第29話 自然と返ってくるもの

 アウリスさんから依頼を受けた後、乗合馬車が置かれている繋ぎ場に来ていた。


 どの町も街門付近に設けられているらしい。

 出発するなら必ず利用することになりそうだな。


 料金は目的の町に着くまでの日数から計算されるので、個人的に借りると一般的な乗合馬車の10倍近くも取られるようだ。

 貸切る機会なんてまず来ないとは思うが、最低限の常識としては憶えておくか。


 運良く明日の朝に西の町へと向かう馬車の予約をできた俺は、そのまま憲兵詰め所へ向かった。

 腰につけるサイドバッグや装備品、常識を含む知識を学ばせてもらったお礼を改めて言うべきだからな。


 旅をするなら大きめのリュックが必要かと思っていたが、乗合馬車を利用するなら必要ないぞとアーロンさんに言われた。

 旅の間は食事と水つきの移動になるので、それほど気にならないようだ。

 それはもちろん、"馬車さえ無事"であることを前提とした話になるが。


 もしも何かトラブルになった際に必要な、食事と水の確保もしっかりと学んだ。

 水源は限られているが、川を沿って街道が続く場所が多かったり、泉や湖なども熟知している案内人が御者なので、たとえ馬車が使えなくなっても町まで歩けるように考えられているそうだ。


 よくよく考えれば、昔の人が当たり前のようにしてきた旅を俺は体験できる。

 それもヨーロッパの文化を色濃く感じさせる長閑のどかな馬車の旅になるだろう。

 これはきっと、今を生きる日本人には生涯経験することがないものだ。

 そういった貴重な旅ができることを俺は感謝するべきなんだろうな。


「俺らには当たり前のことでも、ハルトにとっては斬新なんだな。

 まぁ、こんな世界でも楽しく旅をしてくれるなら俺は嬉しいよ」

「時代時代に合った便利なものが少しずつ作られていって、いずれはこの世界独自のとんでもない技術が生まれるんだろうな」

「そいつぁ俺たちが目にすることはないんだろうけど、見てみたい気がするよ」


 とても寂しそうにアーロンさんは言葉にした。


 革新的な技術が開発されるのは何十年先か。

 もしかしたら100年はかかるかもしれない。

 残念ながらそれを目にするのは難しいだろうな。


「……それで、まさかハルトは雑談しにきたのか?

 俺としてはいい気分転換になるから助かるが」


 例の聴取がこの後も控えているんだな。

 疲労感が溢れた表情を一瞬だけ彼は見せた。


「旅立つ前に、改めてお礼を言いに来たんだ。

 随分と世話になりっぱなしで町を離れるのは気が引けるけどな」

「律儀だな、ハルトは!」


 アーロンさんは大きく笑いながら答えた。

 それは楽しいというよりも、どこか嬉しそうに見える表情だった。


「……ハルトは自分のことだけ考えてればいいんだけどな。

 でも、まぁ、その、なんだ……。

 ハルトの気持ちは俺にも伝わったよ。

 明日の朝に発つんだったよな?」

「あぁ。

 次は馬車の点検や整備で、5日後になるらしくてな。

 それならこのまま旅に出るかって思ったんだ」

「ほどほどに休息を取りながら進めよ?

 疲労ってのは見えない場所に蓄積するからな。

 こういう溜まったモノは回復薬でも治らないぞ」

「あぁ、薬師のテレサさんに聞いたよ」

「なんだ、テレサとも知り合いだったのか。

 オスクもだけど、この町に着いて数日だってのに随分と顔が広いじゃないか」


 そういうものだろうかと首を傾げてしまう。

 数日とはいえ、ここは小さな町だからな。

 一度でも印象的な出会い方をしていれば忘れないし、色々と懇意にしてくれた方を忘れるほうが薄情に思えてならないが。


「良くしてもらってるのに、俺は何も返せてないのが心残りなんだけどな」

「ハルトらしいな、その考え方は。

 でも気にしなくていいんだよ、そんなことは。

 善意ってのは返してほしいからするんじゃない。

 そういうのは自然と返ってくるものだろ?」

「……確かにそうだな」


 あまり考えたこともないが、本来はそういうものだと思えた。

 だが実際はそうじゃない人間も多いと、アーロンさんは教えてくれた。


「世の中、利己主義でしか物事を判断できない奴も多いんだよ。

 そういった悪党を見分けられるハルトなら心配ないが、十分気をつけろよ?」

「……そうだな。

 今回の一件も、どうでもいいことから殺意を向けられたからな。

 十分に気を付ける必要があるし、軽率な行動は慎むように努力するよ。

 せっかくオスクさんもテレサさんも旅の無事を祈ってくれたのに、俺に何かあったんじゃ悲しませるだけだからな」

「……テレサは、ああ見えて心配性だからな。

 普段は笑ってる印象が強いと思うが、心ん中じゃ結構泣いてるんだよ」

「あぁ、分かるつもりだよ。

 別れ際に"死ぬんじゃないよ"って、泣きそうな顔で言われたからな。

 あれほど心配してくれる人を悲しませるような真似はしないよ」

「……そうだな。

 そうしてやってくれ」


 ここではないどこか遠くを見つめながら、アーロンさんは静かに答えた。

 その表情にはとても重い感情が込められているようにも見えたが、俺には訊ねることができなかった。


「それじゃ、俺は行くよ。

 長居すると悪いからな」

「こっちはいい休憩になったよ。

 時間が合えば、挨拶くらいはするぞ」

「また報告に戻ってくるんだし、気を利かせなくてもいいんだが」

「まぁ、そう言うな。

 こっちはこっちで、それも楽しみながら仕事してんだよ」


 そう言葉にしながらアーロンさんは愉快に笑った。


 なるほどと思いながら俺も笑ってしまう。

 そうでもなければ憲兵もしんどいよな。


 正直、俺には務まらない大変な仕事だと、改めて感じた。

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