第21話 銀の杯亭

「おかえりなさい、ハルト君」

「ただいま、ヘルガさん」


 宿屋に戻ると、店主であるヘルガさんが笑顔で出迎えてくれた。

 この町でも数軒しかない宿のひとつで、来客の数が少ないこの町では彼女の主人が担当している食事処のほうが繁盛しているらしい。


 どう見ても20代半ばにしか見えない細身の女性だが、これでも15歳になる娘がいると聞いた時は相当驚いた。

 世の中、実年齢よりも若く見える人も多いし、そういったこともあるんだろう。


「それでどう、お仕事のほうは?」

「目途が立ったから、もう3日部屋を借りるよ」

「それはよかったわ。

 私もミラも心配してたのよ。

 表情には出さないけど、あの人もね。

 トルサは小さな町だから、お仕事も限られちゃうし」

「ありがとう。

 しばらくは薬草を採取しながら金を貯めるよ」

「夕食はもう食べちゃった?」

「いや、ここでいただくよ」


 雑談を交えながら9000キュロを支払い、いい香りのする食堂へ足を運んだ。



 "銀の杯亭"。

 ここには鉱夫が多いこともあって、銀とつく店が多い。

 この世界での銀は安全を意味するらしく、危険と隣り合わせの職に就く者たちからは好まれるとヘルガさんに聞いた。


 価値としてはそれほど高価ではない金や銀も、その込められた言葉からゲン担ぎのように使われる風習は世界でも共通だと聞いているそうだ。

 以前大きな落盤事故があって、当時鉱夫だった彼女の夫エンシオさんは危うく命を落としかけ、ふんわりと夢見ていた料理屋をこの宿で始めたのだとか。


 現在ではこちらのほうがメインの収入源になるほどの人気で、味はもちろんサービスも好印象の店だった。


「あ!

 ハルトさん、おかえりなさい!」

「あぁ、ただいま」

「ちょうど窓側の席が空いてますので、そちらにどうぞ!

 今日はボアシチューと、ライ麦クルミパンに春野菜のサラダになります!

 すぐにお料理をお持ちしますので、少々お待ちください!」

「ゆっくりでかまわないぞ」

「はい!」


 丸いトレイを両手で胸に持ち、眩しい笑顔で厨房へと向かった。



 初仕事とはいえ、随分と稼げた。

 これなら数日もあれば旅費が貯まるだろう。

 装備に関してはアーロンさんの協力もあって問題ない。

 あとはある程度の金と最低限必要な保存食を手に入れるくらいか。


 これだけ世話になったこの町を離れるのも申し訳ないが、正直なところ王都から離れたほうがいいような気がしてならない。


 何かこう、言いようのない不吉な予感を感じる。

 それはとても説明できないような曖昧なものだが、少なくとも王都を追放されたんだから、なるべく場所を移したほうがいいと思えた。


 だがまずは、ある程度稼いでからじゃないと馬車にも乗れない。

 幸い、この小さな町でも2日に1本は馬車が西へ向けて出発してるそうだから、席の予約さえすれば問題ないだろう。


 しかし、気になる点も多い。

 そのひとつは王都への馬車を草原から見かけなかったことだが、まさか定休日なんてものはないだろうし、王都からの旅人も見かけない点は違和感しかない。


 可能性としては王都、トルサ間を移動する人がいないため馬車が出ないことか。


 これなら多少は理解できる。

 元々このトルサは採掘資源のための拠点から発展しているが、町の住民は鉱夫とその家族がほとんどで、それ以外は町内での売買で生計を立てる商売人くらいだから、仕入れでもなければ王都に向かう必要がない独立した町なのかもしれない。


 それに野菜や肉は自給自足しているし、魚も近くの川から採れる。

 立地がいいからこそ町が成り立ってるわけだが、それでも首を傾げてしまうのは俺が余計なことまで気にしすぎているからなのか?

 それとも、何か別の――


「お待たせしました!

 お先、サラダとパンになります!」

「あぁ、ありがとう」

「今日のクルミパンは自信作なんですよ!

 おかわりも自由ですのでお気軽にどうぞ!」

「いいのか?

 パン代もそれなりに金を取らないと経営が苦しくなるぞ」


 ただでさえ、ここは小さな町だ。

 おまけに冒険者も多くないし、訪れる旅人もあまりいない印象が強いが、どうやら俺の取り越し苦労だったようだ。


「いいんですよ。

 ここは鉱夫さんばかりですから、みんなお腹ぺこぺこでお食事に来るんです。

 パンくらい、お腹いっぱいになるまで食べてほしいじゃないですか」


 "それに"と、彼女は言葉を続けた。

 その眩しい笑顔は、こちらまで元気をもらえるようだった。


「そのくらいのサービスで厳しくなるような"ヤワな宿"じゃないですから!」

「……そうか。

 それじゃあ、おかわりも考えておくよ」

「はい!

 ごゆっくりどうぞ!

 あ、いらっしゃいませー!

 おふたりならこちらのお席が空いてますよー!」


 早歩きで接客する姿は、まさに看板娘だな。

 確か今年で成人したって聞いたから、15か。


「……いい子だろ。

 俺たちの"宝物"だ。

 やらないからな?」


 釘を刺す心配性のエンシオへ、表情を変えずに答えた。


「貰うつもりはないよ。

 長居するほど俺はこの町に滞在しない」

「それはそれであの子が悲しむ。

 数か月はウチに泊ってくれ。

 そして娘と付き合うな」

「無茶苦茶なこと言ってるぞ」

「分かってる。

 だが娘はやらん」

「そんなつもりはない。

 とりあえず、そのシチューをもらえるか?」

「おう!

 今日のシチューはいい出来だぞ!

 質のいいボア肉も多めに入れてやったが娘はやらん!」

「分かった分かった」


 溺愛する娘が心配なのは分からなくはない。

 15歳なら俺の世界ではまだまだ子供だ。

 まぁ、18も大して変わらないとは思うが。


 獣臭さがまったく感じられないシチューを口に含みつつ、俺は甘い香りがするクルミパンに手を伸ばした。

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