第120話 ただそれだけのこと
様々な理由から行列ができないことに違和感を覚えるが、実際にはこの町の住民が持つ特性と呼べるものが大きく関係しているようだ。
そしてそれをヴェロニカさん自身が良く理解し、あえてヴァレニウスで店を構えたのだと、彼女は笑顔を崩すことなく話した。
「この町では食材本来の味をより感じられる質素な食べ方が好まれるんです。
一般的には魚の塩焼きが人気なのですが、手の込んだ料理を食べるとすぐにまた塩焼きが恋しくなるのだとか。
その理由も、湖の恵みの質が良いからこそ来ているものだと私は思っています」
確かに食材が良ければ、下手に手を加えるよりもシンプルな調理法が美味いこともある。
むしろ最上の素材だからこそできる、最高の食べ方のひとつかもしれない。
俺にもその気持ちは理解できる気がした。
日本人も素材本来の旨味を最大限に引き出された料理を好むからな。
とはいえ、客が少なければ商売も厳しいのではと思ってしまうが、どうやら杞憂に終わりそうだ。
「このお店は元々町に住まう皆さまではなく、冒険者や商人などの旅人さんを対象としてお料理を出させていただいています。
もちろんヴァレニウスに住む方も多くいらっしゃるのですが、面白いことに一度食すと数日は来店されないようですね」
とても興味深いです。
そう彼女は楽しそうな笑顔で続けた。
彼女としても賑やかすぎるのは苦手である点や、最上の食材を手間暇かけて作り、ほどほどの人数の客に親しまれるような店を作りたいと願った。
ヴァレニウスに住まう人たちの特性と彼女の経営方針が絶妙に合った結果、行列のできない隠れ家的な料理店が完成した、ということのようだ。
そして俺たちが部屋を借りた宿屋"湖畔の寝台"の店主であるオーサさんとも深く繋がっているのだと、彼女は話した。
彼女の店は冒険者や商人などの旅人をターゲットにしているため、旅人の多く泊まる宿屋が客にヴェロニカさんの店を勧めていた。
逆に宿が決まっていない人には"湖畔の寝台"を勧める、いってみれば持ちつ持たれつの関係をしているようだ。
当然、彼女たちも十年来の知り合いなどではなく、幼馴染なのだとか。
互いに互いを深く知っているからこそ勧められる関係なんだな。
手の込み過ぎた彼女の絶品料理を他の町で出せば絶大な評価を受ける。
しかし、このヴァレニウスに限って言えば落ち着きを見せるという、とても不思議な状況になっていた。
つまるところ、ヴェロニカさんにとってこの町は"最適"だった。
そう思える場所を見つけられたことに羨ましく思えるが、俺も旅をしていれば見つけられるんだろうか。
……いや、その考えは良くないな。
どの道、俺は日本へ帰還しなければならない。
この世界に未練を残すような場所を作るべきじゃない。
帰る前には恩返しをしたいし、やり残した依頼もあるからそれらすべてを達成するまでは行動することもできないが、この世界に骨を埋める気はないからな。
「ありがたいことにお客さんは絶えず足を運んでくださってますし、この町は最上の魚介類で溢れていますから、料理人としてもここしかないと思えたんです。
オーサをヴァレニウスに連れてくる結果となりましたが、あちらはあちらで順調のようですし、結果的にも良かったんだと私は思っています」
何とも大らかな性格に思えるが、繁盛しすぎないことを望んでいるようだ。
それ以外にも何か大きな理由があるんじゃないかと思っていると、彼女はどこか寂しげに答えた。
「お店が繁盛すればするほど、厨房から出られなくなります。
私はお客さんの嬉しそうに食べてくれる表情を見たり、美味しかったよと直接伝えてくれるのが何よりも嬉しいんです。
だから忙しすぎるのは、私にとっては良くないことなんですよ」
この町は相当不思議な住民が多く暮らしてるみたいだ。
……いや、質素な料理を好む俺がそれを口にしてはいけないか。
彼女は料理をひたすらに作り続ける毎日が堪らなく嫌だったんだ。
ヴェロニカさんが抱いている気持ちも、俺には良く分かる気がした。
そんなロボットみたいな暮らしは、きっと多くの人も嫌がると思えた。
お客さんの顔が見たい。
笑顔で食事をしてもらえるのが嬉しい。
直接話をすることで確かな手応えを感じる。
これは"わがまま"などではない。
むしろ、料理人としての活力に直結すると思えた。
きっとこの感性は、"金を払えば何をしてもいい"なんて馬鹿なことを考える連中には到底理解できないだろうな。
それに、彼女はすでに達人級の腕前にまで到達しているんだ。
彼女の努力を無視して"料理人ならこうするべきだ"と言葉にすること自体が間違っている。
自分にできないことを他人にやれと上から目線で言葉にする無責任な人間も、相当限られると思うが。
彼女の信念は正しいし、至極真っ当だとも思える。
同時に、料理人としての"ひとつの到達点"なんじゃないだろうか。
「……すごいな、ヴェロニカさんは。
ひとつの道を高めた先輩として、純粋に尊敬するよ」
「ありがとうございます。
でも私は尊敬されるよりも、お客さんと同じ目線に立ちたいだけなんです。
ただ、それだけのことなんですよ」
そう彼女は、とても優しく微笑んだ。
その姿が俺には、いや俺たちには、とても魅力的に見えた。
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