第020話 ダークエルフとそのさきへ

「……な、なんとか言ったらどうじゃ!?」

「――ッ!」


 ほうけていた僕は、その一言で目を覚ました。


「だ、ダクタ、それ、あの部屋に……?」

「う、うむ。それで、ど、どうじゃ……?」


 青いドレスを着たダクタは、不安そうに僕を見る。


「……すごく、似合ってる、本当に」


 それしか言えなかった。でも、本心に違いない。


「そ、そうか! なら着てよかった!」


 はぁっと笑顔になるダクタを思わず抱きしめたくなったが、ぐっと堪えた。


「貴族――お姫様みたいだ」

「ひ、姫か! そ、そう見えるか? えへへ」


 どこの社交界に出したって、間違いなくナンバーワンだろう。絶対に。


「でも、よく着られたね。そういうのって、ひとりだと難しかったりする印象あるけど。なんとなく」


 完全にイメージだが、そんな気がする。


「ま、魔法を使えば簡単じゃ! それに、いつかこういう日のために書物はいろいろ読んで――って、違う! な、なんでもない! 勘じゃ! 勘!」


 なるほど。なら勘ということにしておこう。


「――では姫様、よろしければエスコートしても?」


 僕はいかにも演技がかった芝居で、ダクタに手を差しのばした。

 ダクタは面食らった表情こそするが、すぐに笑みを浮かべる。


「うむ、余の玉座まで手を引くことを許そう! 特別じゃぞ!」


 ノってきた。


「……それ、ガラスの靴?」


 目線を下げていたこともあって、ダクタの足に目がいった。ダクタはハイヒールを履いていたのだが、それは透明だった。透明でいて、きらきらと星が散るように光っている不思議な靴だった。


「この靴、あ、歩きにくいんじゃ……」


 だからなのか、ダクタの歩みはおぼつかない。


「じゃから、離すでないぞ」

「――仰せのままに」


 僕の右手にダクタは手を乗せる。僕らはそのまま赤い絨毯を歩き、玉座に向かう。

 玉座前の段差では僕がダクタの正面少し前に立ち、両手を引きながら上がる。

 

 作法として合っているかなんてわからない。適当も適当だ。

 たぶん、おかしいところだらけだと思う。

 

 でも、それでも、僕らはこれでいい。

 僕らはこれで、満たされていた。


「うむ、ご苦労じゃった」

「勿体ないお言葉で」


 到着したダクタが玉座に腰掛け、僕はその前に跪いた。


「うむうむ、苦しゅうない苦しゅうないぞ! 顔を上げてみよ」

「――ハッ」

「良い顔じゃ。名を申してみよ!」


 ずいぶんとダクタはノリノリだ。ならば、とことん付き合うのみ。


「和堂、龍之介です」

「おぉ良い名じゃな! 余がこれまで聞いた中で一番の名じゃ! 最高じゃ!」


 なんともこそばゆい。


「余はダクタ、ダクタ・デクアルヴじゃ!」

「至言の如き、威風凜然いふうりんぜんが溢れ出るお名前です」

「え? そうか? え、えへへ」


 そこで照れたら威厳が吹き飛んでしまうよ、ダクタ。


「余は王じゃ! 世界の王じゃ!」

「――ハッ」


 これは間違いではないのかもしれない。


「王のめいは絶対じゃ! わかるな?」

「心得ております」


 何気に板についている。

 以前やっていたという〝王さまごっこ〟の賜物だろうか。


「では、王の名において命ずる」

 

 真面目にすれば威厳は十分。これは見事な王に――


「りゅうのすけの、好きな者を答えよ」


 ……見えなかった。 


「……王よ、それはどういった意味が?」

「え、あ、それは……ええい! 余の言葉は絶対じゃ! 答えるのじゃ!」


 早くも乱心。暴君と化してしまった。


「そ、それとも、おぬしには意中の者が、お、おらんのか……?」


 かと思えば急に弱気になったり、この王さま、なかなかに忙しい。


「……ひとり、います」

「そ、それは誰じゃ!? 誰じゃ!? 答えよ!!」


 身を乗り出して声を上げる。その顔には、期待と不安の両方が強く出ていた。


「――仰せのままに」


 さて、どう答えるか……。


「……その者は、とても美しい心を持っています。強く、気高く。それでいて、脆い部分もある、弱さもある。ともすれば、触れるだけで壊れてしまうような、儚さもあります。しかし、それら全てを含めて、美しいのです」


 とても良い声を作って言った。


「そ、そんな者が……おる、おったのか……そうか……おぬしはそのような者を……そうか……」

 

 ……ん?


「……その者が隣にいると、私は桃源郷の如き至福に包まれます。ただ、そこにいてくれるだけで、心が満たされます。私がそう思うように、その者にとっての私も、そうであってほしい、そう強く願っています」


 大袈裟だが、だからこそ普段では言えないことが、言えたのかもしれない。


「おぬしに、そ、そこまで想われるような者が……。さぞ、立派な者なんじゃろうな……。うぅ……」


 ……なぜ涙目に。というか、ダクタがめちゃくちゃ気落ちしているんだが。

 もしかしなくても、これはあれか。


「……その者は、意外に泣き虫です」

「……!」


 もはや視線を外していたダクタが、ぴくりと反応した。判別ポイントが〝泣き虫〟って、それでいいのかダクタよ。


「……その者は、魔法の才に溢れ、天才だと自称しております」

「ま、待て、それって、もしかして……」


 だんだんとダクタが色づいていく。


「……その者は、ダークエルフです」


 告げるとダクタは目を見開き、


「あっ、そ、そうか……、そうか! ふ、ふへ、えへへ……」


 必死で緩んでくる顔を抑えていた。

 かと思えば、


「じゃ、じゃあ、さっきのあれは……余のことを……」


 ぽんっと真っ赤に染まった。

 いや、そこでダクタが照れちゃダメじゃない?

 むしろ僕を照れさせるというか、そのために言質を取ろうとしたんじゃないの?

 完全に自爆してるじゃないか。


「……ふふ」 


 だけど、そんなダクタもすごくかわいい。


「お、おぬしの気持ちはよくわかった、う、うむ、よくぞ答えた」


 なんとか王さまモードに戻るダクタ。まだ継続するようだ。


「では、褒美をやろう!」


 そう言って、おもむろにダクタはガラスの靴を脱いだ。右足で軽くドレスを跳ね上げ、そのまま僕に向かって伸ばしてくる。

 目の前にはダクタの右足。あたり前だが裸足だ。


「余の足を舐めるのじゃ」

「……は?」

「舐めることを許そう! わはは!」


 なにを言っているんだろうか。というか、なぜ褒美が足舐め?


「…………」


 僕は茫然自失、思考停止していた。


「……あれ?」


 そんな僕を見て、ぽかんとするダクタ。


「ば、ばーばが、男はみんなこれ・・が好きじゃって……」


 いったいなにを教えているんですか、おばあさん。なぜか僕の脳裏に、顔も声も知らないおばあさんが、笑顔でサムズアップしている姿が浮かんだ。


「……嫌い、なのか……?」


 …………。


「……好き、です」


 好きか嫌いかで言われたら、そう答えるしかないだろう。男の子として。それが好きな人のなら、なおのことだ。


「そ、そうか! 好きか!」


 一転して元気を取り戻すダクタ。

 一方で僕は、わりと派手にうろたえてしまっている。

 するとダクタは、途端にイタズラっぽい顔になった。


「そうか、そうかー、りゅうのすけは、こういうのが好きかー」


 僕の顔の前に、ダクタの右足が突き出される。


「ほれほれ、褒美じゃぞー。王がええって言っておるんじゃぞー?」


 右足を左右に振って挑発してくるダクタ。心底楽しそうだ。

 これは隙を見せた僕の負けか。


「…………」


 しかし、僕とてただでは転ばない。


「――仰せのままに」

「……へ? あっ」


 僕はダクタの右足を掴んだ。そしてダクタが呆気にとられている間に、その足の甲に唇を軽く当てる。


「はぅっ、ちょ、りゅのす――」


 ダクタはびくんと震え、足を引っ込めようとする。が、残念、それはさせない。僕はしっかりと両手でダクタの右足を確保し、逃がさない。


「うぅ、ちょっと、ほんとに――」


 既に真っ赤になっているダクタだが、無論、僕も同じだ。

 しかし我が国には、〝肉を切らせて骨を断つ〟という諺がある。〝覚悟〟を持っていた分だけ、僕の方が優勢だ。……たぶん。


「……どうかしましたか? 我が王よ」


 僕は精一杯の強がりを込めて、ニヒルな表情をする。さっきの意趣返しだ。


「なっ、お、おぬし……!」


 ダクタも僕の意図を読んだようで、頬を染めながらも悔しそうな目で見てくる。

 こうなると、僕のイタズラ心にはさらに火がついてくるもので、この機を逃すまいと、畳みかけた。


「王よ、なんなりとご指示を。私はどんなめいにも従います故に」

「いや、んっ、ちょ……」


 僕はぐっとダクタに身を近づける。身体はダクタの膝上、顔は胸のすぐ下だ。その気になれば、簡単に口づけができるほどの距離しかない。


「りゅうの、すけ……」


 ダクタは今にも泣き出しそうだった。

 僕は思った。

 正直、やり過ぎた、と。


「……王よ、気に入らぬなら命じてください。『その身を離せ』と」


 それは僕にとっての助け船でもあった。

 おふざけが転じて、わりと引くに引けないところまで来てしまったので、僕としてもそれで一度リセットして欲しかった。


「わ、わかった、わかったから……」


 ダクタもそれを汲んでくれるようだ。


「余、から離れ――」


 まずはこれでひと安心。


「余から離れ――」


 一息吐いた後が怖いが、最悪、土下座して許してもらおう。


「余から――……余を……」


 僕は言葉を待たずに身を離しつつあったのだが、


「――余を、めちゃくちゃにしてくれ」


 ……。

 …………?


 僕は思わず顔を上げた。たぶんさっきまでの芝居がかったものは全部消えて、素の顔だったと思う。見上げた先には、ダクタの顔があった。


「…………」


 ダクタと目が合う。もうほとんど泣き出しそうなくらいに涙を溜めて、これでもかというくらいに顔を紅潮させ、なにか言葉を紡ごうとしているのだが、出せないでいる。


 それでもダクタは、僕から目を逸らさない。

 まるでここで目を逸らしてしまったら、僕らを包むこの不安定な空気が、飛散してしまうとわかってるかのように。


 たゆたっている。今、僕らの間にあるものは、不安定を極めている。

 それは、ふとしたことで消えてしまう。

 消えた先には、いつもの楽しい日常がある。喜びと笑いが溢れた景色。

 

 しかしそれを消さず、確定させたなら、そこに待つのは非日常。

 今までとは違う世界の入口が、そこにはある。

 ダクタは、そこへ進もうとしている。僕と。


「…………」


 ダクタは僕から目を逸らさない。

 赤と青の瞳で、見つめてくる。


「…………」


 だから僕も、ダクタから目を逸らさない。

 しっかりとその目を見て、答える。



「――仰せのままに」



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