第39話 勝ち目はない

 強烈に威嚇をしながらこちらに突っ込んでくるティーケリ。

 並の冒険者なら、あの表情を見ただけで尻尾を巻くだろうな。


 もっとも、あれほどの速度から逃げ切れるはずもないんだが。


 飛び込み気味で左前足を振り下ろす。

 3メートルもある巨体の重さがしっかりと爪に乗った攻撃だ。

 こんなものを盾で防御する冒険者なんて、さすがにいないだろうな。


 カウンターを直撃させれば相手の重みに剣が耐えられない。

 すり抜けるように屈んで避け、すれ違いざま左の後ろ足を横一文字に薙ぐ。

 軽めに刃を通すつもりで当てたが、どうやらこの剣でも問題なく倒せそうだ。


「思ってたよりもずっと柔らかいんだな、お前」


 痛みに呻き声をあげながらも、反射的に尻尾を振るった。

 強靭な鞭にも思える凄まじい速度だが、鋭くなればなるほど避けやすい。

 細い尾で空を切るその速度は、空気抵抗を受けずに斬撃と似た軌道を描く。

 中途半端な速度のほうがかえって不規則に動いて避けるのが難しくなる。


 頭に直撃する尾を屈んで回避した同時に、邪魔な尻尾を切り落とした。

 全身に伝わる衝撃で地面をのたうち回るトラの左後ろ足を左逆袈裟さかげさで斬る。


 その手応えから、確実に腱を断った。

 これでもう機敏に動くことはない。


 想像していた以上にティーケリが弱くて助かった。

 見た目や放つ気配以上の強さを出されたら面倒だからな。

 このまま大人しく眠ってくれ。


 しかし残念なことに、そうはならなかった。

 生物である以上、生存本能ってのがあるからな。


 生きることに足掻くのも当然だ。

 魔物だからといって俺はそれを否定しない。

 だがここで立ち上がっても、苦しみが増すだけだぞ。


「……まさか軸足の腱をひとつ斬っても立ち上がるなんてな。

 むしろ、殺意がより濃密なものになってるじゃないか」


 これが意味するところは厄介事に繋がりかねない。

 仕留めきれなければ手痛い反撃を喰らうことになる。


 ……いや、行動を極端に制限したからといって油断はできない。

 この世界には回復魔法が存在するらしいし、それを魔物が使う可能性も考慮するべきだ。


 これまでの歴史上、魔物が使ったという事例は報告されていないと聞いた。

 だからといってそれを鵜呑みにできるわけもないが、そもそも魔王が存在している以上、何が起こるかなんて異世界人の俺には見当も付かないんだ。

 消し炭にするほどの炎や、魂まで凍り付かせるような息を吐くかもしれないし、魔法を使わないと断言できるはずもない。


 それに魔王の存在そのものが魔物を活発化させている場合も多い。

 この知識は創作物からの発想だが、笑い話にはできないんじゃないだろうか。

 眼前のトラだって、そういった影響を受けていても不思議ではないと思えた。


 強烈に威嚇するトラを見据えながら、俺は返ってくることはないと分かっていても言葉にしてしまった。


「お前に勝ち目はない。

 本能からもそれを察しているんだろ?

 俺がお前よりも遥かに強いことくらい」


 その返事が返されることはない。

 むしろ威嚇でしか応えないのも分かっていた。

 それでも、魔物だろうと主義主張を聞けたらと思えた。

 命を奪い合う以上は、相手の立場も聞くべきだと俺には思えたからな。


 ……この考え方は危険か。

 相手は容赦なく襲い掛かってくる。

 そこに隙があればなおのことだ。


 非情になる必要はないが、"覚悟"はするべきだな。

 それがたとえ悪党だろうと、場合によっては命を奪う覚悟・・・・・・を。


 命を摘み取ろうと力を溜めるティーケリ。

 確実に負けると分かっていても逃げることはない、か。

 やはりホーンラビットとは精神的な部分がまるで違うんだな。


「……お前にほんの少しでも臆病な気持ちがあれば、ここまで人々に恐れられることはなかったのかもしれないな」


 どこか物悲しい声色が、俺の中から溢れ出た。

 同時に、ゲームやアニメではないんだから、分かり合えることも無理なんだと感じ、俺は剣を強く握りしめながら相手を見据えた。


 左足に力を込めたティーケリは、その巨体で圧し潰さんとするように体躯を持ち上げ、渾身の一撃を繰り出そうと迫った。


 しかし、その直前の行動が良くない。

 わずかだが、両前足から露になった首元。

 ガラ空きの個所へ斬撃を静かに通し、その場を離れながら剣を地面に払う。


 速すぎる斬撃は剣を汚さないからな。

 血振りしようと、地面に赤い弧を描くことはなかった。


 同時に首元から凄まじい勢いで赤い雫を噴き出し、静かに倒れ伏した。


「……悪いな。

 俺も負けるわけにはいかないんだよ」


 静かに納刀しながら、俺は小さく呟いた。

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