第6話 下剋上でござるっ


「続けてよろしいでしょうか」

 さらに直治どのが言う。

 俺としては、事前にさまざまな先行きの可能性を見ておきたいので、直治どのの先読みを聞かせていただけるのはありがたい。


 俺が頷くのを見て、直治どのは再び話しだした。

「今回の洛中洛外図、京のことをここまで描き込むのは、瞞着まんちゃくのためでござりましたな。

 長尾殿をその洛中洛外図に描くに当たり、描かれた人々の十分の一であれば目立つものの、百分の一では目立たぬでしょう。

 さらに千分の一であれば、その真意を見抜くことはほぼ無理に」

「ご明察だ、直治どの」

「つまり、この瞞着自体が、絵の利用範囲を広めるということ。

 他の武将からしても、利用できるのでございます」

 なるほど、直治どのの言いたいことはよく分かる。

 俺は、瞞着のことしか考えてなかった。


「さらに、それだけでは足らぬと考えまするが……」

「なんと……」

 俺は直治どのに先を促す。


 幼き頃から乱戦の中に育ち、長じては身の安全のために京に来ている直治どのなのだ。俺の考えが甘いと言われても、反論はできぬ。

「家紋、旗頭は描かぬように。

 敵を描くのを忘れずに。

 なお、その際には、祝いの場を描くように、と考えまする」


 家紋、旗頭については、最初から俺も考えていた。父も考えていた。だが、「祝いの場」とはなんのことであろうか。元服を迎えて一年しか経っていない、十三歳の直治どのの言うことが、俺にはわからない。


「祝いの場を描くとは、どういう……」

「例えば、三好殿の家臣、松永久秀。

 これは三好殿より恐ろしき相手にございまする。

 だからこそ、その屋敷を描くのでござる。

 そして、例えばでござるが、左義長を描くのでござる」

 左義長とは、小正月に正月の飾り物を焼く宮中行事である。地方によっては、どんど焼きなどとも言われているらしい。


 ああ、なるほど。

 少し考えれば、自明のことだ。

 だが、気づかねば描かずに終わっていただろう。


 今、この宮中行事は極めて小規模にしか行われていない。なぜならば、燃やす竹は山科から運ばれていた。なのに、その山科を松永殿の家の者が領地とした後は、竹が運ばれなくなったのだ。

 その一方で、松永邸では小正月に盛大な左義長が行われている。

 これを、主上を蔑ろにする行為と言わずなんと言おうか。三好殿の専横を表す事柄ではないか。


「京ではこのような専横がされていると、長尾殿は見るわけでござるな?」

「はい。

 そして我々は、『松永どのの盛大なる左義長は、今や京の小正月を代表するものと思うておるから描いた』と言えばよいのでござる。

 加えて、左義長は難事を払う意味もあり申す。

 慶事ではあるものの、松永殿にとっては長尾殿の上洛によって、難事を払わねばならぬ状況になると、そう取ることもできるのでござる」

 ……なるほど。


 慶事は裏返せば凶を黙示する。

 直治どの、俺の父上並の腹芸ではないか。

 戦乱に怯える毎日は、ここまで人を育てるものなのか。それに比ぶれば、俺はまだまだ甘いとしか言いようがない。



「その他にも……」

 と直治どのは続ける。

「長尾殿は、塗輿の使用を許されたばかりでありましたな。

 馬ではなく、輿に乗った姿を描けば、それだけで見るものが見れば長尾殿とわかりましょう。塗輿は、守護代以上にしか許されておりませぬゆえ。

 しかも……」

「しかも、なにかな?」

「塗輿は正当なる権威の証。

 私の国のような下剋上の結果としての支配ではない、大義名分ある力の行使を象徴するのでございます。

 つまり、正統なる将軍様の意を受けた長尾殿の行いとして、描くことができるのでございます」


 なるほど、と俺は思う。

 だがそこで、信春が言った。

「しかしですなぁ、正当正当と言っても、東海の今川殿は討ち取られてしまわれた。

 聞くところによると、討ち取られた桶狭間の地には、塗輿が半壊で転がっていたそうな」

「なんということ……。

 まさに下剋上でござるな」

 その話は、すでに俺は父から聞いていた。そのときには、俺も直治どのと同じく、「なんということ……」とつぶやいたのだ。



「今川殿も、塗輿をもって押し出せば、弱小守護代の家臣などすぐにひれ伏すと思われたのでござろうなぁ。

 時代は変わったのか、それとも荒々しき武士とはそもそもそういうものなのか。

 滅多なことは言えぬが、今川殿がなんらかの因果応報を受けたのか……」

 信春が呻くように言う。


「たてとえそうでも、すべての権威を無きものとしたら、それは獣の世。

 権威というもの、なんらかの形で残さねばなりますまい」

 この直治どのの言には完全に同意するが、権威を無視できる者が強いのも乱世なのだ。

 信春、直治どのと揃って俺、ため息を吐いた。


「なにを仰っておられるのやら……」

 しれっとした口調で、小蝶の声が響いた。

 俺たちは一斉に振り返る。

 どういうことか?

 俺たちが世の不条理を嘆じてはいけないのか?


「信春さま。

 直治さま。

 あなたたちも、普段から下剋上をなさろうとされているではありませんか。

 絵師の下剋上を日夜兄上に仕掛けているくせに、武家の下剋上に対してだけ嘆くのは、いかがなものかと思われますが。

 この場で嘆くことが許されているのは、兄上だけでございます」

「小蝶どの、それはつまり、私がそなたの兄上より下だと仰っているのですか?」

 信春の声が不快の色を帯びた。


 まあ、面と向かって痛罵されたのに等しいから、信春が血相を変えるのもわからなくはない。

 自分が、下剋上と同等のことをしているという負い目も、実のところではあるであろう。


「おや、では、信春さま。

 あなたさまは、我が兄上より自らの描くものが上だと、ご自身で言い切れるのですね?

 では、今ここで、胸を張ってそう仰ってくださいまし。

 ここには、直治どのもいらっしゃいます。

 狩野の家の者が、二人がかりで信春どのの意を捻じ曲げたなどと言われるのは心外ゆえ、ちょうど良いかと。

 さあ、信春どの。

 絵師としてのお心に背かず、さあ、仰ってくださいませ」

 小蝶、おまえ、随分と畳み掛けるではないか。


 信春、口を閉じたり開いたりしているだけで、声が発せなくなっている。おそらくは、絵師としての良心と男の意地がせめぎ合っているのだ。

 これでは、いくらなんでも可哀想だ。


「信春。

 面と向かっては遠慮もあろう。

 そのうちにその宣言、聞かせてもらおう」

 俺は、そうその場を救ったのだった。



 信春がほっとした顔になったところで、小蝶、矛先を変えた。

「直治どのはどのようにお考えを?」

 平然と口調も変えず、小蝶は直治どのに聞く。


 直治どの、もの言いたげな視線を上げたものの、小蝶に正面から見据えられて、なにも言えぬままその視線を再び下ろしてしまう。

 まぁ、小蝶の方が直治どのより二つ年上だから、仕方ないのかもしれない。だが、信春は小蝶より六つも年上ではないか。それなのに、小蝶には遠慮が強く言い勝てないのは、信春めもどこか小蝶に対しては甘いのであろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る