第118話 平和に慣れ過ぎてる
宿で部屋を借りた俺たちは、他愛無い雑談をしながら町を歩いた。
隣を歩くふたりも、ほとんど俺と変わらない知識しか持たない。
ある意味では、同じように新鮮な気持ちでいるのかもしれないな。
だがしばらく町中を歩いていると、これまで感じなかったある変化に気付いた。
それは違和感のようなものではなく、とても過ごしやすいと思える気配だった。
「……なんていうか、随分と穏やかな気性の人が多い国だな」
「そいつぁ国民性とも言えるだろうな。
尖り散らかした小娘には居心地が悪かったのを覚えてるよ」
「俺も随分若かったからなぁ。
そういったところからすぐに離れたのかもしれねぇな」
ふたりの言葉に、苦笑いしか出なかった。
同時に、ヴァレニウスが巨大な湖と隣接されていたことを知らなかった理由に繋がったような気がした。
そりゃギラついてたらこの町の空気は合わないだろうなと、半ば呆れた。
この時の俺は、ふたりの言葉が何を意味しているのか分からなかった。
今はただ、穏やかな波長を優しく緩やかに溢れさせる町民たちに癒されるような気持ちのほうが、ずっと強かったのかもしれない。
オーサさんおすすめの料理店は、中央広場から東に少し小道へ逸れた路地裏にあって、人通りも割りと落ち着きを見せる静かな場所の隠れ家的な店だった。
夕刻頃でもあるためか、徐々に混み出す前に来店できたみたいだな。
香ばしい匂いが食欲を掻き立て、より空腹感が強まった。
"月夜の湖亭"
思わず意識を向けてしまうような綺麗な名称が付けられた料理店で、"湖畔の寝台"の女性店主オーサさんおすすめの店だ。
ここで食べる魚料理はそのどれもが美味しく、またこの店限定の特別なサービスをしているそうだが、それに関しては行ってからのお楽しみだと満面の笑みでオーサさんに言われた。
来客を知らせるドアベルが心地良く鳴り、入り口近くのテーブルを拭いていた女性が優しい笑顔で対応してくれた。
「いらっしゃいませ。
お好きな席へどうぞ」
年齢は20代後半といった大人の女性だろうか。
ふんわりとした空気を緩やかに醸し出しながらも、明確な意思を持った芯のある女性のようだ。
ゆったりと、それでいて澄み渡る湖を思わせる透き通った声の女性で、その姿にどこか不思議な魅力を感じた。
適当な席に腰を掛けた俺たちは雑談をしながら、注文を取りに来るのを待った。
「本当にのんびりとした町だな。
パルムとはまったく違う空気を感じるよ」
「だな。
昔はそれがあまり受け付けなかったが、今はなんともねぇな」
「アタシらも大人になったってことだろ」
声に出して笑うヴェルナさんに突っ込むべきかと悩んでしまう。
そもそも俺には住民から発せられる気配のほうが性に合っている。
むしろ、そんな刺々しい暮らしを今も続けていたのなら、俺たちも一緒に行動することはなかったかもしれない。
だが、ふたりの理由も、平和な世界から来た俺になら分かる気がした。
ふたりは懸命に生きていたんだ。
いつ朽ち果てるのかも分からないような世界で、必死に生きていた。
だからこそ、性格まで鋭くなっていたんだろうと俺には思えた。
つまるところ、そういった危険と隣り合わせの世界で、いつ死ぬかも分からない場所を受け入れざるを得なかったってことにもなるんじゃないだろうか。
……いや、そんな感覚すらなかったのかもしれない。
それが、"この世界では当たり前のこと"だからな。
旅をすればするほど気付かされる。
この世界と日本の明確な差を。
同時にそれは差であって、
魔法が使える。
魔物がいる。
……違う。
"異世界だから"なんてのは些末なことだ。
日本にだって魔法のような威力を持った重火器がある。
魔物としか思えない、強烈な悪意を振りまく悪党もいる。
ゲームやアニメなどを強く連想してしまう異世界に飛ばされたからといって、その本質的なものはそれほど差がないと俺には思えてならなかった。
そうじゃない。
そうじゃなかったんだ。
日本も戦前はこんな感じだったのかもしれない。
平和に慣れ過ぎてるんだ、俺は。
だから盗賊のやることなすことのすべてを理解できない。
でも、もし仮に俺が明治以前に生まれていたら、こうはなっていない。
俺が平和ボケしているんだ。
そこに現代人だから、なんてのは言い訳に過ぎない。
そんなことを考えている間に敵は襲ってくる。
明確な悪意を向けて。
確実にこちらを摘み取ろうと、なんのためらいもなく刃を振り下ろしてくる。
それを強く感じさせたふたりの話に、俺は強い衝撃を受けた。
……なんて世界だ。
知れば知るほど恐ろしく思える。
それでいて美しいとも感じるんだから、本当に不思議な気持ちだよ。
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