第9話 そうだ、屏風に仕立てるべしっ


「将軍様には今日にも使いを出し、早ければ明日にでも再度お目通りを願うこととし、松永殿の塗輿免許をお願いしよう」

 俺は、話を続ける。

「おそらくは、なんら問題なくお聞き届けていただけよう。 

 将軍様にも利のあることではあるし、我らがすでに狩野の工房から足を踏み出せぬ状態になっている旨をお伝えすれば、わかっていただけるだろうからな」


 うむ。

 とばかりに、その場の全員で頷きあう。


 俺は、話し続ける。

「とりあえずだが、そのあたり、早急に済ませねば外を出歩くこともできず、描き出せない。

 一年を通してその姿を描くとなれば、今日の一日から、一年後の今日に至るまで、三百六十余日のその姿を描かねばならぬ。となれば、一日も早く描き出したいものだ。

 なにせ、なんらかの行事がある日は当然のこととして、京の一年はそれのみで過ぎていくわけではない。至るところで、老若男女の生活の営みが行われている。それこそを描かねばならぬからな」


 俺の言葉に、信春が問うてきた。

「それ自体はわかった。

 だが、それぞれをどう絵にまとめる?

 技の話だ。

 京の町のすべてを写し取るなど、実際にはできかねるぞ」

「大和絵の金雲を使う。すやり霞だ。

 小蝶、このあたりも助力を頼む」

「はい、兄上」

 小蝶め、うれしそうではないか。

 だが、大和絵については、この四人の中でも小蝶に一日の長があるのは事実だ。


 金雲、つまり、すやり霞とは大和絵の技法だ。

 金色の雲の合間から風景を覗き見下ろすという描き方は、今回のような絵には必ずと言っていいほど用いられる技法である。金雲で隔てられた風景同士は、絵に描かれた立地の繋がり、季節の移ろいなど、かなりの部分で辻褄を考えなくてよいという暗黙の了解がある。

 絵巻物など、解きながら、巻きながら見ていくうちに、描かれる舞台や季節が変わっていくものだが、金雲、すやり霞で隔てられていれば、それはそこで空間なり時間なりが経過したということなのだ。

 そうでなれば、風景を描くときは厳密に歩測からすべてを始めねばならなくなってしまうし、絵に表せぬ時の流れはくどくどと説明の文を付けねばならなくなってしまう。


 だから、京全体を描くにしても、金雲を使えば各条坊※のすべてを描く精密な絵地図である必要はなくなるし、四季の移ろいもおおよその流れに従えば、一枚の絵に同居させてもよいものとなるのだ。

 我々は、ただ単に雲の間から覗く、その折その折の京の生活を描いたという趣向になり、見る者も暗黙の了解の内に同じ視点を共有するのだ。


「では、我々は、そのすやり霞の中に見える風景を描けばよいのだな」

 信春の念押しの確認に、俺は首を縦に振る。


「なるほど、わかった。

 京の町を描く構図建てもわかった。

 だが、全体を考えるのであれば、外せぬ名所名蹟、建物は一覧にしておくべきではないか。

 さすれば、描き忘れもなくなり、描く許しを得たかどうかもすぐにわかろうというもの。

 我々も下絵を描きに参る際にも、落ちがなくて済む」

 これには珍しく、小蝶が大きく頷いた。

 小蝶が信春の言に賛意を示すなど、初めてのことだ。


 たしかにその便利さはわかる。

 だがしかし、俺は賛意を示さない直治どのの方が気になった。

「直治どの、どう思われるか?」

 そう念のために声を掛ける。


「良き案だとは思いまするが……。

 なにかあらぬ疑いを受けたときには、証拠として取り挙げられるおそれが無しとは言えませぬ。

 一覧を紙として形に残すのであれば、よくよく考えて作らねばなりますまい。

 それができぬのであれば、最初から作らぬほうがましでございましょう」

「……なるほどな。

 描くものと決めたのちに、工程ごとの印が入ることになろうからな。描く許しを得られたか、下絵ができたの、色塗りがまだだの、そういった印を悪意に取られたら、どのような濡れ衣でも着せられような」

 俺も、薄々は思い至っていたことだ。だから、手放しで賛意を示せなかったのだ。

 今回、相手が相手だけに、用心してしすぎることはない。

 やはり、直治どのも気づいていたか。


 韓非子の書物の言葉ではないが、このようなことを蟻の一穴として堤を崩し、描けぬことになったという事態は避けねばならぬであろう。

 だが、実際にはこのような一覧があれば、どれほど楽かとは思う。

 他の絵であればこのような心配はせずに済むが、あまりにたくさんのものを描かねばならぬ今回ばかりはどうしたものかと迷うのだ。


 考え込んでしまった俺に、小蝶が声を掛けてきた。

「兄上。

 我らは絵師でございます。

 紙に記した文などなくても、わかり合えるのではございませぬか?」

「それはそうだ。だが、どうやる?

 絵というものは、いつどこでなにを、といったことを簡潔に表すのは極めて苦手ぞ」

 俺の返しに、小蝶はにこりと笑った。

 なぜか、妙に自信ありげではないか。


「花鳥図を描きましょう。

 そこには、つがいの鳥を。

 右側が右京、左側が左京。

 一条から二条までの大路は大路間の条坊が狭いので首の羽毛で、そこから九条大路までは、翼の羽で。

 外形だけか、羽軸が足されたか、羽弁が足されたか、彩色されたかで、工程を表すことができましょう。

 また、洛外に描かれるものは洛中より数も少のうございますし、つがいの鳥の背景で描けるのではないでしょうか」

「なるほど、大内裏は鳥の頭か。

 よいではないか」

 と、信春が先走る。

 だが、その気持ちもわかる。


 絵師ならば、絵によってどこまでの事柄が伝え合えるものなのか、考えたことがあるはずだ。

 音というものは、発せられるそばから消えてしまい、人に伝えることができぬものの筆頭である。それを絵に描くことができたら、どれほど素晴らしきことか。

 だが、せめて言葉くらいは文字にせずとも伝えられないか、なにかの一覧くらいは伝えられないかと思い悩むこともある。

 信春も同じなのであろう。



 そして、この小蝶の言葉は、もう一つ俺に決めさせていた。

 この洛中洛外図、どのような仕立てにしようか悩んでいたのだが、屏風が良い。

 つがいの鳥という小蝶の言葉が、屏風は二枚で一つだということを俺に思い出させたのだ。つまり、屏風とは二隻を一双とし、一つの完成したものと見るものである。

 東から西を見た図、西から東を見た図、それを双とし、その二枚を向かい合わせに置いて眺むれば、居ながらにして京の風景を見ることになる。

 進物に使われる絵で、大和絵の技法を活かすのであれば絵巻物も捨てがたいが、大振りな屏風であればさらに見たときの印象は強くなろう。

 なんせ、贈られる先も公家ではなく武将なのだ。大きいほうが良い。


 それはそれとして……。

「小蝶、その話自体は同意だが、洛外はよほど上手く描かぬとならぬ。

 賀茂の流れ、東山、北山と、さすがに化野、鳥辺野は抜くとしても、描くものは多いぞ。

 建物は明示ができないだけに、わけがわからなくなるおそれがあるのではないか」

 と、俺が思いつくままに、この案の欠点とでもいうべきものを告げる。

 化野、鳥辺野は古くからの墓地ゆえに、さすがに描きにくい。


「そこは色で示すこともできるのでは……」

「どういうことだ、直治どの」

「北山は金閣、東山の銀閣、それぞれ金泥、銀泥でも表せるでしょう。

 賀茂の流れ、桂の流れとて、流れが疾きは青、遅きは緑として示せましょうし……」

「だが、洛外に寺の数は多い。

 知恩院に、南禅寺、雙林寺、清水寺、今思いつくだけでも、東だけでこれだけある。色数より寺の方が多いぞ。

 表しきれるか?」

「できるであろうな」

 と、俺の疑問に、直治どのを差し置いて信春が横から口を出す。


「どうやって?」

「寺によって宗派、名の知れた仏像が違う。そして、仏像が違えば、その仏を表すものも違う。

 源四郎、お前も知ってのとおり、薬師如来は壺を、不動明王は縄を持っている。そのあたりは俺に任せろ。

 花鳥図に壺が舞うのはおかしなものだが、他にも表しようはある。

 仏画師としての常識ゆえ、きちんと管理し、落ちが無きようにしてやる」

 どうした、信春。

 いつになく心強いではないか。


 だが、これで工程管理も、他の者に知られることなくできることになったのではないか。

 これで、あとは将軍様に再度お会いし、調略を願い出せれば、描き出すためのすべては調うことになる。



※条坊 ・・・ 平安京を東西・南北に走る大路によって碁盤目状に区画し、それぞれを大路名によって呼称する制度。

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