第4話 これが洛中洛外図ぞっ
俺の言葉に、信春、深く頷いた。
「ああ、そうであったな。
七尾の殿様、ご家紋も将軍家と同じものを使われていた。
源四郎どの、相すまぬ。こちらは杞憂だったようだ。
だが……」
「すまぬ。
一つ目の、我らが殺されずに済むかどうかについては、俺には答えられない。このあたり、どうなるか俺にも読みきれぬのだ。ただそれでも、これは御用絵師として逃げられぬ仕事と考えている。
少なくとも取り調べがあれば、派を守るために、将軍様の私的な絵を高弟たちとではなく、お主らと描いていたと俺は言い張るつもりだ。
その上で、打てる手はすべて打ち、御用絵師の棟梁を不調法もないのに殺せるのかと問い続けるしかあるまい
町衆には町衆の対処があるのだ」
「まぁ……。
扇づくりも含めて、狩野の名は絶大だ。
おいそれと殺せないのはわかるが、ただな、将軍ですら弑すつもりの相手なれば、御用絵師などそのつもりになればこうだろうな」
そう言って、信春は両手でなにかを捻る仕草をしてみせた。
信春のしてみせた手の動き、これは鳥の首だかを架空に捻ってみせたのだろう。
背筋が寒くなるような手の動きである。
「そうだな。
そんな感じで、殺せと軽く命じられたことで、あっけなく死ぬのであろうな、我らも。
だが……。
たとえそうであっても、武士ではない俺にも意地がある。
その意地で、殺されぬように徹底して考えて手を打つ。おめおめと殺されはせぬ」
「ふん、源四郎、おぬしは絵筆は握るが、刀など握ったこともないであろうに。
だが面白い。狩野の力、見せてもらおうではないか。
俺は加わろう。
源四郎どのが、これからどう踊るか見せてもらうためにもな。
そして、場合によれば、死に様も見せてもらおう」
言ってくれるな、信春。
「だが、いざとなれば、俺は七尾に駆け逃げる。
悪く思うな」
と、信春め、さらに続けた。
小蝶の目がくわっと開かれる。
とっさにその手を俺は抑え、小蝶が手近なものを信春に投げつけるのを防いだ。
まったく、直情的な娘は困る。
だが……、小蝶の怒り顔、そのうちに描いてみようか。この精気、紙に写し取れるものか、絵師として試みてみたいものだ。
それはともかく……。
「そうしてくれ、信春。
拷問の責めを受けたら、俺は包み隠さず全て話してしまうだろう。
そして責めから逃げるために、お前に唆されてこの仕事を受けたと言うだろうな。
だから、地の果てまで逃げ、逃げ続けるがいい」
「げ、源四郎、ふざけるな!」
「関白様のために働く我らは、一心同体よ。
庇うは容易いが、さて、庇えば庇うほど疑われような。
なら逃げずに、申し開きした方が良いと思うがなぁ」
「……とんでもない奴に見込まれたものだ」
信春、天を仰ぐ。
ふん、好きほど天井の木目を数えるがよい。
「それより、信春。
三つ目の問いただしたき儀はなんだ?」
戯言はともかく、信春の決断に俺は安堵していた。
信春の腕を、なんだかんだ言って俺は大きく買っているのだ。
「先ほどの話の洛中洛外図とやらを、源四郎どのは将軍様の意を表す形で描きたいということなのであろうが、実際のところどう描くつもりなのだ?
それによっては、俺も絵師としてできることとできぬことがある。
できぬことをやれと言われても、この信春、どうにもならぬ。
その説明もなしに、我々にこの仕事を受けるかどうかを決めろとは、言っていることに無理がありすぎるとは思わぬか?」
これには、直治どのも小蝶も大きくうなずいた。
まぁ、たしかに俺も気が
それは認めざるを得まい。
「俺が考えているのは、祖父の洛中洛外図を極めて大掛かりにしたものを描こうということだ。
公家、武士、坊主にぱあでれ、町衆も職人、商人、働いている者から遊んでいる者まで、そして、老人から子供まで、果てしなく人も描こうと思う。
京の町の名所を、屋敷を、そこにいる
……誰からも、返事が返ってこない。
どうしたというのだ。
改めて見やれば、三人とも呆然とした顔になっていた。
だが、絵師として生きた年の功か、信春が一番先に我に返った。
「正気か、源四郎どの?
描くこと自体はできなくはないと思う。
だが、建物の姿を写し取るだけで何年も掛かるぞ。ましてや、今の話であれば描く人の数も千を越えよう。まさか、屋敷の主を独りきりで描くわけにもいかぬであろう?」
「そのとおりだ、さすがは信春。
かつて例のない仕事となろうな。
そして、大掛かりになればなるほど、絵の意は隠しやすくなる。
だからこそ、ここで話をしているのだ」
気がつけば、三人とも今や目がらんらんと輝きだしている。やはり、この者たちは絵師なのだ。
本当に京の今を正確に切り取って残すことができたら、その絵は永遠に残るであろう。そのような一世一代の機会、絵師として逃せぬと思っているに違いない。
ならここで、三人に必要とされる仕事を伝えてしまおう。
「信春の言うとおりで、単に筆を動かすだけの仕事ならば俺独りでもできようが、膨大な下絵がなければ描きようがない。
そして下絵といえど、いつもの下絵では困るのだ。
俺も京の育ちゆえ、
つまり、部分部分は、あらかじめ描くお前たちの絵の方が原本なのだ。その原本が信頼できねば、俺はなにも描けない。
俺はお前たちを、お前たちの絵を信頼している。
どうか、それを描く仕事、受けてくれ。
そして当然のことながら、お前たちの下絵、俺であっても写し描ききれぬこともあろう。その際には、助力して貰わねばならぬ。
そしてそれは、かなりの筆量になるだろう」
そう言って、俺は頭を下げた。
大画は規模が大きいにせよ、細密ではない。だから、隅々まで目が行き届く。
花鳥図の屏風絵なども、描く大きさは大きくとも、そこに描かれる生き物の数は二十に満たない。
扇絵などは小さなものだから細密にできるが、その密度を保ったまま大画を描くのは、ほぼ無理な話だ。
だが、それを俺はやりたいのだ。
そして、この三人とともに描くなら、それもできるはずだ。
仏画、水墨画、大和絵、それぞれの依って立つ技は異なる。だからこそ、建物から
「で、描く期間はどれほど許されているのだ?」
「……一年」
「それはあまりに無謀な……」
「下絵を毎日描いても、建物はともかく人の姿までは……」
「夜も寝ずに描くという無理をしても、難しゅうございます」
口々に、三人は懸念を口にした。
「大丈夫だ。
まずは、辻褄を合わせることだけを考えていればよい。絵の質はどうでも良いとは言わぬが、最低限のものでな。
おいおい、最後まで話させろ」
三人が三人とも俺の言葉に血相を変えたので、俺は手のひらを皆に向けて、それぞれがなにかを言い募ろうとするのを止めた。
「
祖父も父もこのような下命を受けているが、未だかつて納期が守られた試しはない。
大抵は伸びる。
言っておくが、こちらではなく、発注先の都合で、だ。
伸びに伸びた挙げ句、不用と言われたことも幾度となくあった。
それほどに、政向きの仕事は状況に流されるものなのだ」
俺の言葉に、信春は納得していない。
直治どのは、軽く頷いている。
小蝶は、俺の顔に視線を据えたまま動かない。
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