第40話 考えつきもしなかった
街道際の草原に転がるトラをどうしたもんかと俺は眺めていた。
さすがにこの大きさとなると、初心者に剝ぎ取るのも難しそうだ。
元々こんな大物と戦う予定はなかった。
可能な限り街道沿いを進むつもりだったし、森はもちろん林に入ることもなるべく避けながら進もうと思っていたが、まさかこんなことになるとはな……。
それに、町から離れると野盗だけじゃなく、厄介な魔物も出る。
そのひとつが、毒を持ったスライムやカエル、ヘビの魔物だ。
これらは専用の解毒薬がそれぞれ用意されるほど特殊な毒を持っていて、人里離れた沼や大きめの水たまりのような場所を好むと聞いた。
正直、面倒なことこの上ない毒持ちの魔物だが、戦うのならしっかりとした事前調査と準備が必要になる。
中には金属を溶かすほどの強力な酸を吐くやつもいるらしいから、下準備もなしに街道から離れるのは非常に危険だ。
この周辺に出没することはないと聞いたが、安心はしないほうがいい。
鉢合わせた場合に驚かないよう心構えはしっかりとしておくべきだが、まずは眼前に転がるやつを片付けるのが先決か。
「……まぁ、このまま放置するわけにもいかないよな」
せめて街道から離すべきだが、爪や牙は売れるかもしれない。
まさか"肉に毒がある"、なんてことはないと思うが……。
そもそも、トラの魔物って食えるんだろうか?
とりあえず、習ったようにしてみるか。
まだ放血してる最中だから、このまましばらく放置だな。
……しかし、初めての剥ぎ取りが3メートル級の大物になるとは、さすがに考えつきもしなかったな。
こういった場合は少しずつ時間をかけて解体するしかないか。
そう思っていると、背中越しに気配を感じた。
どうやら安全を確認したことで引き返してくれたみたいだな。
「……置いて行っても文句なんて言わないんだけどな」
ぽつりと呟いた言葉とは裏腹に、俺は嬉しさを強く感じていた。
発せられた気配は、申し訳なさに溢れていたからだ。
自分の意志で馬車から飛び降りたとはいえ、置き去りにした罪悪感に苛まれているのか。
だが、ああでもしなければ馬車ごと潰されていた。
そうなれば荷台に乗っていたエルセさんとリクさんが無事では済まない。
逃げ切れない状況下ではあの行動が最善だったと、俺には思えた。
……だからこそ、押し寄せるような罪悪感がなくならないんだろうな。
特に先輩であるクスターさんからすれば、いたたまれない気持ちなのか。
"本当なら自分が残るべきだった"、なんて思わなければいいが……。
馬車を止め、クスターさんが荷台から降りようとするが、真っ先に飛び降りて駆け寄ったのはエルセさんだった。
「ハルト怪我してない!?
なんであんな無茶したの!?」
「落ち着いて、エルセさん。
俺は大丈夫だから」
これまで凍り付くような恐怖でいっぱいだった感情が氷解して一気に押し寄せてきたのは理解できるが、今にも涙を流しそうな表情で言葉にされると、もう少しだけ説明するべきだったと思えた。
「……ハルト……済まない……。
……俺にもっと力があれば、ハルトと戦えたはずなのに……」
申し訳なさからか俯きながら言葉にするクスターさんだが、どちらにしても馬車の護りは固めるべきだと俺は判断するだろうな。
むしろ絶好の機会として襲ってくる馬鹿が出ないとも限らない。
必要以上に戦力を割くべきではないし、何よりも馬車の護衛がいなくなる事態は避けるべきだ。
「俺のほうこそ勝手に行動して悪かった。
だが、確実に勝てると思っての行動だから、間違っても自己犠牲をしようだなんて微塵も思ってなかったよ」
驚愕するクスターさんとリクさんだが、何も言わずに聞き流してくれた。
彼らの細かな心遣いが俺は嬉しかったし、護れて良かったと素直に思えた。
正直、いい経験になったとも感じている。
濃密な殺意を向ける相手、それもこの世界の住人が恐れおののくような存在と対峙できたことは、俺にとってプラスになった。
……今にして思えば、かなり強烈な印象を持てる魔物だったな。
想定外の行動をさせずに倒せた点は、運が良かったと言えるかもしれない。
「そんで、こいつ、どうするよ」
指をさしながら地面に転がる巨体を白い目で見つめるリクさんだが、実際どうすればいいのか俺には判断ができなかった。
「爪と牙、毛皮くらいは剥ぎ取ろうと思ってたんだが、肉は食えるのか?」
「食えるぞ。
もっとも高級品すぎて、市場に出回ることもないが」
「ってことは、一流料理店に卸されるのか」
「そんなとこだな。
俺も食ったことねぇが、相当美味いらしいぞ」
「なら、今晩の食卓に出してもらおうか?」
「お?
いいのか?
庶民にゃ食えねぇ高級食材だぞ?」
「かまわないよ。
こんなにあるんだ。
みんなで食ってみよう。
あとは料理人の腕次第だな」
俺の言葉に、視線がヘンリに集まる。
全員を見回しながら、彼は強く否定した。
「……いやいやいや!
俺も触ったことがないんだぞ!?
それに高級食材なんだから、すべて売ってハルトの資金にするべきだ!」
「それは確かに魅力的だが、本音は食ってみたい気持ちが強いんだ。
高級食材ならどれほど美味いか、みんなで確かめてみないか?」
「太っ腹だな、ハルト!」
「その代わりと言うのもなんだが、みんなにも解体の手伝いを頼むよ。
それで町まで肉の食材費はすべて無料、食べ放題ってことでどうだ?」
表情を凍り付かせるヘンリさん以外が歓声をあげた。
この機会を逃せば一生食べられないかもしれない肉だからな。
逆にヘンリさんは責任重大だと思っているようだが、使ったこともない食材を料理にするよりはシンプルな食べ方のほうがいいような気がした。
それから色々と話し合いをした結果、今夜は焼肉パーティーをしながら味を確かめ、翌日から料理の食材として使ってもらうことが俺を含めヘンリさん以外から提案し、満場一致で決められた。
何とも言えない彼の表情はしばらく忘れられそうもないが、美味いものを食べたいと思える衝動は抑えきれそうもないから諦めてもらおうと思う。
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