第3話 まさか、御成とはっ


 小蝶は、松永殿の考えそうなことを、とつおいつ話し続ける。

「父上は、この松永殿と互角に渡り合っていたと聞いております。おそらくは松永殿も、父を単なる御用絵師とは思ってはおりませんでしょう。

 さらに松永殿は、兄上とも取引をされております。つまり、兄上を交渉相手に足ると見ておられる。

 となると、宗祐叔父も狩野の人間の端くれである以上、相当の交渉相手と見做されるでしょう。そして、その人間の書いたものである以上、小田原城内の様子は危機的なものと読むかもしれませぬ」

 そう、その誤解こそ望むところだ。


 だが……。

 瓢箪から駒とはよく言ったものだ。

 あの堅物叔父、堅物ゆえに世の流れを変えるかもしれぬなあ。


 小蝶は話し続ける。

「つまり、北条殿が負ける可能性があるとなれば、長尾殿が京に大軍をもって凱旋上洛なさる見込みがないとは言いきれませぬ。

 となれば、三好殿も、ひいては松永殿も、将軍様に対してひとまずは和解の手立てを講じることになろうかと」

 と、ここで……。

「なるほどなぁ」

 声が大きい。

 うるさいぞ、信春。

 どうも皆、内緒話が下手な面々だ。感情が顔に出すぎるし、声も大きい。


 そもそもな、信春。

 直治どのも俺も、とうにそれ以上の先を読んでいるんだよ。

 そして、小蝶ですら気がついている。お前が鈍すぎるのだ、信春。



「一ヶ月、待ってみようではないか」

 俺は、直治どのの案を受け入れる形で、この場をまとめた。

 だが、その一方で俺は別の心配を始めていた。


 このまま将軍様と三好殿、松永殿が和解をされ、それが永続的なものになった場合、今、この場で捏ねている金泥は無駄になりかねない。

 当然、金としての回収はできるが、話はそんなことではない。

 屏風絵自体が不要になるやもしれず、そうなったら今までの苦労は水の泡だ。


 洛中洛外図、納期が伸びるくらいならまだ良いが、不要であるという話になったらそれはそれで切ないものだ。

 将軍様のおん為であるし、御用絵師としたら、それもまた喜ばねばならぬことなのではあろうが……。


 いっそ、狩野の自腹でこの絵を仕上げてみようか。

 そこまで俺は考えさせられていた。



 

 − − − − − − − −


 早くもその二日後。

 直治どのが工房に駆け込んできた。

 信春と直治どのは、時間があれば京の町を歩き続け、絵の素材を探し続けている。そこでなにかを見つけたのだろう。


「棟梁どの、三好殿の屋敷に新たな冠木門かぶきもんがっ。

 材木が運ばれ、職人が大勢来ておりました」

「……まさか、御成おなりか?」

「おそらくは」

 俺、呆然とした。

 あまりのことに、直治どのに重ねて掛ける言葉が見つからない。


 そこへ、信春がお気楽な顔で帰ってきた。

「帰ったぞ。

 市で大騒ぎが起きていた。なんぞ新しい祭りでもあるのか?」

「市とは、食い物のか?」

 信春の答えを確信しながら、俺は確認のために聞く。

 京の町は人が多い。

 なので、絹、繭、紙、馬、牛などさまざまな種類の市が立つのだ。


「なぜ、食い物の市とわかった?」

「御成だ」

 俺は再びその言葉を口にしていた。



 御成とは、将軍様が臣下の家に行くことである。

 臣下はそれを名誉と思い、将軍様に対してさまざまなもてなしを行う。

 おそらくは庖丁道の進士殿による包丁の技で饗応きょうおうを行い、山海の珍味を取り揃えることになるだろう。猿楽なども見せることになろうし、将軍様が屋敷に入る際には新造の門を使っていただくことになる。


 武士の嗜みとして、直治どのは式法の詳細までは知らずとも、御成がどのようなものかはおおよそ知っているだろう。だから、三好殿の屋敷に新たな冠木門が作られているのを見て、その意味を察したに違いない。

 だが、残念ながら、またもや信春にとってはいいところを見せられない事態である。信春が、武家の式法を知っているはずもないからだ。


「要するに、宴会をするんだろう?

 たかが宴会一つで、市が大騒ぎになるのか?

 祭りでもあるなら、下絵の一つも描こうと思っていたのだが……」

「信春どの、御成の宴席で出される料理は、いくつくらいと思われますか?」

 と、これは話を聞きつけて、当然のような顔をして俺の横に座り込んだ小蝶の問いだ。

 隙あらば小蝶め、すり寄ってくるな。距離感が兄妹のそれではない。夫婦に近い。

 俺、軽く尻を浮かせて距離を取り直す。

 あまり人前でくっつかないで欲しいのだ。


 それを見ていた信春が吐き捨てた。

「知るかよ。

 だが、まぁ、将軍様を饗すからには、五皿くらいではないか?」

 信春、お前、七尾にいた頃からあまり良い宴席に出ていないな。というか、普段からせいぜい一菜のみで飯を食っているに違いない。

 まぁ、信春のことだ。小金を握っても、メシより岩絵の具に化けるのであろう。だが、絵師は身体が資本だ。

 とはいえ、実は俺もそう偉そうなことは言えぬ。


 俺も宴会に出るなら絵筆を握っている方が気楽で良いが、障壁画の完成はその建築物の落成を意味することもあり、祝い膳とは無縁ではいられぬ。

 必然として礼式も覚えざるを得ないが、そこまでして塩気のきつい魚などの料理を次から次へと食べたいものでもない。また、その塩気をアテに濁酒を浴びるように飲む者もいるが、それも俺の性には合わぬ。

 結局、俺という人間は、薄味に炊いたものが一品あれば足りてしまうのだ。



 俺が、そんなことを考えているのを他所に、小蝶がため息を噛み殺しながら信春に話しだした。

 まぁ許してやれ、小蝶。

 信春が饗応を知らないのは当前のことなのだ。


「式三献と言って、始めに三食を食べ三献の酒を飲みます。そのあとは、七五三本膳料理が並べられます。お膳が七つですよ、七つ。

 その後に、十五から十七献までの……」

「小蝶どの。

 初めて聞く言葉で、言っていることがわからん。

 膳にしたら全部でいくつ……、おっと、膳に乗る皿の数はわからぬから、それではやはりだめだ。

 うー、皿にしたらいくつ出てくるのだ?」

 そう聞かれて、小蝶は天井を睨む。

 頭の中で数えているのだろう。


「……優に八十皿は超えましょう。九十皿に届くやもしれませぬ」

「はあっ?」

「山のもの、川のもの、海のもの、とり、さかな、えびに貝、干したものに刺、焼いたもの和えたもの、鮨、甘いもの、水菓子、果てがありませぬ。

 そして、おそらくは急ぎ決まったものゆえ、これらの珍味を猶予の間もないまま持ってこいという話になったのでございましょう。

 十名の宴席であれば、珍味ばかりで八百皿を超えますゆえ、これは市も騒然とするはずでございます。

 また、もてなしとして、長く塩をして置いておかれたものは避けようとするはずでございますから、猟師、漁師共に駆り出されることになりましょう」


 小蝶の言に、信春が呻くようにつぶやいた。

「九十皿……、そんなに食えんぞ」

「そもそも、誰もお前に食わせてない」

 俺、思わず信春に言い被せた。


 だが、まぁいい。

 気持ちの問題だが、信春がいると深刻にならなくて済むな。



「ともかくだ。

 やはり、宗祐叔父の手紙が物を言ったものと見える。

 北条殿が負けた場合に備えて、三好殿は手を打たれたのだ」

「ということは、この絵はいらなくなるな?」

 そう言って、信春は京の町で描いてきたであろう下絵を、指先で摘み上げた。


「いやいや、ますます必要になった」

 と、俺は答える。


「どういうこ……。

 なるほど、わかった。そういうことか」

「本当にわかっているのか、信春?」

 俺だけではない。

 直治どのも小蝶も、露骨に疑いの眼差しで信春を見た。

 だが、信春はそれに気がついていない。


 信春、得意そうに話す。

「さすがにわかるぞ。

 急いで饗すほど間に合せの忠義が、まことのものであるはずがない。そんなもの、どっちにとっても見え見えだ。またすぐに猜疑心に取って替わる」

 ……つくづく思うのだが、愚かではないのだ、信春は。

 ただ、まぁ、これは「生まれたまま」という奴なのかもしれぬなぁ。



 ともかく、俺は一ヶ月を待つことなく、判断を下していた。

 松永殿に取り入る必要はない、ということである。


 だが、三好殿の方針転換は宗祐叔父の手紙だけでなく、より深い松永殿の読みがあったことを俺が知るのは翌年のことになる。

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