第142話 すげぇ人混みだな

 未明に軽く雨が降ったこともあって、普段よりも涼しさを肌に感じた。

 朝露に濡れた草花の香りは優しく鼻腔を通り抜ける。

 清々しいと思える早朝の街道を、俺たちは話をしながら歩いた。


 思えばこれだけ大勢で歩くことも、パルムの依頼以外ではなかったな。

 まるで悪夢のような一件をどこか部外者のように感じるのは良くないと思う一方で、本音を言えば悪党どもの企みを忘れたいと強く願う俺がいた。


 その話を一条たちにもしたが、"どんなとこにも悪党ってのはいるからな"と真顔で言葉を返されて少し驚いたが、こいつもこいつなりに色んなことを経験しているのかもしれないと考えさせられた。



 ヴァレニウスの北区は主に湖周辺の諸問題を解決するための組織と会議所が設けられた地区で、様々な厄介事にも対処できるようにギルドも置かれているらしい。


 フォルシアンの湖に厄介な魔物が存在するのは知っていた。

 中でも危険とされるのは、体長が2メートル以上もある魚型の魔物か。

 "ヘダー"は湖に生息する魔物の中でも特に攻撃的な上に、大きめの船で沖に出なければ遭遇できないこともあって非常に危険視されている。


 討伐には専用の銛が必須らしく、水中を泳ぎ回る相手に魔法や弓矢は効果的ではないために、操舵技術の高い漁師と船上で倒れずに銛を打ち込めるほどの平衡感覚に優れた者が求められる。


 逆に言えば、こういった場所は漁師の独壇場かもしれない。

 剣や弓、攻撃魔法などが扱えなくても、銛ひとつで討伐が可能な魔物らしい。

 冒険者を必要としていない討伐が達成できることを考えると、"ヘダー討伐"はかなり特殊な依頼だったみたいだな。


 むしろ、魔物討伐専門で活動する漁師がいるかもしれない。

 そう思えるほどの報酬が用意されていたから、本当にいそうだな。


「お、あれじゃねぇか?」


 心を躍らせながら一条は指をさした。

 数々の屋台が並ぶ先に、ひと際目立つ仮設テントが見えた。


「受付も5つあるのか」

「にしても、すげぇ人混みだな。

 町中から集まってんのか?」


 呆れるように周囲を見渡しながら、サウルさんは言葉にした。

 話には聞いてたが、これほど多くの人が参加するとは思っていなかった。

 多額の賞金が出るなら当然かと納得できるが、これは入賞すら難しそうだな。


 受付の横には、様々な大きさの釣り具が置かれたテントが用意されるようだ。

 中では説明を受けている人たちが何人も見えるし、すれ違う子供たちも笑顔で釣竿やバケツを持ってることから、本当に多くの町民に楽しまれているイベントなんだな。


 香ばしい魚の焼ける香りが屋台から漂う。

 ほぼ同時に、横を歩いてた男の腹が鳴った。


「……もうちょっと待てる?」

「受付を済ませたらすぐ食事にしましょうね」

「どんだけガキ扱いされてんだよ俺は!?」


 肯定はしなかったが、俺たちも同じことを感じていたのは伏せておこう。

 ヴェルナさんはもちろん、サウルさんも一条を子供扱いしてるからな。

 こいつに比べたら、俺はまだまだ落ち着きがある方だろうと思えた。


 *  *   


「……はい、必要事項のご記入に不備はなさそうですね。

 大会規約について、何かお聞きしたいことはありますか?」


 念のため、みんなに視線を向けたが、どうやら問題なさそうだ。


「大丈夫だ」

「隣接されたテントで釣り具を貸出していますので、どうぞご利用ください」

「あぁ、そうさせてもらうよ」


 終始笑顔で対応してくれた女性だが、彼女に見覚えがあった。

 先日冒険者ギルドで依頼書を持って行った際に対応してくれた女性だ。

 どうやら多くのギルド職員も大会の運営に回されているようだな。



 大小様々な釣竿が並ぶテントに行くと、人の良さそうな男性が対応してくれた。

 さすがに強面の男性に来られても女性や子供は引くだろうし、そういった配慮もされているんだろうなと苦笑いが出そうになった。


「やぁ、おはよう。

 釣りは初心者さんかな?」

「あぁ、全員そうだよ。

 必要なものを借りられると聞いたが」

「色々あるよ。

 まずは釣竿と水汲みバケツ、替えの釣り針にプライヤだね」

「プライヤ?

 ペンチじゃねぇの?」

「これはペンチよりも開口範囲が大きくて扱いやすいんだ。

 魚が針を飲み込んで外し難かった時に使ってね。

 あと餌だけど、虫は大丈夫かな?」

「……ぅ」


 明らかな嫌悪感を見せた一条。

 俺もどちらかと言えば苦手だろうな。

 正直、動いてるモノに触れたいとは思わない。


「じゃあ練り餌にしよう。

 うねうねよりも魚の喰いつきは悪いし、長く水の中に入れてると溶けちゃうから、あまりにも釣れないと感じたら確かめてみてね」

「おぉ!

 それなら俺でもできそうだ!」


 ぱぁっと明るくなるが、内心では俺も安堵していた。

 釣りをするだけでもそれなりの覚悟が必要かと思ったからな。


「これが釣竿だよ。

 初心者さんなら3メートルから4メートルくらいが使いやすいと思う。

 練り餌は針の中心に来るように付けるのがポイント。

 ここから形を三角にすると水の抵抗を受けて餌が回るんだ。

 そうすることで魚に注目されやすくなるよ」


 平べったい形にすれば、ひらひらと舞うように沈むらしい。

 餌の付け方ひとつで釣れる量も随分と変わるよと男性は教えてくれた。


 小さすぎる魚や小エビなどは練り餌以上に効果的で、餌にするといいようだ。

 どちらも針を隠して付けることや、魚の場合は一度針を通して体に巻き付けるようにする方法も教わった。


 中でも興味深かったのは、釣竿と付けられた糸だろうか。


「針は一般的な鉄製だけど、釣竿と糸は特別製なんだ。

 釣竿は若手の木工職人が作り上げたものの中でも良質な竿だよ。

 特に糸は頑丈さを重視してあるから、どんな大きな魚だろうと湖畔で釣るには十分なほどの耐久性があるよ」

「随分と良質な道具を貸してもらえるんだな」

「これも若手職人の育成に繋がっててね。

 多くの人に使ってもらえることで、作った本人の励みにもなるんだよ」

「なるほど」


 納得するように俺は頷いた。

 折角作ったのに使ってもらえないのは切ないし、何よりも手応えを感じないんじゃ空しくなると思えた。


 釣り大会は町民の楽しみだけじゃなく、若手職人育成としても使われていることには驚いたが、もしかしたらそういったことから自然と開かれるようになったイベントなのかもしれないな。

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