第38話 なお良かった
翌日の夕刻。
日も傾きかけ、野営場所を探そうと馬を歩かせていた頃、嫌な気配を森のほうから感じた。
最悪の事態としては想定していた。
しかし、街道を歩く馬車に目を付けられるとは思っていなかった。
明らかに異常な広範囲の索敵に引っかかったわけだが、それが嗅覚や聴覚などの感覚器官に引っかかったのか、それとも動物の本能とも言えるような気配を察知する能力なのか、俺には判断がつかない。
ひとつ断言できることがあるとすれば、こちらに迫る魔物は強烈な"殺意"を向けていることか。
「北北東から何か来るぞ」
俺の言葉に、一同は森のほうへ視線を向ける。
相当離れてるとはいえ、草原の向こうに森の入り口が見えていた。
少し強めに吹く風の向きを考えると、匂いで気付かれたのか。
視界に入る黒い点のような動く物体を目視したクスターさんは、目を逸らさずに大声で指示を出した。
「――まずい!!
馬を全力で走らせろ!!」
驚愕した表情で彼を見たヘンリは、馬に鞭を入れた。
だが、その姿を遠目に捉えるほどの近くにまで迫っていた。
離脱しようと試みるが、徐々に輪郭が見え始め、細部がはっきりと識別できるほどの距離を縮められるまで、そう時間はかからなかった。
エルセさんは知らないみたいだが、リクさんは相手の知識を持っているのか。
王都の鍛冶師でも知ってるほど名が轟いているのは間違いない"危険な魔物"であることも、もはや疑いようがなかった。
観察するように魔物へ視線を向ける。
まだ離れているとはいえ、3メートル級の魔物は中々の迫力だ。
しかもトラ本来の鮮やかな茶色ではなく、焦げ茶に近いみたいだな。
腹部に白い毛があることと、若干見えにくいが黒い縞模様が体全体にあるのは動物と変わらないが、鈍く光る赤黒い瞳は教えてもらった魔物とは明らかに違った。
俺が知ってる魔物なんて高が知れるが、それでもホーンラビットやボア、ディアとは明らかに違う個体なのは間違いなさそうだ。
これまで出遭ったものとは異質に思える、強烈な悪感情をこちらに向けていた。
森の最奥に住むと聞くトラの魔物。
……あれが、"ティーケリ"か。
しかし、あれほど濃密な悪意を放ち続けているような危険な存在が、この世界には確実にいるってことは憶えておかなければならないだろう。
問題はアレが、並の冒険者では倒せるとは思えないほど強い点だ。
……まさかとは思うが、トルサに来た一条の目的はこれか?
ユーリアさんは緊急案件として王都に連絡済みだと言っていた。
そこいらの冒険者では討伐できない魔物が浅い森まで迫っていたのだから、勇者が呼ばれる理由としては申し分ない。
あくまでも"この世界にいる住民の判断では"、だけどな。
あれの討伐を一条ひとりに任せるには少々厳しい相手と思えた。
アイナさんとレイラが傍にいれば問題ないだろうが、あいつ単独撃破はまだ無理そうな魔物だからな。
なんて、冷静に分析している場合でもなさそうだ。
さすがのリクさんも、相当焦った声色で言葉にした。
「おいおいおい!!
どんどん距離を詰められてるぞ!!」
「これ以上は出せない!!」
馬車を護りながらはもちろん、クスターさんでも単独での撃破は難しいだろう。
離れている隙を野盗どもに狙われても厄介だ。
ここは馬車と3人の護衛に回ってもらうか。
「そのまま距離を取ってくれ。
ティーケリは俺が倒すから、クスターさんはみんなの護衛に集中してほしい」
「しょ、正気か!?
なに考えてるんだハルト!!
あいつは新人のお前が戦って無事でいられるような相手じゃないぞ!!」
「俺のことは心配いらない。
ただ、盗賊が襲撃する可能性を考慮して、周囲の警戒は続けてもらいたい。
なんなら、このまま俺を置いてハールスを目指してもかまわないよ」
ある程度のサバイバル知識も学んだし、町まで3日とかからないだろう。
これもいい勉強になるから、このまま歩きでも問題ない。
本心から言葉にしたが、残念ながらそれを信じさせるには色々と足りないものが多かったようだ。
"それだけの相手"であることも理解できるし、心から俺を心配してくれているのも嬉しい限りだが、もう少し冷静になってもらえたらなお良かったな。
「馬鹿言え!!
お前を残して町に行けるわけないだろうが!!
一緒に戦うから俺の指示に従ってくれ!!」
「その意味も理解しているが、馬車の守りが手薄になる。
クスターさんの役目は馬車と戦えない乗客を護ることだろ?
俺は新人だろうと冒険者だから、自分の信念に従って行動をするだけだ。
生意気なことを言うが、生きるも死ぬも自分自身で決めるよ」
「だが……」
彼は泣きそうな表情で言葉に詰まる。
クスターさんは経験を積んだ冒険者だ。
その意味を理解できないはずもない。
俺の言葉は、まるで自己犠牲を進んでするように聞こえたんだろう。
魔物を抑えるから、みんなは先に進んでほしい、なんて意味に。
だが、その考えは間違いだ。
こんなところで朽ち果てるつもりは毛頭ない。
たとえ日本への帰還が不可能だと確証を得たとしても、生きることを諦めたりは絶対にしない。
「問題ない。
必ず倒すよ」
「――ハルト!!」
そう言葉にした俺は馬車から飛び降り、地面を回転しながら衝撃を和らげる。
即座に視線を迫り来る敵に向け、体勢を直して立ち上がった。
左腰に差した剣をゆっくりと抜き放ち、攻撃に心を備える。
怒り狂ったような形相を俺に向けた
「食前の運動にはちょうど良さそうだな」
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