第4話 一年という時が経ってみればっ


 一年が経った。

 洛中洛外図に描くべき下絵は、うず高く積まれる量になっていた。

 信春も、直治どのも、小蝶も、俺も、暇さえあれば下絵を描き続けていた。

 金泥を塗った屏風も仕上がっており、仕上げにかかることはいつでもできた。


 だが……。

 俺は躊躇っていた。

 このまま描きあげて良いものかという、根本的な決断ができないのだ。


 なぜならば、この一年の間にはさまざまなことがあった。

 昨年の三月、将軍様の三好殿への御成とほぼ同時期に、長尾景虎殿は鎌倉にて関東管領を受け継ぎ、名を上杉政虎殿に改められた。

 その一方で、小田原攻めは城内に入り込むまで北条殿を追い詰めながら、武田殿による領国の危機に包囲を解き、越後に戻らざるを得なかった。


 その一方で、関白様は越後を離れ、上杉殿のあとを追って関東の古河城という城に居を移されたらしい。

 最初は上杉殿と一緒に、関東を平定されるお心計つもりであったのだろう。

 ところが、この上杉殿の越後への帰還には、ついぞご一緒されなかったと伝えられてきている。


 上杉殿の留守の間の関東をお守りするにしても、上杉殿が引き続き軍神の如き強さを世に見せられ続けていれば、まだよかったのかもしれぬ。

 だが……。

 事はそう納まらなかった。


 九月になって、信濃は川中島で大戦おおいくさがあったのだ。

 その噂で、京の町が騒然としたほどの、である。なにしろ、激戦の挙げ句、大将同士の一騎打ちにすら及んだというのだから常軌を逸している。

 そして、どちらが勝ったとも言いにくい渾沌とした状勢のまま、双方が名の知れた将を失いつつ軍を引いたというのだ。

 これが噂にならない方がどうかしている。


 さぞや、後世にまで語り継がれる名勝負ではあろうとは思うが……。

 京の町衆の中、特にやんごとなき方たちと取引のある者の中では、この戦さの評判は極めてよろしくなかった。


 大将同士の一騎打ちで切りがつかなかったのは、むしろ良いことだった。

 そもそも、大将同士の一騎打ちでどちらか片方が討ち死にしたとなれば、負けた方の国はすべてが終わってしまうのである。

 大将というのはそれだけ重いものなのだ。


 やはりそもそもであるが、いにしえの源平合戦ですら、そんなことはしていない。

 さらに遡って今昔物語に記された源宛と平良文の一騎討ちにしても、合戦とは呼べぬほどの小競り合いであったし、平将門の承平天慶の乱の頃の話で武士がまつりごとにさほど関わらない時代の話ではないか。


 そして、このような突発的な事故とも言えるような国の滅亡は、町衆たちの商いに大きく影響する。

 武将に戦費を貸している酒屋土倉もあるし、刀槍、兵糧などを掛売りで売った者もいる。勝とうが負けようが、取り立てはできる。だが、一騎打ちなぞで貸した相手が討ち取られてしまえば丸損だ。

 そして、戦さ自体がこのような賽子さいころ勝負になってしまうのであれば、武将相手の商売はもはやできない。


 そのようなことから、静謐なる世を作るための最も有力な武将であるはずの上杉殿の一騎打ちは、京の町衆からしてみれば暴挙としか思われなかった。さらに町衆の中でも口さがない者たちは、「小田原での負け戦を取り返そうと、あざとい真似をなさったんとちゃいますか」とすら言い放って憚らなかった。


 関白様が上杉殿とともに越後に帰ることはせず、下総国の古賀城に残られて関東の安寧にご尽力されていることについても、町衆の間ではもはや報われないだろうという見方だけは一致していた。

 そして、上杉殿との間に、秋(空き)の風が吹き出したが最後、近いうちに関白様は京にお帰りになられるだろう。

 それが、俺が本能寺で得てきたもっぱらの噂だ。



 このような状勢になると、上杉殿への進物たるこの洛中洛外図の屏風絵、当初の目論見どおりに使われることはもはやないのではないか。

 つまり、狩野の派にとってこの絵は、今やお荷物以外の何物でもない。

 ただ、当初から考えていたとおり、他の注文や下命にこの絵を振り替えることはできよう。だが、そうであれば、あらたな話が持ち上がってから、新たな依頼主の心に沿うように仕上げた方が良いのは当然のことだ。


 そのような考えが俺を逡巡させていたのだが、そのときはまだ俺も、戦さの火の粉が、自分たちに直接降ってくるとは思ってもいなかった。



 − − − − − − − −



 大戦さというものは、武士の心を浮き立たせ、「我も次こそは」などと考えさせるのではないか。

 川中島の合戦の話に、密かに熱い血で全身を滾らせた者も多いはずであるし、それに身体までを動かされたというわけでもなかろうが……。

 暑いさなか、細川殿が兵を挙げたのである。


 細川殿は、代々管領を務め、足利将軍様を補佐されてきた家柄である。その御威光も三好殿とその家老の松永殿によって覆い隠されることが多くなり、ついに耐えられなくなったのであろう。

 将軍様ですら、日々、生命の危険を感じる世の中だ。おそらくは、管領といえども、このままだといずれは殺されるという恐怖もあったに違いない。


 細川のご隠居、晴元殿が次男晴之殿を大将に仕立て、三好殿と決戦に及んだのだが、何ヶ月もの戦いの末、晴之殿はついには討ち死にされた。そして、晴元殿は幽閉の憂き目にあいなったのである。

 武家の世界は厳しい。

 戦さの勝敗に家格はなんの力にもならず、単にその戦さの結果によってすべてが決まってしまう。


 この戦さは近江の国のことではあったが、京からは一日で往復できる目と鼻の先のことである。

 三好殿の戦勝の知らせは、洛中を一瞬で駆け巡った。

 もはや……、将軍様の御威光を取り戻すことは能わず、三好殿の思うがままの世が来た。

 京の町衆たちも、冬の到来とともにこのことに対する諦念を同時に受け入れたのだった。


 俺は、内心忸怩たるものを抱きながら、町衆たちのその諦念を手紙として記し、松永殿からの使者に渡した。

 松永殿からの手紙には、此度こたびの戦さについて、細川殿が管領の立場を追われるであろうことが書かれていた。


 松永殿の使者が帰ったと思ったら、折返してやって来て……。

「今より屋敷に参上せよ」とのお達し。

 これには俺、正直なところ、恐れを抱いた。


 やむなく俺は全身から気を集め、松永殿にお会いするための覚悟を決めた。

 蛙が蛇に会いに行くのだ。

 並の覚悟では済まぬ。


 俺は左介を連れ、松永殿お屋敷に向かった。

 小蝶には、「いざとなったら逃げろ」と言い残して。

 信春、直治どのは京の町に出ていて、なにかを言い残すこともできなかった。


 とは言え、松永殿はどれほど恐ろしくても狂犬ではない。この場で俺をどうこうしようとはせぬではあろう。だからといって、その予想は俺を安心させはしない。そもそも俺を呼び上げるからには、必ず断れないなにかを押し付けてくるはずなのだ。


 まぁ、どれほど酷いことになろうとも、おそらくは左介までは殺すまい。というより、最悪、狩野の派が潰されたことを知らせる使者にさせられることになろう。



 正直に言おう。

 松永殿の屋敷の門をくぐる際には、足が震えた。

 去年、なぜ俺は「松永殿に取り入る必要はない」と判断してしまったのであろうか。

 あのとき、取り入っていればこのようなことにはならなかった。

 その思いが切々と内心を灼く。


 そして、俺は半刻後、松永殿の前に平伏していた。

「よく来たの、棟梁」

 俺は、黙って額を床に擦り付ける。

 なんにせよ、余計なことを言わぬが吉なのだ。


 ただ、そのまま固まってもいられない。

 頭を上げると、相変わらず、松永殿、黒目なのがよくわからなくなるような、底光りする目で俺の顔を眺める。


「忙しそうだの、棟梁」

 重ねて声を掛けれられ、俺は観念した。

「皆様方のお引き立てを持ちまして……」

「……」

 返事がない。

 ただただ、じっくりと怖い目で表情を窺われた。

 

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