第2話 はや、手が回ったかっ
御用絵師の務めとはいえ、受けたくない仕事だと父と話したことを思い出す。
とはいえ、御用絵師としては受けぬ訳にもいかぬ。
だが、筋は通しておこう。
「絵師として、いくつか確認させていただきたき儀があり申します」
「構わぬ、話せ」
「描きし絵は、長尾殿への
進物に足りうるものとして、ご下命の絵は描いてよろしゅうございますでしょうか?
絵師として
「構わぬ。
生命のほうが大切じゃ」
構わぬとは、ありがたい。
進物、すなわち贈り物として描くのであれば、自由に描ける上に言い訳が利く。「将軍様が長尾様に再び会いたい」という、単純にそれだけの意を示した儀礼を描いたものだと言い逃れられるのだ。これで、豪華さがなければ、進物より手紙に近くなってしまい、その言葉に説得力がない。
「次に仕上がりまでの期間でございます。
極端な例えではございますが、明日送りたいと申されてもそれは
「一年の間に描ければよい。
関白殿がすでに下向されており、長尾上洛の手はずは着々と調っておるはずじゃ。とはいえ、万の軍勢を動かすにはそれなりの期間が必要であろうし、なによりも越後、越前を騒がす一向一揆を抑えねばならぬ。
こちらは本願寺の顕如に働きかけておるゆえ、近いうちにこちらも上手くいくであろうよ。
まぁ、それらのことで、時間はまだまだかかろう」
「それは安心いたしました」
政変によって急かされたり伸ばされたりするのはやむを得ないが、できないものはできないと一度は言っておかねばならないのだ。実は、これを言いたいがための納期の確認である。
「それでは最後でございます。
長尾様に上洛の意を伝える以外の、その他の部分についてはなにかご要望はございますでしょうか?」
「ない。
自由にしてもらって構わぬ。
ただ、進物にする以上、それなりの品位を」
好きにせよ、か。
では、そのようにさせていただこうではないか。
「わかりましてございます。
なお、一年の間、なにとぞご身辺お気をつけあそばされますよう、伏してお願い申し上げまする」
「うむ。
気持ちはありがたいが……。
応仁の乱、続いての法華一揆よりようやく復興した京の町を、なんとしても再び灰燼に帰すわけには行かぬ。
源四郎も町衆の一人として、それはわかっておろう。
この地を離れることも考えぬことではなかったが、関白殿もおらず、主上にお仕えする者もいないではすまぬ。
とんだやせ我慢よ」
そうか。
そのやせ我慢を続け、ここまでお老けになられてしまったのか……。
武家の棟梁とは、絵師の棟梁からは想像できぬほどに厳しいものなのであろう。
「まぁ、要らぬ心配はするな、源四郎。
これでいて、わしは鹿島新當流をよくするのだ。自分の身くらいは守れよう。
では、頼むぞ」
「早速に、仕らせていただきます」
このような流れで、結局俺はこの仕事を受けたのだった。
− − − − − − −
帰りの道すがら考えた。
今回のご下命、考えれば考えるほど難しい。
まさか長尾殿が馬に乗って御所に駆け込む姿など、あからさますぎて描けるはずがない。
かといって、無難すぎては伝わらぬ。
どんな絵柄にしようかと、つらつら考える。
父の言に従うのであれば、長尾殿が見れば自分だと思うが他の者が見れば誰だかわからないのが次善、最善は見た者がそれぞれに自分だと誤認することであろう。そうであれば、我が派に火の粉は降りかからぬ。
つまり、武家であっても、どの武家かを示すための道具立てをよほど考えねばならぬということだ。家紋や旗印を描くなど、論外であろう。
とつおいつ、考えがまとまらないまま歩き続けていたが、俺についている小者の左介が不意にささやいた言葉に俺は背筋が凍りついた。
「若様、後を付けてくる者がおります」
振り向きたくなる自分を必死で抑え、口調が緊張したものにならないように抑えて囁く。
「左介、いつ気がついた?」
「私めは、御所の建物には入りませんでしたから、門を入ったところで若様をお待ちしておりました。
その時からでございます。
小者を装ってはおりますが、あれは武士ですな」
左介に肯いてみせ、一度だけ、曲がり角で横目で捉える。
こういう時、京の町は困る。町の出来上がりが碁盤の目なので、帰宅までに曲がり角が一つしかない。
……刀を持っているな。
巻いた
……はや、手が回り見張りが付いたか。
頭の中でさまざまな考えが浮かぶ。
ただ、いきなり斬りつけてきたりはしないだろうとは思う。我らのような職人を殺していっても、意味がないからだ。料理人を始めとして、貴人の生活を支える職人はいくらでもいるし、それを片端から殺していっても諍いが露わになるだけでなにも解決せぬ。
そもそも、将軍家に仕える職人は、三好家にも仕えている者が多いのだ。そこは武士が家来として使えるのとは違い、我々、技を持つ町人の仕え方だ。
ただ、将軍様のお考えを突き止めるために、俺がどのよう仕事を依頼されたかだけはなんとしても知りたいのであろう。
結局、その男は狩野の工房まで俺を付けてきた。
俺は構わず工房の建物に入ってしまったが、おそらくここの絵師の誰かに話しかけ、下命の仕事内容を聞き出そうとするだろう。
金を握らされても皆黙っていると思うほど、俺はお人好しではない。
なので俺は左介に、他の絵師にここが見張られていることは話すなと口止めをした。
どうせ工房の誰かがしゃべってしまうのであれば、絵師たちには口止めせぬせぬ方が良い。俺が警戒していると取られたくないからだ。その方が、いつまでも腹を探られることもあるまい。
ともかく手と足を洗い、工房の絵師たちの活気の中に身を置いた。それだけで、安堵のあまり膝が抜けそうになった。
「おう、源四郎、顔色が優れぬな」
「余計なお世話だ、信春」
相変わらず口が悪い男だ。
だが、これでいて心配してくれているのやもしれぬ。
「まこと、ご心配ごとが尽きぬようでございますな」
「直治どの、ご明察」
こちらには、そう答える。
素直に話してくれれば、俺とて素直に返せるのだ。
工房の者たちは、俺がどこに行ってきたかを知らぬ。
貴人と会う予定を知らせることは、百害あって一利なしだ。
だから俺の気苦労は当然知らぬにせよ、信春も直治どのもさすがに絵師としての才能で、人の顔色から心情を洞察する力も
「兄上、夕刻までにはまだ間がありますゆえ、菜饅頭など。
少しでもお食べになれば、良い思案も浮かびましょう」
「すまぬ、小蝶」
俺はそう言って、小蝶の差し出す蒸し菜饅頭を一つ手に取る。おそらく行商に来た者から
砂糖の入った餡饅頭は、俺が子供の頃には見なかったように思う。
近頃は見るようになったが、饅頭三つで油一升もの値がする。胡麻にしても、菜種にしても、粒の小さな種子から油を搾るのは大変な労力だ。
ちっぽけな饅頭がそれに相当するのだから、砂糖というものを作るのにどれほどの労力が必要なのか、想像もつかぬ。その値は、狩野の財力を持ってすら常食はできない。おそらくは、関白様と言えども年に数回しか食せまい。だが、それでも行商に来る者が売っているのが京の町の恐ろしさだ。
とはいえ、菜饅頭であれば驚く値ではない。
値の桁が二つ違うものを一緒に売っているのだから、饅頭屋というのも珍しい商売であろう。
……うちは、四桁か。
人のことは言えぬものではあるなあ。
「うむ、美味い」
ほのかな甘さが口中で弾け、肩から余計な力が抜けるような気がする。
甘いものは本当に久しぶりだ。
さすがに朝夕二回の食事のみでは、今日のように気を使った日には腹が減りすぎるときがある。小蝶の気の利き方が、とてもありがたい。
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