉にした。


「……死ぬなよ、おっさん」

「当たり前だ。

 魔王の断末魔を聞かずに死ねるかよ」


 もっと早く彼と出会っていればと思わずにはいられない。

 それでもバルブロさんは俺たちに力を貸してくれたはずだ。

 俺たちにできるのは、彼を信じて任せることくらいだろうな。


「単独行動をさせるつもりもないから安心しろよ。

 俺らも一緒なんだ、大船に乗った気持ちでいろ」

「だな。

 バルブロは死なせねぇよ」


 アーロンさんとサウルさんは、バルブロさんの肩に手をぽんと乗せながら言葉にした。

 そんな彼は複雑な表情を見せて答えたが、内心ではとても嬉しそうだった。


「この歳になって"おもり"をされるとは思ってなかったがな」

「背中を預けられる仲間がいると思えば悪くねぇだろ?」

「違げぇねぇな。

 全部終わったらよ、酒でも飲もうぜ」

「「お前の奢りでな」」


 3人は笑う。

 楽しそうに、何よりも声が届かないよう静かに。

 そんな3人の姿は、どこか羨ましく俺には見えた。


 *  *   


「……そんで、第三騎士団宿舎の正確な位置はどの辺りなんだ?」

「王城の東端です。

 距離はありますが、宿舎を出て真っすぐ進めば城へ入れる扉に出るでしょう」

「入ってすぐの階段から2階へ上がり、そのまま3階を飛ばして4階へ向かう。

 4階に着いたら中央を目指して進み、大広間の階段を使って5階へ。

 ここまでくれば謁見室は目と鼻の先だ」

「……そういや、東と西の階段は1階中央と違って特殊なんだったな。

 防衛目的かどうかは分かんねぇけど、かなり面倒な造りなんだよな……」


 ぼやくように話す一条に、思うところがないわけじゃない。

 だが城内に詳しい理由を聞けば、ロクな答えが返ってこないことは確実だろう。

 女性たちから向けられた冷たい視線に、一条は気付いていないようだ。


「……ともかくですね。

 正面中央を目指さなければ5階へは向かえません。

 恐らくは城内でも4階中央の大広間と、5階すぐにある回廊から謁見の間手前の部屋までに多数の騎士が配備されてるはずです」

「……こっから走るとなると、結構な距離があるな。

 俺らは大丈夫だが、カナタも行けるか?」

「俺の体力、なめんじゃねぇよ。

 魔王までぶっちぎって、魔王をぶった斬って終いだ」


 とても策には思えないが、それでも一条らしさは出てる気がした。

 モチベーションも下がることはないだろうと思えるし、何よりも体力馬鹿のこいつにとってはいい作戦かもしれない。


「そんじゃ、カナタの作戦で行くか。

 足が遅ぇやつは置いてくからな」

「……お前、楽しそうだな……」

「当たり前だろ、サウル。

 強行突破はアタシ向きなんだよ」


 清々しい笑顔で言われると、何とも言えない感慨が湧いてくる。

 でも、ここまで来たんだから、あとはひたすらに進むだけか。


「イレギュラーな事態にはその都度対応することになるけど、これだけ王城に詳しい仲間がいれば必ず突破できる。

 この石壁を崩せば音で気付かれるだろうから、一気に駆け抜けよう。

 可能な限り相手にせず、一条を無傷で魔王の元まで辿り着かせてほしい」

「分かってる。

 そんでお前もだ、ハルト。

 アタシらが護るのはお前もなんだからな」

「あぁ、ありがとう。

 俺も極力戦わないようにする」


 しかし女神様の話では、問題なく辿り着けるのは王城までだと聞いてる。

 実際どういった状況になるのか、"先見"の力をもってしても正確なことまでは分からないと言っていた。


 何か歪にも思える波長が邪魔をしているとも聞いたから、恐らくは魔王が影響を与えてるんだろう。


 気にならないと言えば嘘になる。

 だが、それでも俺たちは進むしかない。


「……わりぃな。

 借りるぞ、みんなの力」


 一条の言葉に、俺たちは力強く頷いた。

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