第10話 謀は密なるを以てよしとすっ


「貝吹山城に炊煙夥し!」

 畠山の陣では、物見の報告に朝から大騒ぎになっていた。

 敵陣の炊煙が多いということは、移動が前提になる。つまり、攻めてくるか退却するかということだ。

 おそらくは、決戦の意思を固めたのであろう。


 大将、畠山高政の判断は早かった。

「地の利を奪われている今、後手に回ったら勝ち目は皆無となる。

 先に動く。

 出撃準備、整い次第、出る!」

「応っ!」

 安見宗房、遊佐信教、湯川直光ら、配下の武将が応え、一気に士気が高まった。


 やはり、守るよりは攻める方がよい。

 士気にあっても、攻撃は防御に勝るのである。

 まして、彼我の間には春木川が流れている。

 川向うに陣を移動できるかが、最初の勝敗の分かれ目であった。とはいえ、この士気であれば、渡河は成功させられよう。


 彼らも七ヶ月もの間、遊んでいたわけではない。

 もちろん、出撃の準備はいつでもできている。

 ただ、奇襲を受けてわたわたと対応するのと、飯を済ませ、馬にも草を食わせてから出るのでは、その後の展開が大きく違ってくる。ほしいいなどわびしく齧って出陣するのと、温かい飯と汁を食って出陣するのでも士気が大きく異なるし、乱戦の中、戦い続けられる時間も大きく違ってくるものなのだ。


 三好軍が動く前にこちらが機先を制すことができれば、相手の動きは一時的に止まる。物見がこちらの動きを見て報告し、大将が判断したのちに新たな命令が下り、それが各部隊に伝えられる。その動きのための時間が必要になるからだ。



 畠山軍が一気に渡河を終え、魚鱗の陣を組んだとき、初めて貝吹山城から矢が飛んできた。

 機先を取ることに成功したのだ。

 畠山軍は一気に肉薄し貝吹山城を落とそうとするが、三好軍もしてやられてばかりではない。

 当然のように土塁に依った激しい反撃に転じ、乱戦は一刻半にも及んだ。


 だが、漸く均衡が崩れ、畠山軍は崩れだした。結局、三好軍の貝吹山城という地の利を克服できなかったのだ。

 畠山軍は敗走に転じ、三好軍は本陣付きの備えまで動かして追撃に入った。

 すでに本陣は戦勝を祝う雰囲気になっており、兜も脱いでいた。


 だが……。

 追撃の結果として、三好軍本陣は馬廻り衆を残して空白となっていた。

 そこに、銃声が轟き……。

 三好軍大将、三好実休は、狙撃の銃弾に頭を撃ち抜かれていた。



 − − − − − − −


 俺は、ひそかに動いていた。

 信春と直治どのが、織田軍の援軍を演出し、開戦に持ち込む。

 織田木瓜の幟は、小蝶がひたすらに刷り上げた。

 騎馬武者の姿は、雲母きらら紙に、信春と直治どのが雄渾に描いてくれた。


 そして、直治どのの知恵を借りた。

 唐人から買った花火をほぐし、粉にしたものに火をつけ、数瞬の閃光を得た。

 弾薬たまぐすりは、突き固めれば爆発するが、広げて火をつければ一瞬で燃え、明るさは出すものの音はさほど立たない。

 このような弾薬の性質は、城主の息子である直治どのでなければ知り得ぬことで、一介の絵師に過ぎぬ俺たちには及ばぬ話だ。

 この閃光で、幟と騎馬武者の姿を、絵か本物か判別できぬほど短い時間見せたのだ。


 そして、幟や騎馬武者を描いた雲母きらら紙は、久米田池に沈めてしまえば痕跡は残らない、

 和紙は水中でもかなりの時間その姿を保ち、描かれたものも残る。が、今度は信春が良い案を教えてくれた。

 墨を、イカの墨に変えると和紙は早く腐るというのだ。


 信春の故郷、七尾は港があり、豊富な海産物がある。

 イカを食えば墨代が節約できるかもと考えたあたり、まことに信春らしい。筆に付けたときの伸びも良く、描くのにも良かったらしいのだが……。

 その和紙を崩して漉き直し、再び利用しようと水に漬けたらあっという間に腐り、悪臭を放つようになったのだという。

 当然、なにが描かれていたかもわからないほどぐずぐずになり、再生できなくなった紙代を考えれば却って高くついたという話なのだ。

 俺たちは、その知恵をすぐに使わせてもらった。


 つまり、信春と直治どのがいなければ、この策はそもそも成り立たなかった。

 その二人は、着ていた紙子を他の紙類とともに久米田池に沈め、普通の地味な小袖に着替えた上で京に戻ってきていた。その小袖はすでに、吉岡の染屋に持ち込まれ、憲法色のものに化けつつある。

 つまり、行き帰りとも服装から信春と直治どのを割り出すこと、もはやかなわぬ。


 ただ、たった三日足らずの間に、信春と直治どのは共にその頬はげっそりとけていた。

 特に帰りは、ほとんど飲まず食わずで歩き通したらしい。

 二人でようように帰り着くと水瓶の水を飲み尽くし、行水を済ませ、小蝶が用意した玉子粥を食べ尽くし、一寝入りした後にさらに飯を貪り食って、ようやく人心地が着いたという顔になった。


 だが、信春と直治どのが急いだ甲斐はあった。

 松永殿の使いが工房に来るなり、皆の顔だけ見てものも言わずに帰っていったのだ。信春と直治どのは、まだ飯を食っている最中という性急さだった。


 おそらく、三好軍の敗戦の知らせは早馬で京に着いたのだろう。

 だが、徒歩とはいえ、戦さが始まるはるか前に現地を発った、信春と直治どのの帰京の方が早かったのだ。

 おそらく、松永殿の使いは工房に全員がいることを確認していったのであろう。さらには、障壁画を依頼されている各普請現場にも行くに違いない。


 この確認は……。

 信春と直治どのの細工に気がついたのではない。

 間違いなく、俺が密かに進めていた、もう一つの小細工について確認に来たのだ。


 俺が、信春と直治どのはおろか、小蝶にも内密でやっていたことがある。

 京の町衆たちと共に、密かに、なのだ。

 それは、雑賀衆への仕事の依頼だった。



 − − − − − − −



 畠山の陣には、すでに根来衆が雇われていた。なので、俺が話を持っていく相手は雑賀衆になった。

 依頼内容は、「一月二十日※1にいくさを起こすゆえ、三好の大将を討ち取って欲しい」というものだった。

 最初は、将軍地蔵山で仕掛けようかともと思ったのだが、京に近すぎるとあからさますぎて露見する危険があると考え直したのだ。


 雑賀の頭領、雑賀孫一は、敵の大将を討ち取った手柄が商売敵の根来衆のものになることを承知の上で、仕事を受けてくれた。

 多額の報酬を約束させられたものの、町衆たる俺たちが、いくさに介入する方法は他にはない。


 同時に……。

 三好実休殿の兄、嫡男義興殿についても手を打った。

 岩絵の具の緑青は青みがかった緑色を出す粉末だが、なぜか古いものほど毒が強い。そして、選り抜きに古いものが、密かに運ばれてた。高級別誂品の繁縷塩はこべらしおに混ぜられ生活雑貨を扱う町衆の一人から献上され、義興殿の歯の掃除に使われることになろう※2。

 診察する医者も町衆の一人として、薬石と称して砒素を含む石黄を処方することになる。

 そして、毒を盛る手を汚したのは松永殿。

 京の町に流れるのは、そういう噂となる。


 結局、松永殿に権勢を与えたのは三好殿なのだ。

 その三好殿家宰への、小蝶の身の安堵という俺の直訴は、けんもほろろに突っ返された。それどころか、松永殿以上の無理を持ちかけられたのだ。

 妹は松永殿へ、三好殿へ狩野の扇の販売権からの上がりの半分に加え、武家屋敷の障壁画の上がりの半分を献上せよなどと、飲めるわけがないではないか。


 こと、ここに至り、父とも密かに協議を重ねた。

 ただ、このあたりは当然のように、信春と直治どのはおろか小蝶にも内密のことである。とても言えるものではない。


「小蝶を差し出せば済む」と言う父への説得には苦労した。

 だが……。

「なにがあろうとも差し出さぬ」と言い張る俺に、最後は父が折れてくれたのだ。


 ともかく、他の町衆、それこそ直接に取引をしている者たちまで、上がりを掠められていて相当に怒り心頭に発していたようだ。その件数の多さが、最後には父の考えをも動かした。

 町衆の中には、久米田との間にある堺の会合衆に繋がりがある者もいて、さらに企みは齟齬なく進んだ。もっとも、これは信春と直治どのにも話せなかったので、久米田までの往復ではより苦労を掛けてしまったが……。


 結果として、三好殿はついに京を追われたのである。




※1 グレゴリオ暦1562年3月5日は、ユリウス暦1562年2月23日、でもって、和暦永禄5年1月20日にあたるようなのです。


※2 歯磨きのあと、口をすすぐ習慣ができるのはわりと新しいそうです。

 また、緑青自体は無毒ですが、古いものほど精製が不十分でヒ素の混入が見られるとのこと。

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