第148話 幻の魚

「俺たちと一緒でよかったのか?

 会場では参加者が釣った魚が食べ放題だったぞ」

「あのままいたら、"おめでとう、おめでとう"って言われ続けるんだもん……。

 それに、夕食はゆっくり食べたい」

「そうか」


 どこかやつれたように答えるティルダだった。

 思い返してみれば、表彰台から降りた直後からお祝いコールの嵐だったな。

 すぐに合流できたが、あのまま会場にいたらどうなっていたのかは分からない。


「このお店は初めてだけど、どんなお料理が出るか楽しみだなぁ」

「そっちは期待していいと思うよ。

 飛び切りの料理でもてなしてくれる店だからな」


 祝勝会と言っても、祝いの言葉はもうお腹がいっぱいらしい。

 地元の大会なんだから同じような日がしばらくは続くと思うし、俺たちも圧をかけかねない言動は避けるべきだろうな。


 その分、ゆっくりと料理を堪能してもらえればいいかと連れてきたヴェロニカさんの店、"月夜の湖亭"。

 ここでなら最高の調理技術で作られた芸術品とも言える食事がいただける。

 地元の人も多く通うわけじゃないから落ち着けるだろう。


 店内の数席に冒険者と思われる人たちが座っていたが、大会には参加しなかったようでこちらに注目は集まらなかった。

 すべての人が参加するイベントなんてないから、不思議なことではないが。


「こんなとこに小洒落こじゃれた店があったんだな。

 俺も朝早く出ちまうし、夜はさっさと寝ちまうしってんで、随分とティルダに寂しい思いをさせてるからな。

 これを機に、少しはふたりで過ごせる時間を作る努力をするか」

「ほんと?」

「あぁ、そのくらいは問題ねぇぞ。

 毎回メシを作ってもらわなくても食べに来ればティルダも楽だし、俺も船の上で釣った魚を焼いて食う単純な料理には飽きてきたからな。

 こんなこと言うやつは、この町じゃ珍しいんだけどよ!」


 ティルダの父ランナルさんは『がはは』と大きな声で笑った。

 その豪快さは絵に描いたような漁師の姿に見えた。


 フォルシアンの湖での漁は重労働だから、筋肉が自然とつくんだろう。

 特に湖を沖まで進むと、かなり厄介な魔物がうようよいるらしい。

 だからランナルさんがまるで歴戦の猛者のように見えたんだろうな。


 逆に言えば、肉体が鍛えられていなければ釣り上げられないほどの相手と日々命懸けで格闘してるってことになる。


 勇敢な父を待つ娘と言えば聞こえはいいが、内心では不安で仕方がないはずだ。

 それでも下手な冒険者よりは遥かに稼ぎのいい漁師を辞めるわけにもいかず、健気にもティルダは笑顔で父を毎朝送り出しているんだな。


「"いちばんをプレゼントするからな"と豪語したってのに、まさかティルダがもぎ取っちまうなんてな!

 そこそこ質のいい釣竿をあげた甲斐があったってもんだ!

 結局いい報告はできなかったが、違った意味で嬉しかったな」

「ううん、そんなことない!

 3位は十分すごいよお父さん!

 あんなに大きな魚を釣ったなんて!」

「確か3メートル58センチ、重さ300キロの大物だったか。

 正直、見ただけで圧倒されたのを覚えてるぜ」


 唸るように言葉にするサウルさんだが、俺も想像すらしていなかった。

 湖畔よりも沖のほうが大物を狙えるくらいは分かっていたが、それをこの目にしてみると驚きの感情しか湧かないほどの衝撃を受けた。


 彼が釣り上げたのはヘダーではなく、さらに上位と分類される大型の魔物だ。


 名を"セーゲルストレーム"。

 いるのか、いないのかも分からないツチノコのイッターシュトレームとは違い、紛れもなくフォルシアンの湖に生息する正真正銘の化け物級の魔物と扱われてる。

 それも当たりが来てから釣り上げるのに1時間以上は格闘するほどの強敵だ。


 水棲魔物の中でも相当の大型種で、冒険者ギルドには討伐依頼書すら貼り出さないとんでもない相手への準備を早朝から入念にしていたようだ。


 出発前に色々としなければならないことや、一度沖に出れば大会が終了するギリギリまで戻れない点を考えると、ひとりで遊ぶように湖畔での釣りを楽しもうとしていたティルダの気持ちも分かる気がした。


「まぁそれよりも、俺は愛娘が呆けながら表彰される姿に驚いたけどな!

 なんでいるのかも理解してないような顔は、当分忘れられそうもないぜ!」

「そ、それはもういいの!

 結局あたしがひとりで釣ったのは5匹だけだったし」

「"ドゥロットゥサーモン"が湖畔で釣れるのは相当珍しいって聞いたぞ。

 それこそ優勝するのには十分すぎたみたいだから、自信を持っていいと思うよ」


 本心からそう思う。

 あれほど見事な魚を釣り上げたのは本当に凄いことだ。

 それこそ"ビギナーズクイーン"の称号に相応しい魚だった。


「ニシンやらサーモンやらが大量にいる湖だけどよ、"女王様"は幻の魚って言われるくらい数が少ないんだ。

 俺も長いこと漁師生活続けてるが、目にしたのは大昔に思えるな」

「そんなに珍しいんだ、あのお魚……。

 もしかして味も美味しいのかな?」

「一度だけ食べたことがあるが、とんでもなく美味いぞ。

 ほっぺたが落っこちちまうような蕩ける上品な甘さが口いっぱいに広がる。

 生臭さを一切感じなかったし、どんな調理法でも他の魚とは比べられないほどに美味い食材だって聞いたな」


 頻繁に食せないのは滅多に釣り上げられないことや、希少性から値段が極端に高いことにあるようだ。

 ランナルさんの父、つまりティルダの祖父から15歳のお祝いに振る舞われた特別な料理は、今も彼の心を掴んで離さないほどの美味だったと言葉にした。


「……あん時の親父、誇らしそうに俺を見てたな。

 思えば、その翌日の漁で船から落ちて……」


 木樽のジョッキに入った酒を飲み干しながら、彼は続けた。


「そん時の体験から素潜り漁師に目覚めたんだよな」

「――ぅおい!?

 変なとこで話を切ってんじゃねぇよ!」

「悪い悪い。

 喉が渇いちまったんだ」


 楽しそうな顔で笑って答えるランナルさんに白い目を向けながら突っ込む一条だが、俺も同じことを考えていた。

 できればそういった話し方は避けてほしかったのが本音だな。


「おじいちゃん、"最年長素潜り漁師を目指すんだ"って手紙をくれたね」

「まだまだ現役なのにさっさと船降りちまうんだから、本当にもったいねぇよ。

 知らない漁師はモグリって言われてたのに今じゃ自分から潜ってるなんてな!」


 ……笑うとこ、だよな……。

 ランナルさんも豪快に笑ってるし、笑っていいんだよな?



 ……危険な魔物が泳ぐ湖に潜っても大丈夫なのかと心配になるが、そういったのが襲ってこないような潜れる場所もフォルシアンの湖には多いんだとランナルは話した。


 ともかく、ティルダの祖父は健在そうで何よりだ。

 どうやら悠々自適なスローライフを満喫してるみたいだな。


 笑うに笑えない話をなんとも形容しがたい複雑な感情で聞いていると、料理の第一陣がテーブルに到着したようだ。

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