第149話 最高のひと皿
"ドゥロットゥサーモン"
全体が白く美しいサーモンで、フォルシアンの湖に生息する固有種だ。
ヒレがやや長くシャープになっていて、ドレスのように見えることや上品な美味さがあることから"女王"を意味するドゥロットゥと付けられた。
ティルダを優勝に導いたこともあって、その味は格別に感じるだろうなと他人事のように考えてた俺たちだが、ヴェロニカさんの運んできた料理に思考が完全に凍り付かされるとは想像すらしてなかった。
想定してた美味さを遥かに超えた料理に戸惑いしかできずにいると、いつもの笑顔で彼女は作った料理の詳細を伝えてくれた。
しかし本気で驚くと、人は何も考えられなくなるんだと知った。
「……"女王"は美味いって聞いてたけどよ、さすがにこれは次元が違うな……」
一条の言葉に誰もが反応できず、ただただ目を丸くし続けた。
彼女の作る料理が美味いことは間違いないが、俺たちはいま世界一の絶品料理を食べさせてもらっているんじゃないだろうかと本気で思えた。
当然、そういった世界でも最高クラスの料理をすべて食したわけでもなければ、グルメ評論家が言葉にするような語彙力もない俺からすると、"美味い"とすら表現できずに凍り付くのは必然なのかもしれない。
しかし、料理は料理だ。
それがたとえ超一流のものだったとしても限度がある。
……そう、思っていたんだけどな……。
「じっくりと低温調理しましたので、身はふっくらと仕上がっています。
上質な甘みのある脂が乗っていたこともあって、フュメ・ド・ポワソンが利いた白ワインソースでさっぱりといただけるように私の故郷の味を作らせていただきました」
故郷の味、か。
得意中の得意料理を作ってもらえたようだな。
フュメ・ド・ポワソンとは、魚から取った出汁のことらしい。
思えば良質な魚が大量に採れる湖と彼女の腕があれば、いくらでも美味い出汁が作れるんだろう。
そこから様々な料理に活かしていくことで、これだけの美味さになるのか?
もはや素人の俺なんかでは表現することすらできない。
そう断言できる領域の料理を出されたことは間違いなさそうだ。
「……なんて、表現すればいいんだろうな……。
どんな言葉も蛇足に思えてしまう美味さに、何も出てこない……」
「……究極の料理。
これはもう、超一流の領域すら超えてると思う。
あたしはこんなに美味しいお料理を食べたことがない」
「……私もです。
家はそれなりに裕福でしたし、嗜みとして料理に関する知識もある程度は学んでいましたが、これほどまでの極上料理を食べたこともなければ、見聞きしたことすらありません。
食材の素晴らしさはもちろんですが、そこに超一流の調理技術が重なることで持ちうる最高の状態で作られた珠玉の一品。
お料理自体は一流料理店で食せますし、私は何度もいただきました。
けれど、このお料理はそれらと比べるのも失礼に値するほどの隔絶した領域に到達していると思えてなりません。
間違いなく"最高のひと皿"です」
「ありがとうございます」
ヴェロニカさんは満面の笑みで答えた。
この上なく嬉しそうな表情を見ていると、こうして客との距離が近い店を開きたかった彼女の気持ちも分かる気がした。
それにしても……。
あまりにもすごい料理を食べると、どうしていいのか分からずに戸惑うものなんだな。
宝石のような輝きを放つ"女王の料理"。
恐らくはもう二度と食べられないだろう最高の味を噛みしめるように堪能する。
これまで食べてきたヴェロニカさんの作るものは、そのどれもが本当に美味かったが、このひと皿だけは明らかに格が違うように思えた。
昨日まで食べてきた料理はこの町の、この国の人々に合わせた料理なんだろう。
だからこそ得意とする祖国の料理を作るとなれば、これほどの凄まじさを感じさせる至極の一品になるのかもしれないな。
* *
極上のひと時をゆったりと過ごした俺は、明日旅立つ旨をティルダに伝えた。
一条たちには話してあったが、出発は早朝になるからこれで別れとなる。
「……そっか……ううん、そうだよね……。
ハルトさんたちは旅の途中で、この町にちょっと寄っただけだもんね……」
「あぁ。
調査依頼の途中だからな」
「鳴宮たちが目指すのは"西の果て"、だったか?」
「一条たちは何か知ってるか?」
「いや、なんも聞いてねぇな。
荒れ果てた大地とか、大海原の先が絶壁にでもなってるんじゃねぇか?
そもそも俺の役目は魔王退治で、調査依頼じゃねぇしな」
「……え!?
カナタさん、勇者様だったの!?」
「おうよ!
別の世界から召喚された世界を救う勇者だぞ!」
「……大言壮語、良くない。
カナタはまだまだ習うべきものが多すぎる。
今のままで世界を救うなんて夢のまた夢。
起きたまま寝言を言える点は中々凄い」
「ぐぬぬっ!」
さすがに反論できなかったようで安心した。
とはいえ、まだ"世界を救う勇者"だって言ってることには呆れたが。
「……英雄譚でしか読んだことのない勇者様が……目の前に……」
瞳をこれでもかと輝かせるティルダ。
この調子なら別れの寂しさも少しは落ち着くかもしれない。
それよりも問題なのは、一条の悪い面の影響をティルダに与えないか、だな。
焦がれるほどに憧れ続けた物語の英雄と対面できたって表情をしてる。
かなり気になるが、あとは父親に任せるくらいしか俺たちにはできない。
実年齢以上に聡明なこの子なら大丈夫だとは思うが、小学生が鎧着て歩いてるような一条を見ていると、心配事が尽きることはなかった。
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