第62話 戻ってこい
しばらく雑談をしていると、先ほど空いてる席を教えてくれた若い女性店員がやってきた。
相当忙しいのは分かるが、笑顔を絶やさないその姿に意識の高さを感じた。
「お待たせしました!
今日のおすすめは"
「マジかよ!?
んじゃそれ一択だ!
いつもの量に1人前追加で、焼き肉も付けてくれ!」
「はーい!
ご注文ありがとうございまーす!」
「金羊?」
その姿は名前から想像できるが、ここは俺の知る世界とは随分違うからな。
興味本位から普通に訊ねてしまったが、どうやらそれほど見た目の違いはなさそうだ。
「金羊とは黄色がかった色の毛並みを持つ羊の魔物で、パルムでは"ゴールデン・スプリングシープ"と呼ばれています!
その数は希少種と言えるほど少ないのですが、稀に大群で見かけることがあるんですよ!」
「こいつの肉は、スプリングシープとは別格の美味さでな!
アタシやサウルだけじゃなく店内にいる全員が好物って言えるくらいの味だ!」
「むしろこいつが入荷してて食べない選択はねぇって断言できるぞ!」
「そんなに美味いのか……」
高級肉を食べた時のことを思い起こした。
あの時の衝撃は未だに忘れられないほど美味かった。
どうやら今回も相当美味い肉を食べられそうだな。
特殊な魔物ではあるが、通常のスプリングシープとあまり変わらないらしい。
だが金羊の大群を見かけた場合は数日間に渡って冒険者、商業ギルドが肉の確保に依頼書を何枚も貼り出すようだ。
報酬はそれほど高くもないが、その味を知った者は儲け度外視で狩りに向かうのがこの町の名物になっているんだと、ふたりは料理を待つ間に話してくれた。
いったいどれだけ美味いのか気になるところだが、それを口に入れた瞬間に絶句するほどの美味さだったことだけは、忘れられそうもない記憶として俺の中で残り続けることは確かだった。
* *
「……おーい、ハルトぉー。
こっち戻ってこーい……」
一瞬ではあるが、肉の味に集中しすぎるほど意識が向いていたようだ。
だが二口目を食した瞬間、草原を駆け抜ける羊の姿が脳裏に映った。
……美味い。
ただ一言、強く思った。
月並みな言葉しか思い浮かばなかったが、本当に美味いものを口にすればそうなるものなんだと初めて知った。
適度に噛み応えのある肉質は噛めば噛むほど肉汁が溢れ、濃厚な旨味と羊肉特有の香りが合わさり、得も言われぬ美味さを感じさせた。
それでいて上質な脂はしつこくもクドくもなく、店オリジナルのタレが食欲をさらにそそらせる。
まさか一口目で凍り付くように口が止まることになるとは想定外の美味さだ。
……本音を言えば、これは羊肉と分類していいのかも分からないほどだった。
香りが似ているだけで、実は別の肉なんじゃないかと思えてならなかった。
いや、美味すぎると言えるほどの味をこの先も体験できるか分からない。
それほど衝撃的な美味さだったことは間違いないだろう。
「……すごいな、この肉は……。
俺の知る常識の削られる音が聞こえたよ……」
「だろ?
こいつ食わずにパルムは語れねぇ、なんて言われるくらいだからな」
「ゴールデンはアタシも見かけたことがあるけど、大抵1匹か2匹なんだよ。
個人で食うには十分すぎるが、店に出回るほどの大群ともなると稀だ。
こんな機会は滅多にないから自分で金羊を探した方が見つけられるらしいぞ」
レアな魔物ともなれば探すのも一苦労だと思うが、たしかにこれほどの味なら探し歩きたくなる気持ちも分かる。
ふたりの話によると、スプリングシープが出現する泉はかなり大きいそうで、周囲の草原や林にも歩き回る行動範囲が相当広い魔物のようだ。
おまけにそこそこ強いらしく、ボア程度なら後ろ蹴りで一撃なのだとか。
……もしかして、強い魔物はみんな美味いんじゃないだろうか。
そんな馬鹿なことを考えていると、さきほどの店員がこちらへ戻って来た。
「金羊はパルムのお店のどこかでは数量限定で出されるそうですが、私も見たことがないほどなんですよ。
まぁ、お仕事もありますし、本格的に探したことはないんですけどね。
こちら、お店からのサービスになります。
お客さん、スプリングシープを食べたことがなさそうですし、比較対象にしやすい焼き肉を持ってきましたのでよろしければご試食ください」
「いいのか?
むしろ代金は払ってもいいんだが」
「いえいえ、ぜひサービスさせてください。
せっかくパルムに来てくださったんですから、楽しんでほしいんですよ。
この町はお酒だけじゃなくお料理だって美味しいんですよって、パルムに来てくださった多くの方に知ってもらいたいんです」
満面の笑みで言われると断れなくなる。
折角だ、ご厚意に甘えるか。
そう言葉にしようと口を開くと、にやにやとした顔を店員に向けながら、ふたりは楽しげに訊ねた。
「なんだなんだ?
随分ハルトを気に入ったんだな、エルナ嬢ちゃん。
店からのサービスなんて初めて聞いたぞ?」
「アタシら、なんか邪魔みたいだから席を外そうか?」
「ななな何をおっしゃってるのか分かりかねますが!?
で、ではごゆっくりどうぞ!」
声を裏返しながら逃げるように小走りで厨房へ向かう女性の背中を目で追った。
まさかふたりから茶化されるとは思わなかったが、どうやらこの店にはそんなサービスなどないらしい。
「ホレられたな、ハルト。
つーか、ホレられやすそうな顔してるからな」
「今日はいい酒が飲めそうだ!」
これでもかといい笑顔を見せるふたりだが、俺の心境は複雑だった。
喧嘩を売られやすくホレられやすい男になりたいと思うやつはいないはずだ。
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