第8話 これが真の俺の思いぞっ


 向かい合った場で、改めて織田殿は俺を見る。

「棟梁、先ほど弓場での二回目の勝負のとき、笑っておったな。

 そして、一回目とは比べ物にならぬ働きを見せた。

 あれはどういう意味か?」

 つまりこれは、俺という人間の品定めの確認なのであろう。


「手前は相撲に対してあまりに経験がなく、その一方であまりに木下殿は強く、思い悩んでおりました。

 何かしら、相撲の形にはしたい、せめて組み合って、押し合うくらいのことはしたいと。

 人という生き物のさがなのでしょうか。

『このようにすれば押し合えるのでは……』などとつらつらと手を考えるうちに、『このようにすれば勝てやもぞ』と思考の語尾が変わっておりました。

 そこに気がついたとき、あまりのことに自らを笑っておりました。

 人というものがどこまで傲慢になれるか、そのあかしを自ら立てたようなものにございます」

 とつおいつ、俺は答える。


 この期に及んで、言い繕っても仕方がない。

 そもそも、「絵を描いてみせろ」と言われれば、織田殿が如何いかな化け物であろうが俺は手のひらの上で転がせる自信がある。

 そして俺が絵師であればこそ、俺を試そうとする者は誰もがそう言う。

 だが、織田殿はその手は採らなかった。逆に、相撲をとれと言われたときから、俺は織田殿の手のひらの上だ。


 どうにもこうにも、今の俺には織田殿を欺瞞する方法を思いつくことができない。俺という人間を見るのに相撲という方法を取られた以上、勝負の本質として、俺にはもはやどうにもならないということだ。

 これが織田殿の深謀遠慮で気まぐれではなかったからこそ、信春や直治どのが俺に替わって相撲を取るという申し出は撥ねつけたられたのだ。


 俺の言に、織田殿は再び甲高い声で言葉を発された。

「よかったの、弟子ども。

 お前らの棟梁はおかしくなったわけではなかったぞ」

 俺の後ろで三人ともが平伏した気配がある。


「さて棟梁、今は、こう考えておるのであろう?

『織田め、このままでは済まさぬ。必ずどこかで取り返さねば』

 と、な」

「滅相もございません。そのようなことは毛頭、考えておりませ……」

「嘘をつけ。

 そのような殊勝な男であれば、二回目の相撲も無様なことになっていたであろうよ」

 否定も肯定もできぬ。

 俺は、額を床に擦り付けた。

 それ以外にできることなど、あるわけがないではないか。


 だが俺に、二回目の相撲も無様に敗けて見せる選択はなかった。

 使えぬ男と見られるのは、心許せぬ男と見られるより悪いからだ。


「狩野の棟梁、たしかに油断のならない男であるな。

 その男が、何の用でわざわざ尾張まで来たのだ?」

 わざわざ、俺という人間を見尽くした上で、そして見尽くしたことを語った上で、これを聞くか。

 これはもう、本心からの開けっ広げを演じてみせるしかない。


「手前も絵師であればこそ、商売の話でございます。

 これから先、尾張でも大規模な普請を行うことがあろうかと存じ奉りますが、その際の障壁画にはぜひ、我が一派、もしくはその系に並ぶ者にご下命願いたく」

 系に並ぶ者という言い方、これは俺なりに信春に気を使ってやったのである。

 嘘の中にでも、だ。


 だが、織田殿、俺の言葉を丸々無視した。

「まわりくどいの。

 棟梁、単刀直入に話せ。

 時間の無駄だ」

 くっ、なかなかに恐ろしいではないか。


 松永殿と異なり、その性は明るい。

 いっそ、童のようであるとすら言ってもいい。

 その明るさが蛇に睨まれた蛙という思いを俺に抱かせないだけで、実態は松永殿の前にいるのとまったく変わらぬ。

 恐ろしいまでに人の心を見通す力と、ことわりから、びしびしと決めつけてくる。

 その中で、使える男か使えぬ男か、ためらいなく切り分けていくのであろう。

 ここで俺は、切り捨てられる側には回れぬ。


「では……」

 そう応えて、俺は周囲に軽く目を走らせる。

「不要だ、棟梁。

 最初からここには人払いの必要な者はいない。

 なにを話してもよい」

「では……」

 と、俺は繰り返した。

 今度の「では」は、本題に入るための言葉である。

 

「我が狩野は足利将軍家の御用絵師にして、その意を受けたものを描くことを生業としております。

 此度の将軍様弑逆に際し、その原因の一つになった仕事の下命を受けておりました」

「それは、どのような絵なのか?」

「その絵を授けられた者が、京の安寧と日の本の静謐を保てという足利将軍様の御内書を受けるに等しいものでございまする」

「それはおもしろい」

 織田殿、今、鼻で笑わなかったか?


「棟梁、そのような話、うかうか乗れると思うか。

 御内書でもなく、一介の絵師がでっち上げられるそのような話、誰が信じるというのだ?」

「ただの絵であれば、そのそしりを受けることもございましょう。

 ですが、五尺三寸に十二尺が対になる金泥をふんだんに使った大屏風、そこに描かれしは二千四百五十一人からなるの京の姿。ご下命でなければさすがの狩野にも持ち上がらぬものにございます。

 さらに……」

「さらに、とは、まだなにかあるのか?」

「この絵に込めた内意について、保証いただける方がいらっしゃいます」

「ほう」

 織田殿、初めて興味を惹かれたという顔になられた。


「そは誰か?」

「関白、近衛前久様」

 ここで、織田殿、呵々大笑された。

 俺たちだけでなく、家臣の方たちも沈黙する中で、ただ独りで笑い続けられた。


 俺たちが凍りつく中、ようやく笑いを収めると、織田殿は一転して厳しい目になられた。

 俺の背筋に、冷たい汗が伝う。

「さすが、天下の狩野よ。

 たかが屏風絵一双で、この世を動かそうとか?

 その意気やよし」

「滅相もございませぬ。

 狩野は御用絵師にして、将軍様の……」

「では、その将軍が討たれたとあっては、もはやその絵の価値はなかろう。

 今さらにその価値を生み出そうと動き回るは、絵師の分を超えているとは思わぬか?

 わざわざ尾張まで棟梁が足を運んだ以上、言い逃れはできぬぞ」

「……」

 さすがにそう言われてしまえば、すぐに返す言葉がない。


「棟梁。

 単刀直入に話せと言っておるではないか。

 わざわざ尾張まで来てこの織田に声を掛けるは、関白様の意だけではあるまい。それはそれとして、絵師の分を超え動く棟梁の意を話せと言っている」

 ……敵わぬ。

 これは敵わぬ。


「絵師は、京の町が静謐であるからこそ商いになるのでございます。

 町衆たちも京を守り、その静謐を保ってくださる方こそお慕い申し上げるのでございます。

 それがために、この尾張に来るに当たっても、木綿取引の町衆の案内でここまで来もうしました」

「ふむ、利があるからと申すか?

 利のために、ここまで来たと言うのか?

 織田は棟梁の上客にはなれぬし、未だ軍を率いて上洛もままならぬぞ」

 改めてそう決めつけられると、それもなにか違う気がし始めた。

 俺は、織田殿の将来性のなにを買っているのだろう?


 利ではない。

 むしろ、利を隠れ蓑に、俺は自分を騙していたのではないか……。


 俺は、初対面の俺より十ほどは歳上の武将に対し、偽りなき心情を話し始めていた。

 相手が松永殿であったら、どれほど決めつけられ、果ては拷問を受けてさえも話しはせぬことだ。だが、織田殿であれば、そこまで話しても良い気がしたのだ。


「……今から十二年前のことでございまする。

 祖父、元信に連れられ、十歳の手前は将軍様にお会いしたのでございまする。

 将軍様はもったいないことに、『源四郎』と手前の名を呼び、『励めよ』とお言葉をくだされたのでございます。

 それは祖父との、温かきかけがえのない思い出にございます。

 今回、その思い出のすべてを壊されてしまいました。

 将軍様は弑され、御所も焼かれてしまいました」

 ここで俺は息を吐き、一気に言い放った。


「手前は御用絵師でございます。

 ですが、町衆という立場であっても、意地と忠がございます。

 ここで私怨までもが重なれば、関白様とともに静謐なる世を迎えたかった将軍様の意はなんとしてもお適えしたくなるが我が情でございます。

 先代様は……、未だそうは言いたくありませぬが、先代様はお優しく、ご苦労の絶えぬ方でございました。その意を、その意をなんとしても……」

 理だけでは足りぬ。

 俺の情までさらけ出さねば、織田殿は納得せぬ。


「その棟梁の切なる思いが、織田であればどうして適うと思ったのだ?」

 それが、織田殿からの改めての御下問だった。

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