第132話 正しい道へ導けるように

 一条はまだ苛立ちを抑えきれないようだな。

 見るからに嫌悪感すら含ませた表情で言葉にした。


「……くっそ!

 あれだけ努力しても、全然届かねぇとかありえねぇだろ!!

 お前!! "無能"じゃなかったのかよ!?

 こんなんチートだろうがッ!!」

「……ちぃと?

 なにそれ?」


 レイラだけじゃなく、俺以外の全員が首を傾げる単語なのは間違いない。

 それもそうだろうと思いつつも、ゲームにそこまで詳しくない俺が少ない知識でどう表現すればみんなに伝わるのかを考えながら言葉にした。


「なんて説明すれば分かりやすいだろうか。

 ……例えるなら、盤上の遊戯で本来ある規則を無視して駒を自在に動かしたり、手数を増やして相手を一方的に圧倒するような"ズル"がいちばんしっくりくるか」


 正確には違うと思うが、こういったことを異世界人である彼女たちに説明するのも一苦労だな。


 それに、一条が言いたくなる気持ちも分からなくはない。

 俺が身に着けた技術は、一般的な武術流派のそれを大きく逸脱する。

 前回と同じく一葉流は使わずにただの体術で圧倒したが、仮に"明鏡止水"のひとつでも使った状態で殴っていたら、こいつは一撃で大変なことになっていたのは確実だ。


 それだけの強さにまで到達したんだから、"意味が分からない"と判断されても仕方のないことだと理解はできるが、それでも今の発言は少し暴言に思えてならなかった。


「カナタ」

「んぁ?

 何だよ、アイナ」


 それを遮ったのは、アイナさんだ。

 続く彼女の言葉に真意を理解した俺は、何も言わずに彼女の希望に添えた行動を取った。


「ハルトさんと握手をしなさい」

「……うぇ?

 ……なに、言ってんだよ」


 彼女の口調は、いつもの温厚なものでは決してなかった。

 アイナさんの放った一言は、カナタの抑えきれない憤りを一瞬で落ち着つかせるほどの効果があったようだ。


 普段から、こういった強い言葉を彼女が使わないことくらいは俺にも分かる。

 同時に、それが何を意味し、アイナさんが何をさせたかったのかも理解できた。

 混乱の最中にいる一条は戸惑いを見せ、彼女はより強い口調で繰り返した。


「握手なさい」

「わ、分ったよ。

 ……ったく、なに怒ってんだよ……」


 渋々こちらに近づき、一条のほうから右手を差し出す。

 こういうところも、こいつのいい部分だと思えた。


 こいつは馬鹿だ。

 良くも悪くも。


 思い込みも若干激しくて、考え足らずで、幼く拙い行動を取る。

 でも根は真面目で、一度火が点くと辛く厳しい鍛錬だろうと逃げずに取り組む。


 諦めず、へこたれず、それがたとえ俺を倒したいと思う私怨に近い負の感情のように思えても、その本質は真っすぐ武術と向き合える。

 本当にロクでもないガキなら、彼女の言葉だろうと即答で拒否したはずだ。


 ……こいつは馬鹿だ。

 馬鹿正直で真っすぐに突き進み過ぎる。

 だからこそ、教育者の末席にいる俺もこいつを嫌いになれない。


 分かるんだよ、そういったことも。

 気配を読めるようになると、はっきりとな。


「……なんだってんだよ……ったく」


 俺が右手を一条に重ねると同時に、驚愕の表情に変貌した。

 どうやら俺の右手に意識と視線が集中してるようだな。


「もう、分かりましたね、カナタ。

 私がハルトさんと握手をさせた理由が」


 ……これで、少しはこいつの精神を鍛える切っ掛けになるだろうか。


 アイナさんの言葉を耳にしながら、俺は心から願った。

 一条の向かおうとする方向を、正しい道へ導けるように、と。


「カナタ。

 これがあなたの言い放った"ちいと"であるかどうか、私には分かりません。

 それでもハルトさんの手に触れて"ズル"だともう一度言葉にできるのであれば、私はカナタを強く叱りつけなければなりません。

 ハルトさんが努力もなしに達人の領域へ到達できたと本気で思っているのであれば、これまで以上に厳しい鍛錬をあなたに強いる必要が出てきます」


 はっきりと、しかし静かな怒りを感じさせる声色。

 とても優しく美しい顔は険しさを表し、けれども諭すように荒げず言葉を選ぶ彼女は冷静さを保ち続けながら話した。


「ハルトさんほどの技量に到達するまで、どれだけの歳月を要したのか。

 一朝一夕で手に入れられるほど"甘い世界"にいないことだけは確かです」


 目を丸くしたまま、俺の右手を凝視する一条。

 何万、何十万回と木刀を振り続け、技術を高め、何度となく怪我と完治を繰り返した俺の手は、一般的な高校生ではありえないほど分厚くなってるからな。


 そんな俺の手を佳菜はいつもと同じ表情で自然に繋いでくれるが、同級生からすれば異質以外の何ものでもなく、一度触れただけでも引かれてしまうほどにまで変化している。


 研鑽を積めばこうなるとは限らない。

 けれど、努力すればするほど厚みが増すものだと思っている。


 同じように努力した者がこの場には多い。

 むしろ、一条以外は全員がその意味を理解してる。

 だからレイラが口添えをしたのは、当然だったのかもしれない。


「……ハルト君は努力家で、今も研鑽を積み続けてる。

 カナタが人並み以上の努力を数か月続けたとしても、追いつける領域にいない。

 もう、カナタにも分かってるよね?

 "ズルなんて言葉、使っちゃダメだ"って。

 それはハルト君にも、サウル君やヴェルナさんにもすごく失礼」


 俺の手を放し、その場にすとんと力なく座り込む一条。

 その表情からは申し訳なさで溢れたものを強く感じさせた。


「……悪かった。

 勢いに任せて出たからと言って、鳴宮を侮辱する発言だった」

「あぁ。

 一条の気持ちは十分理解できたよ」


 ほんと、鍛え甲斐のあるやつだよ、お前は。

 だからこそ"勇者"としてこの世界に呼ばれたんだなと思えるほどに。



 もしかしたらこの日、この瞬間が、こいつにとって変化の兆しだったのか。


 随分と尖っていた性格はわずかに落ち着きを見せ、自覚とも思える意志の強さが深く根付いたようにも感じられた一条が侮辱と取れる発言をすることは、二度となかった。

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