第三章 滅びゆくのが定め
第36話 偉大な存在に
「……初めて食べたが、美味いもんだな」
「そうだろ?
俺はイグアーニ料理に目がなくてな。
調理次第で色んな楽しみ方ができる素材なんだよ」
イグアーニは浅い森に生息する、大きなイグアナの姿をした魔物だ。
いま口にしているシチューはその肉を使った料理になるんだが、猪や鹿と違って獣特有の臭みはもちろん、脂っこさも感じないとても上品な味に仕上がっていた。
何よりも適度に噛み応えのある肉は、癖になりそうな食感だ。
それもひとえに料理人の下準備と調理技術あってのことだが、まさか馬車の旅でこれほど美味いものが食べられるとは考えてもみなかった。
町を出てから数時間が経った昼下がり。
俺たち乗合馬車の乗客は、ヘンリさんの作る食事に舌鼓を打っていた。
彼は御者だけじゃなく調理も兼任しているが、料理人としても十分に腕を揮えるだけの技術を持った人物なのは間違いなさそうだ。
個人的にはこの味を知ってしまうと、食べたことのない店よりも優先すると思えるんだが、気楽な馬車の旅が性に合っていると本人は答えた。
常に危険が付きまとうとはいえ、草原が続くこの街道は見通しがいい。
そういったところから、いい気分転換になるのも分からなくはない。
料理店を構えてしまうと休憩でも店の外くらいにしか出られないし、街門から先へ行こうなんて気持ちもなくなるだろう。
彼にとっては襲われかねない馬車の旅でも、十分に楽しめるんだな。
西の町ハールスまでは6日の予定だが、旅にトラブルはつきものだと聞く。
それが醍醐味だとも聞いたことがあるが、あくまでも日本での話だ。
この世界でのトラブルは命に直結しかねない事態となることも多く、必要以上の覚悟を普段から持っていなければ町から出られないのだと、同じ乗客であるエルセさんは教えてくれた。
「あたしも滅多なことじゃトルサを離れないんだけど、今回ばかりは心配でね。
酒飲んで階段から豪快に転げ落ちたけど怪我はしてないから安心しろ、なんて手紙を寄こされちゃ、笑うに笑えないよ……」
「父親をトルサに連れてくることはできないのか?
ひとりで暮らすには少し年齢も気になると思うが」
「……本当にそうしてもらえたらいいんだけど、やっぱりあれかね。
住み慣れた場所を離れるってのは、そんなに辛いものなのかね」
寂しそうに彼女は言葉にした。
孫の顔を見せに行きたいが、少ないとはいえ危険が伴う街道を移動させたくないのが母親としての本音らしい。
……"住み慣れた場所"、か。
この世界にはそう言えるほど長居をしていないし、俺にも故郷がある。
こうして異世界に飛ばされるまでは考えもしなかったが、ホームのありがたさってのは状況が変わったことで初めて認識できるものなのかもしれないな。
まぁ、今のところはホームシックと思える気持ちはないし、できればこのまま異世界を満喫しながら旅をしたいところだな。
「じっくり話し合えばいいさ。
時間はたっぷりあるんだろ?」
「……そうだね。
ほんと、いつまでたっても子供みたいな人で困っちゃうよ。
孫の顔が見たいから早く結婚しろとか言ってたくせに、いざ生まれて一緒に住めるかと思ったら『ここを離れる気はない』だなんてさ。
昔っからそういうところがある、わがままで偏屈な人なんだよ」
呆れたようにエルセさんは話した。
父親ってのはもしかしたら、そんな感じなのかもしれないな。
「耳が痛ぇな。
オヤジ側としちゃ、申し訳ねぇとしか思えねぇ」
「リクさんの話じゃないさ。
父は一般的な機織り職人だから、一流なんて呼ばれるような技術はないよ」
「俺はそんなに立派なもんでもねぇよ。
家族を蔑ろにしたつもりはねぇが、それでも寂しい思いをさせてる自覚があるくらいは仕事に打ち込んだからな。
頭では理解してても、内心じゃ一線引いて俺のことを見てるだろうよ」
「……難しい話だな。
俺は子供としての意見くらいしか出せないが、それでも父の背中を見て育った。
時には言葉で説明されるより体で示した方が理解できることも多いと学んだよ。
すべてに当てはまるわけじゃないのも分かってるつもりだが、父親ってのは子供からすれば偉大な存在に見えてるものなんじゃないかな」
父は寡黙だからな。
口下手な言葉で説明するより、所作で教わったことも多かった。
武術はすべてを聞いて学ぶよりも、その身で体験して初めて理解できたりするからな。
鍛冶に関しては何の知識もないけど、似たようなものをどこか感じた。
「……だと、いいな……」
静かに呟いたリクさんの言葉は、どこか悲しみの色を感じさせるものだった。
人の家庭にとやかく言うのは間違っているけど、真面目に仕事をし続けた父親が悪く思われるなんてことはないと、俺は声にしたくて仕方がなかった。
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