第87話 熾烈を極めた戦い

 翌日、俺たち4人は"蒼天の盃亭"へ夕食を取りに来ていた。

 アートスたちは新人育成のために開かれる訓練所の登録を済ませ、午後にはもう訓練が開始されたらしい。

 自分たちに足りないものを色々と習い始めたようで、中々有意義な時間を過ごせたみたいだな。


 登録から修練まであまり時間がかからなかったが、その内容は適当なものではなく、かなり専門的な知識を教えてもらえることに戸惑ってしまうほどだった。


 基礎体力作りから武具の扱い方や手入れの方法、座学による魔物や盗賊の特性と傾向、地形による有利不利の判断と危険な立ち回りなど、今後はより高度な内容を幅広く学ぶことになるそうだが、まるで学校のような充実っぷりに俺は驚きを隠せなかった。


 むしろ、武術経験のないすべての冒険者はここから始めるべきだと強く思えた。

 逆に言えば、なぜこの制度を利用しないのかと首を傾げるほどだが、よくよく考えてみれば冒険者になりたくて登録したのにわざわざ勉強から入る人のほうが少ないんだろうな。

 それに自由が約束されている職業でもあるし、選ばないのも本人の自由、か。


 何よりも大きな理由と思える原因を体現してるのが、眼前に3人もいるからな。

 せっかくの善意もこれじゃ伝わらないのが現状だと言われているようなものだ。


 俺は俺で初心者用の依頼を町内でこなしつつ、夕方には彼らと会って食事をしながら訓練の話を聞こうと思っていたんだが、どうやらアートスたちはそれどころじゃない状態のようだ。


 目に見えて著しく変化が表れている彼らに、俺は自然と苦笑いが出た。

 同席するアートスたちを横目で心配しながらエルナが来るのを待つ。

 現在はそんな状況だった。


「いらっしゃいませハルトさん!

 今日のおすすめは……って、アートスさんたちはどうされたんですか?」


 ぐったりと力なくテーブルに突っ伏した3人を見ながら訊ねるも、大体の推察は彼女でもできたようだ。

 先日の夜もこの店に食べに来たし、その時は元気な姿で紹介したからな。

 何をするのかも伝えたから、彼女はそれを憶えていてくれたんだろう。


 苦笑いを浮かべながら、エルナは言いづらそうに言葉にした。


「体を鍛えるのって、大変なんですね……」

「修練の内容を聞いたが、体に負荷はかかってないから大丈夫だ。

 つまるところ、運動不足での筋肉痛と疲労感がすごいだけだと思うよ」

「あまりそうは見えないですけど……」

「……だ……だいじょうぶ、だぜ……エルナちゃん……」


 グッと親指を立てながら答えるカウノだが、瞳の色に光はなく、上げた手と発した声は小刻みに震えていた。

 随分と絞られたのかもしれないが、単純に体力がないだけだろうな。

 これじゃ担当した教官も相当驚いたはずだし、明日からは訓練メニューも少し軽くしてもらえるかもしれない。


 続けられなければ鍛える意味がないし、日々の鍛錬が必要になるからな。

 当然、町の外では難しいが、まずはじっくりと体力からつけていけばいい。


 そんなことを考えていると、ほの暗い地の底から響き渡るような声がカウノと思われる男の口からわずかに漏れ出た。


「……それよりも……なにか……メシを……」

「は、はい、わかりました!

 何か栄養のつくものを持ってきますね!」


 気合を入れ直したような表情で彼女は答えた。

 胸の前でグッと握りこぶしを作る姿は可愛らしいが、今の彼らには食事のほうが遥かに欲しているようだな。


「量を多めにお願いするよ。

 そういえば"金羊"が入った頃だろ?

 それを食べれば元気が出ると思うんだ」

「わかりました!

 じゃんじゃん持ってきますね!」

「飲み物はムッカを3つと水をひとつ。

 彼らにはパンをひとつずつ追加してもらえるか?」

「はい!」


 適度に酸味のあるヤマブドウの味に梨のようなシャキシャキとした食感を持つハールス特産のムッカは、疲労回復にとても効果があると言われる。

 実際、労働者たちにはかなり重宝されるらしく、熟成されたものと度数が強めの酒を合わせたカクテルのような飲み物も好まれると聞いた。


 これさえ飲めばとは、即効性の疲労回復薬がこの世界にはあるから言えないが、それでも薬に頼るのもどうかと思うし、値段も毎日飲むとなると少し厳しいこともあって、新人冒険者である彼らには手が伸ばし難いと話していた。


 そんな時、安価な上に翌日の目覚めではっきりと実感できるほどの回復効果を持つのが、このムッカだ。


「ムッカを飲めば朝には元気になりますから、ちょっと多めに注ぎますね!」

「ありがとう。

 悪いけど頼むよ」

「いえいえ!

 いずれはこの町を護るための力になってくれるかもしれない方々ですからね!

 戦うことは私にはできませんが、それくらいの力添えはさせてください!」


 満面の笑みで厨房に戻るエルナを見送り、俺は猛獣の唸り声のようなものを腹から出し続けている男どもへ視線を向けた。


「……ゆっくり食えよ?

 消化されないんじゃ意味ないからな?」

「……お……おぅ……」


 力なく答えた男は、料理が来るまで元気を取り戻すことはなかった。



 *  *   



 凄まじい勢いで口に掻っ込む3人の姿を、俺だけでなく周囲の客やエルナも目を丸くしながら見守っていた。


 ……いや、これは呆気に取られたといったほうが表現としては正しいか。

 ともかく、突っ込むべきだと思えたのも当然かもしれないな。


「少し落ち着け。

 そんなにがっついちゃ、胃に負担がかかるぞ。

 もっとゆっくり噛んで食べないと――」

「おかわり!!」

「こっちもだ!!」

「俺も頼む!!」

「は、はい!

 オーダー!!

 3人前追加です!!」


 厨房に向かわず、その場で注文を入れるエルナ。

 大きな声を上げる彼女の姿はあまり見かけないんだろうな。

 ざわざわと話し合う客たちの話題は、3人の男たちから彼女に移った。


「パンもおかわり――」

「頼む!!」

「俺はふたつ!!」

「俺もだ!!」

「は、はい!」


 急いで厨房へと戻るエルナを目で追った後、俺はもう一度忠告した。


「もっとよく噛めよ。

 それじゃ却って体に悪い。

 食事は逃げたりしないんだぞ」


 一心不乱に食事を掻っ込む姿にため息をつきながら、呟くように話した。


「……ったく。

 聞いちゃいないな……」


 木製のジョッキに手を伸ばした俺は、その染み渡るような水を味わいながら野獣どもの熾烈を極めた大食い大会を観戦し続けた。

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