第156話 これもいい機会と

 商業ギルドへ向かう彼らと別れ、俺たちは宿屋の予約を済ませた。

 先ほど耳に届いた教会の鐘と思われる音色から、現在は15時のようだ。


「夕食には早いな。

 これからどうする?」

「町をぶらつくか?

 ついでに美味そうなもん探そうぜ」


 楽しそうに話すヴェルナさんに賛同した俺たちは、中央区へ向かいながら街道の横に設けられた露店に視線を向ける。


「……にしても、すげぇ人混みだな。

 それでも忙しなさは感じない。

 不思議な町に見えるな」

「町じゃなくて、国自体がこうなんじゃないか?

 ラウヴォラとも大して離れてないが、こうも違うと驚くのも当然だと思うが」


 行き交う人に焦りや不安、緊張感などの気配を微塵も感じなかった。

 静かでゆったりとした波長の人がとても多いことには、何か理由があるのかもしれない。


 そもそも俺がいる場所は"剣と魔法の世界"だ。

 武装した冒険者や憲兵、兵士や騎士が町中を治安目的で歩き、時には真剣を抜き放って対処することも厭わない。

 一歩町を出れば一般人では勝てないような凶悪な魔物や盗賊が出没する。


 そんな危険な世界で、これほどまでに穏やかな波長が出せるものなんだろうか。

 豊かな大地と清らかな水が心を落ち着かせることもあるとは思っていたが、さすがにこれだけ多くの町民が心静かに暮らせる状況に首を傾げてしまう。


「……まぁ、答えは出ないよな」

「だろうな。

 そんなもんだと思うだけでいいだろ」

「今のアタシにゃ居心地良く思えるし、別にいいんじゃねぇか?」

「そうだな」


 ふたりに答えながら、俺は思ったよりも心配性なのかもしれないと思え、内心で笑ってしまった。


 そういえば、前にも考えすぎだよと言われたことがある。

 異世界に来てから、少しナーバスになっているのかもしれない。


 ……いや、それも当然か。

 言葉が通じない海外の路地裏に迷い込んだわけじゃないが、それでもここは俺の知っている常識すら当てはまらないこともあるような"異なる世界"だ。


 正直に言えば、何が起こるのかも予測できない以上、神経質になるくらいでちょうどいいのかもしれないとも思えた。


「お?

 美味そうな匂いがするな!

 ちょうど小腹も減ったし、行ってみようぜ!」


 ヴェルナさんが指をさしたのは、少し小さめの店だった。

 甘い香りが優しく鼻をくすぐるスイーツ専門の飲食店のようだ。


「そういえば旅の間は酒を飲んでないし、甘いものが欲しくなるって聞いた事があるけど、実際のところはどうなんだ?」

「俺はあまりねぇけど、あいつは結構食ってるよな。

 酒飲みが甘味に走るってのは良く聞くし、そういうやつも多いんじゃないか?」


 確か、糖質を欲するようになるとか、そんな話だった気がするが、父さんは嗜む程度にしか酒を飲まないからか甘いものを食べることはなかったな。


「飲み始めると止まらないよな、ふたりは」

「まぁな。

 酒に溺れるほど飲んだりしないが、美味い酒の味を知ってると、な」

「ハルトも飲めるようになったらアタシらの言ってることも分かるようになるぞ。

 まぁ、お前はどうも親父さん似みたいだから、ちびちびと嗜む酒の飲み方になるような気がするんだけどな」

「どうなんだろうか。

 さすがに飲んだことがないから分からないな」


 本音を言えば、それほど興味もなければ未成年の間に酒を飲む行為は避けたい。

 ここが異世界で15歳になれば大人と周りから認められるとしても、武術流派の師範代を任された俺が自ら日本の法を逸脱するわけにはいかないからな。


 たとえ誰にもバレなかったとしても、俺自身がそれを赦せなくなる。

 人に教える立場の人間が自ら法を破ることはできるだけ避けたい。


 まるで心を見透かされたように苦笑いをするふたりに俺は呆れてしまった。


 そんなに分りやすいんだろうか。

 俺には嘘や隠し事なんて無理なのかもしれないな……。


「真面目だな、ハルトは。

 あまりにも真面目過ぎて息が詰まるんじゃねぇか?」

「そうでもないよ。

 これはこれで俺自身のためになってるんだ。

 それに、無理してるわけじゃない」


 興味はある。

 それでも、飲みたいと強く思うこともなかった。


「ま、そのうち飲みたくなるだろ。

 たしか"2年後"だったな。

 そん時に飲んでみればいいさ」


 そういえば、成人式なんてあったな。

 本音を言えば興味もないが、その時に父さんと立ち会うことになってる。

 それまでには成長を見せられるくらいの研鑽を積まなければならない。


 だが、考えようによっては、これもいい機会と言える。

 日本にいては経験できないことばかりだったからな。

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