第6話 男と男の話ぞっ

 

「ゆえに、直治どの」

 俺は話し続ける。


「父は土佐の血を引く小蝶のことを、まずは派の拡大の道具として見ておろう。

 だから、その目的に使えぬことがわかっていて、みすみす手放しはすまいよ」

 俺の言に、直治どの、動揺を隠せない。


 唾をごくりごくりと飲み、俺に反論してきた。

「それでは、あまりに、あまりに小蝶様が不憫では?」

「不憫ではなかろう。

 この戦乱の世、天命を全うできる者は少ない。戦さに出なくても、野盗に襲われたり飢饉で飢えたりと、日々命を永らえるだけでも大変ではないか。

 そもそも、それを言い出せば、直治どのの方が不憫。

 あまりに戦さで国が荒れているからと、生命の危険があるからと国を出て来られているではないか」

「いや、そのようなこと……」

 虚を突かれたのか、直治どのは落ち着きなくもぞもぞと座り直した。

 今までで見せたことがない姿だ。俺は直治どのは動揺などせぬものと思っていたのだが……。


 おそらくは、自らが不憫と言われて、落ち着きをなくしているのであろう。武士の子が不憫という言葉に納得できるはずはないし、それに、不憫な者同士が夫婦になっても……、などと今さらに自分を省みているのやもしれぬ。



 俺は、それに構わず続ける。

「それに加えてだ。

 小蝶自身……、うちに来るまでは日々の糧にも困る、不幸な生い立ちがあった。それに比べれば、今は、な。

 あ、いや、だから今はこの上なく幸福だなどと言うつもりはない。

 だが小蝶は、自在に生きるのがおのれの幸せとは思うてはおるまいよ」

「では、棟梁に尽くすのが幸せと考えていると……」

 当然聞くよな、その疑問。


 小蝶の姿を見て、妹が兄に尽くしていると直治どのは思っていた。

 それが兄妹ではないとなれば、そこにあるのは男女の情か、この世のしがらみかのどちらかだ。

 そして……。

 直治どのは、柵の方に賭けたのであろう。


 だが……。

 俺は小蝶の真意を知っている。

 小蝶が俺にすり寄ってきているのは、円滑に柵の役目を果たすためだけではないことを、だ。ひょっとして、そう俺が思わされていることすら小蝶の深謀の結果だとすれば、それはそれで恐ろしくも頼もしくもある。

 とすれば、女とは凄まじき生き物としか言いようがない。



 なにはともあれ、直治どのの問いには答えねばならぬ。

 だが、ここで俺は一瞬と言えど、深く悩んだ。

 このまま立場で押して、直治どのに小蝶を諦めさせることはできよう。

 だが、それでは直治どのも諦めきれるものでもあるまいし、我ながら後味が良くない。


 直治どのは若輩ながら、間違いなく当代で五指に入る絵師だ。それに対し、騙し討ちも、立場で圧すのも、後々によろしくない尾を引く。これは、派を持つ棟梁絵師の商売とは話が異なる。俺は、派を持とうとする直治どのの妨害はするが、直治どのの才能や生き方、ましてや恋の妨害はせぬ。商売敵だとしても、個人的な恨みがあるはずもない。

 これは、「男に生まれたからには」の、矜持の問題だ。


 つまり、俺は直治どのに、「代々受け継いだものの有る無しで小蝶を取られた。人としては俺の方が上なのに……」などと思われるのは心外なのだ。

 特に、今の直治どのは、画才以外のなにものをも持ってはいない。十年後には当然異なっていようが、今は俺が持っているものに比べ、あまりに差がありすぎる。そして、今の俺が持っているものが代々の財であればこそ、そこに俺の男としての価値はない。

 なのに、棟梁として力押しすれば、俺という男の鼎の軽重を問われることになる。



 さまざまに考えた末……。

 俺は居住まいを正した。

「直治どの。

 小蝶に対し、懸想※1するなとは言わぬ。

 だが、今の小蝶の目にはたぶん、俺しか映ってはおらぬ。だが、狩野の家長として、仮にも妹となっている者に手は出せぬし出してもいない。

 また、それが小蝶がおのれの身を守るために、俺に見せているまやかしではないと言い切ることもできぬ。ただ、直治どのも思われるだろうが、小蝶はそのような女人にょにんでもなかろう。

 さて、これを直治どのはどうするつもりか?」


 俺の言葉に、直治どのも居住まいを正した。

「あえて、源四郎様とお呼びさせていただきます。

 先程の源四郎様と同じく、質問に対し、質問でお返しいたしましょう。

 建前抜きで、源四郎様は小蝶殿をどのようにお思いなのか、ということでございます。

 もしも、源四郎様が小蝶様を妹としてだけでなく、一人の女性にょしょうとしてもお思いなのであれば、それは思い思われているわけで、この直治、横車を押すつもりは毛頭ござりませぬ。

 あとは良きようになさっていただくしかなく、容喙ようかい※2できる立場ではございません。

 ですが、源四郎様が妹としてしか見ておられないのであれば……」

「それなりに、小蝶を口説いてみるか?」

「はい」

「うむ……」


 ここで、間が空いた。

 俺、再び考え込んでしまったからだ。

 だが……。

 いっそと思い、そのまま今の本音を語ることとした。


「直治どの。

 まことに申し訳ないことを言う。

 俺は、小蝶を好ましいと思っている。

 また、今の直治どのの言に、妬心を抱かなかったといえば嘘になる。ゆえに、俺は小蝶を思っているのかとも思ったのだが……。

 よくよく考えてみれば、これが懸想というものなのか、それがこの俺にもわからぬのだ。いつもそこにあるものだから、当たり前にそこにあるものと思い、それを奪われる悲しみなのか、その区別がつかない」

 俺の言に、直治どの、目を瞬けさせながら俺の顔を窺う。

「妬心を持って気がついた。

 俺は棟梁なのだ。

 狩野の血筋を残すためにも、妻を選ぶことについて過ちは許されぬ。

 懸想なのか、執着なのか、この違いを俺自身でわからないのは、これからも棟梁として生きていく以上、極めて由々しきことだと思う……。

 おそらくはこの先、他のなにかに対しても譲れるものか譲れぬものか、このような見極めは求められようし……」

 直治どの、俺の迷いを無言で頷く。


「直治どの、質問に質問で返し、それにさらに質問で返すことにはなるが……。

 俺より四つ歳下ではあるが、直治どのはこれぞ恋だというものがわかるのか?」

 直治どの、その場で平伏した。

「恐れ入りました」

「どういうことだ?」

 俺には直治どのの平伏の真意がわからない。


「我が器は、源四郎様に及ばず。

 私めにも、今のこの思いが執着なのか、恋なのかはわかりもうしませぬ。それなのに、派を率いることの覚悟もしきれぬまま、意味もわからぬまま、軽々しく派を立てたいなどと申し上げてまことに汗顔の至り※3。

 そして、この直治、歳下の者に頓着なく今の御下問をできる器はありませぬ。そして、聞かれたことにより、その自らの至らなさに気が付かされもうしました」


 そうか。

 そういうことか。

 だが、いくら早熟で策士の直治どのとは言え、齢十四ではわからなくて当然のことではないのかな、それは。

 ただ逆に、そうでなければ齢十八の俺が救われぬ。

 俺の歳は妻帯していても不自然ではないが、武家屋敷にせよ、寺社にせよ、女性を見る機会これなく、今のところ見合い話も父が止めているのであろう。

 そういう意味では、俺と直治どのの歳の差は、俺が馬齢を重ねた証しでもあるのだが……。 


「では、互いに恋というものがわからぬ者同士、このまま行くしかなかろうよ。

 直治どの、小蝶を口説いてみるがいい。

 小蝶にも、人生の新しい局面が見えるやもしれぬ。あれも生きるに当たり、迷いなき一本の道しか見えておらぬ。それが、間違いなく良いこととは一概には言えぬであろうという気がする。

 その上で、小蝶がどちらを選ぼうと、恨みっこなしだ」

「参りました」

「参ることはない。

 俺も学ばせてもらおう。

 なにせ、お互いまだ、どうとでもやり直しが利く歳だしな」

 そう言って俺は笑った。


 直治どのも、初めて笑みらしいものを顔に浮かべる。

 小蝶、これはお前にとってもこの先どう生きるのか、考える機会になろう。

 その上で、「犬が懐くように」ではなく、また、「棟梁という立場に依る」でもなく、源四郎という俺に惚れてくれるのであれば、それこそが本物の絆ではなかろうかと思うのだ。


 それこそ甘いと、父にはあざ笑われるではあろうが、な。

 


※1懸想 ・・・ 恋

※2容喙 ・・・ 横から口を挟むこと

※3汗顔の至り ・・・恥ずかしい。

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