第255話 終われることで

 ハルトたちが退室した執務室で、ふたりは話をしていた。

 恐らくはそれも、あと数時間のうちになくなってしまうこともあるだろう。


 そう思えたからこそ、アウリスとユーリアは残された時間を大切に使おうとしているのかもしれない。


「なんと表現をすれば適切なのでしょうね、この感慨は……。

 やはり、"嬉しい"がいちばん近いような気がしますね」

「衝撃的な事実の数々にさすがの私も思考が凍り付いたが、まさかこの世界に女神様が実在するとはな……」


 そんなものはいない。

 故に、願いも救いも彼は求めなかった。

 実際にしたところで何かが変わることはないと考えたからだ。

 それはもう、結論を出したと言っていいほど明確な答えだった。


 神と呼ばれる存在など人の創った想像上のもの。

 縋るように祈ったところで何の解決にもならない。


 そうアウリスは、この200年間を過ごすうちで強く感じるようになっていた。


 正しく言えば、彼の推察も間違いではなかった。

 この世界は一度、神に見棄てられた地となっている。

 そこを現在の神様、正確にはこれからなってもらえるだろう女神様がいるのだと彼らは聞いた。


 だが、アウリスのように考察してしまうのも仕方のないことだと、記憶を失わずに呪われた世界を居続ける同胞たちは言うだろう。


 当然かもしれない。

 これまで200年間、救いを感じることなど、ひとつとしてなかったのだから。

 彼と同じように信仰心を捨てた者は、もしかしたら相当多いのかもしれない。

 祈りや願いでお救いくださる都合のいい神に縋ることは、どうしてもできないのだと強く感じるアウリスに同調する者も少なからずいるだろう。


 それでも、この世界は救われるという。

 その可能性が限りなく高いとすら思える未来に繋がる"希望"を、異世界人の少年ふたりに教えてもらったアウリスとユーリアの顔色はこれまでになく明るく、魔王への悪感情よりも遥かに前向きな姿勢をするようになっていた。


 時間にして、まだ1日足らずの出来事だ。

 半日ちょっとと言ってもいいかもしれない。


「よもや、これほど短時間に考えを改めさせられることになるとはな……」

「……ハルト様は小さな希望などではなく、眩いばかりの光に溢れた救世主様のおひとりだったのですね……」


 そうユーリアは、しみじみと言葉にした。


 その気持ちも良く分かるアウリス。

 彼もわずかな希望が少しでもあるのならと、世界を救える可能性が唯一残された魔導国家へと向かわせたつもりだった。


 しかし蓋を開けてみれば、世界は救われると彼らから想定外の報告を受けた。

 これは、ハルトを送り出した時点の彼らが考えていた未来から比べると、まったく別の結果をもたらしたと言っていいだろう。


「……ハルト殿を送り出した際に、そんな意図はなかった。

 邪悪な魔王を倒すことなど勇者にしかできんと言われる以上、何かわずかでも事態が好転するきっかけとなればと考えただけに過ぎない。

 リヒテンベルグであれば、200年の間に新技術を生み出しているはず。

 その中で、少しでも希望を持てるような情報さえ届くだけでも良かったのだ」


 実際、絶大な効果を持つ魔道具を新たな技術で開発しようと、人にどうこうできるような相手ではないと彼らは確信していた。

 200年前、世界を覆い尽くした破滅の波動は瞬く間に広がったと、彼らだけではなく魔王の力をその目にしたものであれば全員が等しく感じただろう。


 同時に、彼らの中では絶望にも思える現実を突きつけられる結果となった。

 この世界で最強の英雄たちが10人も向かい、それでも敵わなかった相手を討伐できるような人物は二度と生まれない、と。


 彼らはひとりひとりが一騎当千を体現するに相応しいと言われるほどの実力者だったが、誰ひとり帰ることはなかった。


 彼らの敗北と時を同じくして闇が世界を覆い、言いようのないおぞましい現象を人々にもたらした。

 ある期間が過ぎると記憶が強制的に戻され、さらにはその現象にわずかな疑問を持つことなく強引に会話を成立させられる、おおよそ人には理解しがたいもので、それをアウリスたちは"呪い"だと表現した。


 ハルトやカナタたちも同様の判断をした異常事態は、何も知らずに生きる者たちへ確実に爪痕を残している。


 絶望的にしか思えない状況ではあるが、世界規模で考えれば10年に一度、100年に一度の逸材がいつかは現れ、剣を取り仲間たちを鼓舞しながら立ち上がるかもしれない。


 しかし、ほぼすべての人命を魔王に掌握された今現在でそれを成し得ることは、現存してると報告を受けたリヒテンベルグの住民でなければ現実的に不可能だ。



 ……あまりにもか細い希望の糸だ。

 それすらもすでに切れているかもしれない。


 動けば消失させられるかもしれない彼らは、制約を課せられたようなものだ。

 現状を確かめにも行けず、調査依頼としてリンドホルムへ手紙を出すことすらも躊躇われた状況下で、彼らにできることなど何もなかった。


「……だが、ようやく終われるな。

 我らにできることなど、最早何もない」

「はい。

 ……でも……」


 徐々に日が昇り始めた空を見るようにユーリアは視線を窓へと向け、釣られたアウリスもまだまだ暗い町並みを眺めた。


 そろそろ起き出す者も多い頃合いだろう。

 今日も変わらぬ日々を過ごす町民たちは、それぞれの生活を始める。

 何も気付かず、何も知らず、各々が感じる平和を今日も始める。


 アウリスは思う。

 皮肉なものだ、と。


 魔王がこれほど近くにいるなど考えもしないのだろう。

 気まぐれで世界を滅ぼさんと行動を起こすかもしれない存在を目と鼻の先に感じる中、安息に暮らすなど常軌を逸してるとすら思えた。


 それでも、彼らはこの町を離れなかった。

 遠くへ行こうと思えば、いくらでもできた。

 なのに、留まるようにトルサで過ごし続けた。


 終わらぬ絶望を終わらせる者が現れると、彼らは心のどこかで信じたからだ。


 いつになるのかも、本当に現れるのかも確かなことは何ひとつ分からない。

 けれど、いつかは必ずその日が訪れ、解放されるようにこの世界から旅立てる瞬間は確実に来るのだと、内心では信じ続けていた。


 それもようやく現実として果たされる時が来る。

 終われることで、本来いるべき場所へ向かえるのだ。


 そう彼らは、強く感じた。

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