第2話 これは前途多難なっ


 直治どのが、松永殿からの手紙の封を切る。

 信春と小蝶も気配を察して集まってきた。

 俺宛のものではあるが、直治どのに最初に読んでもらって、解説とともに内容を話してもらうのが一番話が早いのだ。

「武田殿が、信濃松代に海津城を築かれたそうな。

 これは……」

「さすがに俺でもわかるよ、直治どの」

 俺の言に、信春と小蝶も頷く。


 空にした領国の喉元に城を作られたら、これは程々のところで帰国せざるを得ない。留守の間に領土に侵攻されたら、すべてが終わりだ。

 この事態は、直治どのの最初の読みどおりだ。


 つまり長尾殿は、武田殿の決断次第で、関東から間を置かずに戻らなくてはならなくなった。

 京の町は未だに、応仁の乱の傷跡が残っている。だから、京の町衆はいくさがどういうものかは知っている。だが、軍略となると別の話だ。その軍略を知らぬ俺にもわかることが、なぜ常勝の長尾殿にはわからなかったのだろう?


 父に聞いてみたいところだが、父は大徳寺の巨大な仏涅槃図を描く仕事を受けることに掛かりきりになっている。しばらくはそちらに注力することになるだろうし、仕事を受けることができたら今度は製作にひたすら忙しくなるだろう。


 だが……。

 さすがは直治どの、そんな俺の疑問にも考えがあったらしい。

「それは……。

 前回の長尾殿と武田殿のいくさ、和平を仲介したのが将軍様だからではないでしょうか?」

 と直治どの。

 それは、俺も初耳だ。

 というか、町衆の噂にはきっと流れた。だが、その話を聞いたときの俺は、このような事態に巻き込まれるとは思っていなかったのだ。なので、そのまま右から左で忘れてしまったのだろう。


「なぜ、そのようなことまで、直治は覚えておいでか?」

 信春が聞く。

 この男、師筋の俺ですら呼び捨てにするくせに、ついに直治と呼んだか。

 信春は天賦の才が絵に傾きすぎているから、あくまで絵のみであれば自分より劣る直治どのが、卒なくすべてに才を発揮するのが不思議に見えるのだろう。


 俺が直治どのを歳下の弟子筋になるのに「どの」を付けて呼ぶのは、妾腹とは言え一城の主のそくだからだ。つまり、士農工商の士大夫※の身分なのである。

 だが、信春はそんな事は考えない。

 だが、考えなくても、今回のように敬称をつけて呼ばねばならぬとわかることもあるらしい。



「我が肥前国の戦乱は激しく……。

 危急存亡のときには、将軍様による和平仲介を我が父の城にもいただきたいと常日頃から思っておりました。なので、どのような伝手、どのような流れで実現できるものなのか、話を集めておりました」

 なるほど。

 それは切実であろうなぁ。

 俺は思わず嘆息を漏らした。文字どおり、命懸けの所業ではないか。


 直治どのは続ける。

「話を戻しましょう。

 将軍様の仲介があった経緯があり、そして関白様が越後にいる以上、武田殿は我が領地に攻め込めない。そう長尾殿は判断されたのでしょう。

 そして、武田殿が自らの領内に城を設けることは、なんらはばかる必要なきこと。それは武田殿が勝手気ままにできることで、戦さを起こす気などないと言われればそれで終わりでございます。

 つまり、牽制と実際のいくさの間には大きな距離がありますが、だからといって長尾殿も安心してはいられなくなったでしょう」

 ……そう考えていくと、越後、甲斐信濃、相模に遠江は、強大な諸将たちが三すくみ、四竦みにお互いを縛り合っている。

 やはり、長尾殿が軍勢を引き連れて京に現れるということは、相当に難しいことなのではないか。

 となると、近い将来に実際に京の町に姿を表すのは、多少力は弱くてもよりここに近い国の武将か、方向を変え中国地方の武将かが京に現れることになるのかもしれない。


 俺はそこでさらに思い悩む。

 なぜなら、もう一つ考えておかねばならぬことがあるからだ。

 松永殿はなぜ、この話を我々に知らせたのか、である。


 松永殿であれば、この日の本の国の情勢をいくらでも知ることができる。その中のどれを知らせても、俺に対する義理は果たせる。

 その中にあって、なぜこの内容のことを知らせてきたのか。

 そこを見誤ることは許されないと思う。


「やはり……。

 関白様、将軍様のご意思は果たされることがない。だから、三好殿、松永殿に与せよということか……」

 俺は呻く。


 どんなときでも、意思を表すのは早ければ早いほどよい。

 勝ちが決まった陣営への参加は、虫拳※の後出しみたいなもので、罰せられないための言い訳にしかならぬ。

 将軍様を裏切る気は毛頭ないが、なんらかの逃げ道を作る必要はあるかもしれない。さすがに、派の絵職人たちを巻き添えに、狩野の生死をすごろくの賽の目に任すようなことはできない。

 なら、形だけでも松永殿への……。


「一ヶ月、様子を見ましょう」

 と、俺の顔色を見た直治どのが言う。

「なにゆえかな?」

 俺の問いに、直治どのは答える。


「私、棟梁殿から前島 宗祐殿のお手紙を見せていただきました。

 今回、その写しがそのままに、松永殿の元へ運ばれたわけでございますよね?」

「あっ、わかった!」

 小蝶、声が大きいぞ。


「俺はわからぬ」

 信春、お前がわからないのは予想がついている。だから、わからないことを宣言する必要はないぞ。


 だが、小蝶は勘が鋭い。

 もしも、このまま先読みをできるようになってもらえれば、直治どのと二本立てで危機回避ができよう。考える役割の者はいくらでも欲しいのだ。


「小蝶、お前の考えを言ってみろ」

 俺はそう促す。

 直治どのは、俺の考えを読み取ったらしい。小蝶に、にこりとして先を促した。


「宗祐叔父様の手紙にあった、北条殿の小田原城の状況は切羽詰まっておりました。

 春は、冬越しを終えて食料も少ない時期。

 なのに、城下の民まで含めて総力で籠城の準備をされていて、敵の長尾殿は十万もの軍勢。

 皆怯えているという話は、焦眉の急を伝えるものでございました」

「そのとおりだ」

 と俺は相槌を打つ。


「言いにくいことながら……。

 宗祐叔父は、関白様の絵競いの際にも立会人を務めたほどお堅いお方でございます。

 人が裏切るものであることなど、頭では理解わかっていても、心情では決して許せず受け入れられぬお方でございます。

 その方がその心情のまま、小田原城内の流言飛語を迫力を持って書いておりました。つまり、流言飛語を許せぬ思いが、城内の裏切りの噂を針小棒大に書かせております。

 私どもは、この手紙を宗祐叔父の堅さを知った上で読んでおりますが、その為人ひととなりを知らぬ、狩野の外の人間がこれを読んだらどう思いましょうか?」

 わかっておるではないか、小蝶。


 しかし、若干、宗祐叔父が可哀想でもある。

 あまりの融通の利かない堅物さが、元服したばかりの直治どの、よわい十五の小娘である小蝶にすら見透かされているのだ。

 まぁ、一族の棟梁である俺がここで笑ったりしたら、この場にはいないとは言え、さすがに宗祐叔父にとっては救いがなさすぎようか。



「兄上から聞いた話ではございますが、松永殿は、蛇のように執念深く、鳥のように敏で、並の人には及びもつかぬほど聡いとお聞きしました。

 ゆえに、宗祐叔父の手紙に嘘がないことはすぐに見抜かれましょう」

 そうだ、小蝶の言うとおりだ。

 

 心の片隅で、松永殿に対して申し訳ない気もするが、宗祐叔父の為人、この際、最大限に利用させてもらおう。

 後日、宗祐叔父が松永殿に御目通りすることがあれば、さぞや松永殿、愕然とされるやもしれぬがそこまでの責任を負うことはできぬ。と言いながら俺、「してやったり」と頬が緩んでしまうのだが……。

 きっと、あとで父にこの顛末を話したら、腹を抱えて大笑いするに違いない。


 松永殿は、他人から陥れられるような甘い御仁ではない。

 だが、事故であれば……。

 事故であれば、どのようなこともありうるのではないか。





※士農工商の士が武士と同義になったのは江戸時代から。

※虫拳 ・・・ 蛇と蛙と蛞蝓なめくじの三すくみによる日本最古のじゃんけん。今の鋏、紙、石は、明治時代に普及。

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