第60話 命を選択する覚悟

 憲兵詰め所から出ると、空は茜色から濃紺へと変わっていた。

 彩るように散りばめられた星は美しい輝きを放ち、東京では絶対に体験できない煌々と照らす月明りに導かれるように、俺たちは町の宿へと向かう。


「今日も酒が美味そうな空してんな」

「こういう日は外で飲みたいもんだな」


 夜空を見上げながら酒を飲む、か。

 飲酒に興味はないがこれだけ空が綺麗なんだから、さぞ美味いんだろうな。

 そう思えるのも、風情を大切に感じられる日本人特有の感覚なのかもしれない。


 ……それにしても深い色だな、この世界の夜空は。

 重々しさを感じさせない透き通るような夜空なんて、俺は見たことがない。

 もしかしたら現代の地球じゃ絶対に見られない色なのかもしれないな。


 空を見上げながら考えていると、耳にサウルさんの声が届いた。


「まさか、憲兵が乗合馬車を厩舎まで送ってくれるとは思ってなかった。

 いつもとは違った行動が取れるってのは気分がいいと思っちまうな」

「そういった意味でも、盗賊捕縛に感謝されてるんだろうな」

「なんだかんだ今回はザコだったが、対人戦は何が起こるか分からねぇからな」


 いつもとは違うと感じさせる落ち着いた声色で、ヴェルナさんは言葉にした。


 その言葉に込められた想いは、俺にも分かる気がするよ。

 だからこそ、捕縛すること自体・・・・・・・・に危険が伴うんだ。

 安っぽい正義感を押し通しきれるほど、この世界は甘くない。

 一歩間違えば最悪の結果となっていた可能性だって、十分に考えられる。

 その分、関係者には高額の報酬がしっかりと支払われるが、裏を返せばそれだけの危険が常に付きまとうのだと深く考えさせられた。


「……割に合わないな」

「だろうな。

 人間相手ってのは、魔物以上に厄介なんだよ。

 いくら馬鹿やってる連中でもよ、"知能"があるからな。

 これほど厄介で面倒な相手はいねぇし、そういったことを考えれば魔物のほうがアタシは可愛く思える」


 いつも以上に真剣な表情で言葉にするヴェルナさんだった。


 その危険性を良く知るからこそ、彼女は殺意を向けられた相手に躊躇わない。

 そうしなければ次の瞬間、何が起こるのかも予測できないんだから、ヴェルナさんの行動はとても真っ当だと俺にも思える。


 だとしても、命を摘み取ることに何も思わないわけじゃない。

 捕縛すれば手に入る情報も多いだろうし、何よりも自分たちが何をしてきたのかを分からせる必要があると思えてならなかった。


 人の大切なものを奪い、時には尊い命すら消し去る。

 そんな相手に情けなど必要ないと強く思う反面、捕縛するべきだとも思えた。


 結局、俺にはまだ"摘み取る覚悟"ができていないだけなのかもしれないな。


 悪党だからこそ捕縛し、連中が仕出かした罪の重さをしっかりと今世で清算させるべきなんじゃないだろうかと、俺は今回の一件を経て強く思った。

 それが正しいと思うからこそ思考がまとまらないのか。


「難しいこと考えてんな、ハルト」


 サウルさんの言葉に意識をそちらへと向けた。

 どうやら深く考えすぎていたみたいだ。


「悪い。

 考えすぎてたみたいだ」

「分からなくもない。

 盗賊を相手にするのは初めてだろう?

 人を本気で相手にするってのは、思った以上に精神的な負担が大きい。

 その感覚は次第に慣れていくもんだと俺は思ってるが……中々難しいよな」

「ハルトもサウルも、真面目すぎんだよ。

 人の命をないがしろにする相手に深く考えすぎだ。

 その瞬間、別の結果を導き出しちまうことだってあるんだぞ。

 アタシらはアタシらの命を何よりも考えるべきだし、それ以外は極力考えないようにするべきだと思えるよ」


 彼女の言うことはとても正しい。

 情けをかければ、最悪の形で返ってくる。

 "その可能性がある"、という曖昧なものでも十分すぎるんだ。


 命は何よりも重く、何ものにも代えがたい尊いものだ。

 それが自分の招いた結果で自身を失うのなら己が未熟さを恨めばいいだけだが、そこに仲間の命を危うくしていたのだとすれば話がまったく変わってくる。


 そんなことはさせたくないし、そうなった時点で何もない俺に武術と精神を教えてくれた父と流派の歴代継承者たちに申し訳が立たない。


「……ガキだな、俺は……。

 命は何よりも重いと考えながらも、時には"命を選択する覚悟"が必要になると、いまさらながらに思い知ったような気がするよ」

「そういう場所で生まれ育ったんだから気にしすぎんな。

 だがそいつは、とても大切なことだとアタシには思えるんだよな。

 割り切れねぇとマジで最悪な事態になりかねない。

 ……そうなった人間の末路も、悲惨なものになるよ」


 輝く星を見上げながら答えた彼女の言葉は、とても重みがあった。


 様々な実体験や経験談から、ヴェルナさんは"摘み取ること"をためらわない。

 殺意を向けた相手に手を差し伸べられるほど俺もお人よしじゃないからな。

 そんなことができるのは澄み渡る晴天の空みたいな心を持つ聖人だけだ。


 俺にはそう思えてならなかった。

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