第4話 見合い話ぞっ


 心ゆくまで描き、目を酷使し、二度とこのような仕事はできぬと内心思い……。

 俺は、画竜点睛を欠くままの屏風絵を、そのままにしまい込んだ。

 将軍様から御下問があれば、あらためて出してくればよい。そして、その時の状勢で、最後の筆を入れよう。


 そうこうしている間にも、京の町はざわめきの中で日々の生活を営んでいる。

 そして、またもや俺に難題が降り掛かってきた。人というものは、生きている限り、問題は尽きぬものなのかも知れぬ。


 小蝶に縁談が来たのだ。

 当然、家長としての俺が判断しなければならぬ問題である。

 相手先は、京でも有力な土倉の長男で、商売は手広い。あちこちの領主に、矢銭として金を貸しているほどだ。


 狩野の家が持っている寺社、武家との繋がりと、先方が繋がりを持っている領主、武家とを互いに紹介し口を利きあえば、共に顧客を倍にできるではないかという申し出である。

 家のこと、派のことを考えるのであれば、たしかに悪い話ではない。

 商いは、結局はどれほど間口を広げられるかに掛かっているし、小蝶の腕は惜しいが、扇絵に限れば他の絵師で代替えが利かぬ訳でもない。


 だが、おそらく……。

 小蝶が先方を知らぬのは当然として、先方の長男も小蝶の顔は知るまい。

 小蝶は京の町の下絵を描くときも、左介なりが付いていたし、市女笠にむし垂衣たれぎぬ※を被っていた。狩野の家は、町衆の中では名が通っている方だ。その娘が、顔を往来に晒して独りでうろうろと歩けるはずもない。

 あくまで互いの家のこと、そして、器量良しだという程度の噂で持ちかけてきた話であろう。


 飲むならば飲んだだけの利益がある話ではあるし、断るにせよ、どこかの領主を商売先として一つ二つ紹介してやれば、町衆同士としても義理は欠くまい。



 俺は悩んだ末、小蝶に話してみることにした。

 思えばこれが失敗だったのだが……。


「兄上様の命であれば、小蝶は嫁に行きます」

 即座にそう返されて、俺は早速に後悔した。

「小蝶、お前自身はどう思っているのだ?」

「お聞きになる必要がありますでしょうか、その問いは?」

 ……いや、ないな。

 それほど、小蝶の普段からの態度は明白だ。隙きあらば俺にすり寄ってくるというのは昔から変わらない。


 だから、聞く必要はないのだろうが……。

「なくても、確認の必要はある。

 家長だからな」

 俺はそう返した。

「では、兄上様、同じような縁談が兄上様にも来られたら、兄上様はどうされますか?

 釣り合う家の、年頃の娘との縁談が来ることもありましょう?」

 ……そう言われても、わからぬ。


 俺に縁談が来る……。

 小蝶に聞かれるまで、そんなことを考えたこともなかった。

 だが、言われてみれば、たしかにそのとおりだ。狩野の力を使いたいから、娘とくっつけようという町衆がいてもおかしくはない。

 というより、考える者がいないわけがない。

 俺はこの数か月以上、絵筆を握ること以外には目が行ってない。小蝶の身の振り方のことは考えぬでもなかったが、自分のこととしてはまったく考えていなかった。

 だが、その問題がいきなり目の前に放り出されてきた感がある。


「兄上様は、好ましいと思われる女性にょしょうは、いらっしゃらないのですか?」

「考えたこともない」

「では、どのような女性がお好みでございますか?」

「それは……」

 言いかけて、俺は口ごもる。


 欲を言えばきりがないが、絵筆をとって描いてみたいというほどの美しさがあればいうことはない。俺も男だから、そういう欲も人並みにある。

 もちろん、それが並外れて贅沢な望みだということもわかっているし、そもそも美にも好みがある。だから、まぁ、相手によっては、そう贅沢とも言えまい。

 例えば、信春が描きたいと言い出す美しい女は、俺にとってはなんとも琴線に響かぬのだ。

 つまり、その逆だってあろうさ。

 


 俺が思う、美しい女とは……。

 と思うと、目の前の小蝶の姿が脳裏に浮かぶ。今、目の前にいるというのにだ。

 ということは、やはり小蝶なのだろうか?

 いや、この考えはよくない。

 小蝶にいいように操られている気がする。それに、俺もそう多くの女性を見ているわけでもない。絵師とはいえ、どのような美にも精通しているということはないし、俺自身は女性の美を語れるほどの経験はないのだ。


 いや、そもそもだが、いかに美しい女でも歳を取るものだ。

 失われてしまう美しさより、狩野の嫁としては家を守るだけの器量の方が必要だ。また、あまりに吝嗇けち悋気りんきに満ちているようだと、この俺が日々苦労する。日々、絵筆を持つ気分を奪われてしまうのは避けたい。


 やはり、心根が優しく、気が利いて、絵の仕事のことも少しは理解わかり、小蝶のように家を差配できる者がよい。

 となると、やはり小蝶が……。

 いかん、これでは堂々巡りだ。小蝶以外を選ぶために条件を出しては、小蝶に戻ってきている。


「目が泳いでおりますよ、兄上様」

「うるさい。

 小蝶、お前はもう少し、しとやかにできぬものか?」

「おや、兄上様は、三歩下がり、常に一つ一つお考えを伺うような女性がよろしかったのですか?

 では、この小蝶も明日からそのようにいたしましょうか?

 さすれば、兄上様……」

「いや、やめてくれ。

 そのようなことになったら、いちいちあまりに面倒だ」

 小蝶の顔が、輝いたような気がした。


「では、これからも、この小蝶めに家宰を任せていただけるのですね?

 これでは、私、他家に嫁になど行けませぬなぁ」

「あ……」

「それではこれで、この話は終わりということで」

「ちょっと待て。

 先々、この兄が嫁を取るかもしれぬ。

 それは考えたのか?」

 このままではと、俺は聞く。


「相変わらず、兄上様はお優しい」

「どういうことだ?」

「縁談とは家と家のもの。

 これから先、兄上様がお断りになれぬ縁談もあるやもしれませぬ。

 そういった事情までお考えの上で、この小蝶の身の先々をお考えいただいたのですね。

 今のお言葉は、そういうことでございましょう?」

「……そうだ」

「だから、お優しい、と」


「……だが、それでよいのか?」

「兄上様。

 初めてこの家に来て、初めてお目にかかったときから兄上様は特別な方でした。

 ですが、この思い、まことに身勝手なこの小蝶の独りよがりでございます。

 ですから、最初からこの思いが成就するとは思っておりませぬ。

 私も好きにしますゆえ、兄上様も好きになさいませ」

 そう言われては、もはや俺から言えることはなにもない。


「……そうか」

 と、ようやく芸のないひと言を絞り出す。

「このようなこと、はずみで口から出たとはいえ、もともと口にするつもりはございませなんだ。

 小蝶は扇絵が描ければ食うには困りますまいし、兄上様はなにもお気にされることはなかろうかと。

 ああ、もちろん、兄上様が嫁子を取られた暁には、二度とおそばへは寄りませぬゆえ、ご安心を」

「相わかった」


 よっく、わかった。

 小蝶の思いを無かったことにはできないということが、だ。

 おそらくは……。

 俺が他家から嫁を迎え、ここで生活を始めれば、小蝶という花は枯れる。枯れぬ訳がない。「二度とおそばへは寄りませぬ」などと安請け合いできることの意味、たちが悪いことに、小蝶自身がそこに気がついていない。


 そうなら、俺が嫁を取る前に、そう、小蝶という花が枯れる前に他家に嫁に出すしかない。

 そこで新たな生き甲斐を見つけられるよう、天に祈りながら、だ。

 だが、それは相当に難しいやもしれぬ。




※市女笠に枲の垂衣 ・・・ このようなものです。https://dailyportalz.jp/kiji/social-distance-ichimegasa


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