第3話 ご下命、果たすべしっ
「この餡は?」
俺は饅頭の噛り口から餡を見て、小蝶に確認する。まるで橘の実のような、山吹の花のような鮮やかな色だったのだ。
「ぱあでれが南方から持ち込んだ野菜で、かぼちゃ瓜と言うそうな。今が走りで、砂糖を使わなくても甘いとか」
「そうか、この餡、甘いだけでなくなんとも良い色であるな」
俺はそう言って、残りを口に入れた。
饅頭を飲み込みながら、俺の頭の中で一つの考えがまとまっていくのを感じていた。
行商、そう、京の町はこのような商いをする者が多くいるのだ。それも、ぱあでれが南方から持ち込んだ野菜を、即座に旨い菜饅頭にするような目端の利く者たちが、だ。
小蝶が差し出してくれた
「信春、直治どの、小蝶、話がある」
俺は三人を呼び集めていた。
俺の脳裏には、父の「良き腕の者たちゆえに、共に描くが良い」という言葉が残っていた。
おそらくは、父上のことだ。「狩野一門ではなく、だが腕が立つ信春、直治の両者を利用できるだけ利用し、最後は切り捨てよ」と言いたいのであろう。
小蝶の身すら使い捨てにする考えであっても、俺は驚かぬ。
だが、俺はそこまで非情にはなれぬ。その判断をせねばならぬ時が来ぬよう、祈るしかない。
ただ、そのようなことを考えた上でも、この仕事、この者たちと進めるしかないだろう。できるだけ少人数で進めたいし、そうなると腕も必要だ。
そしてなにより、角逐の意をあからさまにする者たちゆえに、逆に信用できると思うのだ。つまり、俺という狩野の棟梁の権威に公然と楯突く以上、他の権威にも負けぬであろう。
さらにこの三人、意の強さだけでなく関白様のお声掛りという共通点がある。将軍様の依頼は、ひいては関白様の依頼だ。その依頼を断りはしないであろう。
俺は、三人を連れて部屋を移動する。
誰にでも話せる話ではない。まして、こちらを窺っている目があるのであれば、尚のこと、話す相手と場所を考えねばならぬ。
「祖父の描いた、洛中洛外図を知っているか?」
まず、俺はそう切り出していた。
「見ております」
これは小蝶。
だが、信春、直治どのは首を横に振った。
まあ無理もない。
この間亡くなった祖父が、知命の歳(五十歳)のときに描いた絵だ。三十年以上前の話になる。ここにいる誰も生まれてはいない。
「知っていたら申し訳ないが、一応話そう。
京の都を、唐の都の洛陽になぞらえたのが、洛の字の使い始めだ。
そして、平安京の中の左京を洛中といい、その他を洛外と言う。
平安京の外でも、都としてふさわしいところであれば、まあ洛外と呼んで差し支えはなかろう。まぁ、外とはいえ都のうちなのだ。
都と認められぬ、洛中洛外のさらに外は山城国となる。
ここまではいいか?」
各々が頷く。
「洛中洛外図とは、京の都の名所を描き、その周辺の人々の生活も描くものだ。
今回、俺が下命を受けたのは……」
「お待ちを、兄上。
襖を開けてまいります」
と、小蝶。
うん、俺は自分の家だからと、油断があった。今の時点では場所を移すだけで十分であり、盗み聞きする者もおらぬであろうとたかを括っていた。だが、それは無防備で良いと思うこととは別の話であろう。
そもそもに、小蝶は俺の顔色から容易ならざる話と踏んだのであろう。
正直に言って、小蝶のこのような気遣いは本当に助かる。
小蝶が襖をすべて開け放ち、周囲に人がいないことが一目瞭然となった。
小蝶に気を使わせてしまったが……。
ひょっとして、小蝶はこの家を自分の家として、安心しきって住んでいるわけではないのかもしれない。だからこそ、油断がなく、ここまで気が回ったのかもしれない。
俺の考えすぎかもしれないが、そうだとすれば
小蝶は妹といいながら、実ははとこなのだから、俺が考えていた以上に居場所がないと感じていても仕方がないことなのだ。
だが、小蝶がこのような心持ちでいるのであれば、形の上だけの兄であっても、俺とてそれらしいこともしてやらねばならないかもしれない。
だが、今はこの話をせねばならぬ。
「話を続けよう。
本日俺が行ってきたのは、将軍様の御所だ。
将軍様から下命を受けた。
そして、この件、関白様と将軍様の
その絵によって、関白様と将軍様を大切になさり、天下を静謐なものとしうる武将の上洛を促したいのだと。
だが、これは今、京の都を一手に握っている三好様を遠ざけたいというお考えの発露に他ならない。つまり、そのような意を表したものを描くとなれば、我々の生命は危険に晒されるであろう。
現に今、すでに工房は見張られている」
そこまで話して、ぐるりと各々の顔を見る。
信春は、相も変わらず駘蕩たる雰囲気を崩していない。
ただ、その顔には隠していても、なにか言いたいことがあるのが窺える。
直治どのは、一番の若輩でありながら、一番の修羅場の経験者だ。やはり、なにか言いたいことがあるのが窺える。
小蝶は大きな目を見張り、俺の顔から目を離さない。口は固く結ばれ、表情は固いままだ。
「だが……。
御用絵師としては、将軍様の下命、断るわけにはいかぬ。
そして、この関白様と将軍様の企てが失敗すれば、御用絵師であり関白様からの覚えのめでたい我々の未来は閉ざされる。我々の未来があるとしたら、関白様と将軍様の企てが成功し、これから描く絵がその一助となってこそだ。その時の見返りは莫大なものになろう。
そのためにも、良い絵を描かねばならぬ」
俺はまず、自分の決断を伝えた。
その上で、俺は全員の顔を見渡し、判断を求めた。
「今、この時をもって、降りるなら降りてよい。
だが、走り出してからは降りること、認めぬ。
共に描くか否か、ここで決めて欲しいのだ」
俺はそう言い放って、もう一度ぐるりと各々の顔を、そして眼を見据えた。
先ず、口火を切ったのは信春だった。
「源四郎どの。
その前にいくつか答えていただくことはできるか?」
「なんだ、信春。
おぬしから『どの』付けで呼ばれるなど、初めてのことではないか」
俺はそう混ぜ返す。
自分自身も含めて、この場に張りつめる緊張を解きたかったのだ。
「今話しているのは、狩野の棟梁としての源四郎だ。『どの』も付けるさ。
まず一つ目だ。
俺も絵師の端くれ、絵に生き、絵に死すことは厭わぬ。
関白様の内意もあるとすれば、天子様のお考えにも沿っているということであろう。そのためであれば、なおのことだ。
だがな、描く前に殺されてはたまらぬ。
そのあたりの見込はどうなのだ?
次に二つ目だ。
世を静謐なものとしうる武将とは誰だ?
ひょっとして越後の長尾か?
ならば、俺は手伝うわけにはいかん。
俺の故郷は七尾だ。
越後から上洛するのであれば、七尾は通路だ。つまり、いくさになりかねん。俺は俺の故郷を焼きたくはないのだ」
ああ、そうだったな。信春は七尾の仏絵師だった。
「俺に、そこまでのことはわからん。
だが……。
三好殿も狂犬ではない。
なにが描かれるかを知ってのちでなければ、直接手を下すことはなかろうと踏んでいる。ただ、この読みが外れたとしても、俺には責任のとりようもない。
二つ目はもう少しマシな答えができる。
越前の朝倉様に対しては、将軍様が自らの『義』の字を与えたと聞いた。それは、長尾殿の通り道になるからだと仰られていた。
さらには越前、越後の一向一揆に対しても手を打たれているらしい。
そこから考えると、能登国に手を打たぬとは考えにくい。ましてや、七尾の守護、畠山家は足利御一門だったのではないか?
将軍様のご内意で動く長尾殿と、ことさらことを構えるなどありえぬと思うが……」
俺は推測に過ぎないものの、そうは外れていないと思う考えを話していた。
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