第021話 ダークエルフのなぐさめ


 8月2日。

 相変わらず暑い夏の日。

 僕は自分の部屋で、机に向かって勉強をしていた。夏休みの宿題だ。

 

 まだ夏休みは序盤も序盤。だと言うのに、僕は早くも宿題に手を付けている。

 我ながら殊勝な心掛けだと感心するが、もちろん理由はある。

 異世界――〝スノリエッダ〟。僕は昨日、初めてそこに足を踏み入れたのだが、正直に言って楽しすぎた。それ故に、危機感を覚えた。

 

 このままでは確実に遊び呆ける。宿題の放置は必至、と。

 なので、まだ完全に心が異世界に魅了されきっていない今、少しでも宿題をやってしまおうと考えたのだ。

 

 今日一日は宿題に費やし、明日、スノリエッダへ行く。人間とは単純なもので、目の前にニンジンがぶら下がっていればやる気も出るものだ。

 ということで、僕は宿題をこなしている。まずは数学の計算プリントからだ。


「…………」


 一方、現在僕の部屋にいるもうひとりは、


「りゅうのすけ~、アリカーやろうぞ~、アリカ~」


 完全にぐうたらしていた。


「アリカ~、アリカ~、アリカ~」


 僕の後ろでダクタは仰向けになりながら、畳をばんばんと足で叩いている。

 Tシャツにハーフパンツ姿で、扇風機を独占するダークエルフ。

 なんとも珍妙な光景ではある。


「アリカ~、アリカ~、アリカ~」


 ダクタが先ほどから連呼している〝アリカー〟とはゲームのことだ。レースゲームで、〝ロクヨン〟と呼ばれる数世代前の家庭用ゲーム機のソフト。ちなみに、前に押入れから消え去るという壮絶な経験をしたのが、この〝ロクヨン〟だ。


「ひとり用で遊べばいいじゃないか」


 レースゲームなので、もちろん一人用モードはある。


「こんぴゅーたー強すぎるんじゃー、いっつもビリになるんじゃー」


 事実、現在テレビ画面には負けを意味する〝YOU LOSE〟という文字がでかでかと映っている。かれこれ、これで20連敗くらいだろうか。


「僕とやっても、ダクタ勝てないじゃないか」


 ダクタは飲み込みが恐ろしく早く、めきめきと腕を上げている。とはいえ、まだまだ僕には勝てない。


「りゅうのすけ相手なら負けても楽しいんじゃよ~」


 嬉しいことを言ってくれるが、僕には僕でやることがある。


「……宿題、やらないとダメだって言ったろ」

「ケチ~」


 口を尖らせ、ダクタは上体を起こしてあぐらをかいた。投げ出されていたコントローラーを手に取り、〝コンティニュー〟を選択する。

 僕も僕で宿題に戻るのだが、


「りゅうのすけ~、このカメのやつは魔王なのか? ツノあるしトゲトゲしておる。それに悪人面じゃ」

「ボスだね。魔王……だったか忘れたけど、似たようなものだと思う」

「ほーん」


 キャラ選択画面と睨めっこしているダクタ。


「魔王のぉー……そういえば余の世界の魔王共も、みんな悪ぶっておったのぉ」


 思い出すように言った。

 ……その話、すごく気になる。めちゃくちゃ深掘りしたい。

 リアル魔王の話なんて、そう聞けるものじゃない。

 しかも〝魔王共〟ってことは、複数いるのか……気になる。

 が、ここは我慢だ。少なくとも、今日は我慢だ。


「…………」


 僕は課題プリントに意識を集中させる。プリントは全部で10枚。まだ2枚目しか終わっていない。


「りゅうのすけ~、窓開けてええか~?」

「…………」

「りゅうのすけ~、窓~」

「…………」

「まどのすけ~」


 そこ略すっておかしいよね。


「……30センチだけだよ」

「わかっておるよ~」


 ダクタは仰向けに倒れ、そのままころころと窓の方へ転がっていく。ちらりとテレビ画面を見ると、そこには〝YOU LOSE〟の文字が。


「30センチなぁ~30センチ~」


 ダクタは既に20センチほど開いていた窓を、慎重に広げていく。


「それにしても、おぬしの成長はめざましいのぉ~。まさか魔法を使えるようになるとは。さすがは余が認めた男じゃ!」


 ダクタには既に、僕が押入れ召喚できるようになったことは話してある。が、話してあるだけだ。というのも、昨日はさんざんはしゃいだ結果、気がつけばもう辺りはすっかり暗くなっていた。


 疲労困憊だった僕らはそのまま部屋に戻り、昼まで爆睡してしまったのだ。

 しかし無理もないと、自分でも思う。昨日は本当にいろいろあり過ぎた。

 異世界に飛ばされ、原因を検証、ダクタの家に行き、今度は空を飛ぶ、魔物に遭遇し、数々の魔法を目の当たりにし、自分にもそれが発現する。

 

 これが1日で起きた出来事だ。めちゃくちゃ疲れてもしょうがない。

 そして、今日。目が覚めると時刻は12時を回っていた。のそのそと起き出した僕らは一度スノリエッダへ行き、おばあさんに挨拶してきた。その後はすぐ戻ってきて、僕が作った焼きそばをふたりで食べた。


 昼食中に僕は思い出したように、押入れ召喚について話した。

 最初ダクタは驚いていたが疑うようなことはせず、信じてくれた。ダクタは実際に見せて欲しいと言ったのだが、たぶんそれをすると確実に今日一日が潰れるので、やはり明日にしようと待ってもらった。


「しかし、順調に押入れも強化されていくのぉ」


 ゆっくり窓を開けていくダクタ。

 僕が押入れ召喚できるようになって、この1K押入れにも変化が起きた。

 

 今までは窓や扉など、外との繋がりは10センチしか許されなかったが、それが30センチに拡大したのだ。これは大きい。30センチともなれば窓の三分の一は開けられる。風通しは劇的に改善だ。

 

 この調子なら、いずれは全開に窓を開けられる日も来るのかもしれない。


「そーっと、そーっと……もうちょい、もうちょい、もうちょ――」


 その時、限界チャレンジをしていたダクタがすっと消えた。


「…………」


 一気に部屋は静かになり、聞こえてくるのは扇風機の駆動音と蝉の鳴き声。


「……あ、そうか」


 僕はダクタが開けた窓を、ほんの少しだけ閉めた。3センチくらい。

 すると、


「――じゃ!」


 バンッと押入れが開き、ダクタが現れた。


「33センチくらい開いてた」

「くっ、そんくらいサービスしてくれてもええのにな……」


 恨めしそうに言いながら、ダクタは定位置(扇風機の前)に戻った。


「…………」


 僕も僕で宿題を再開だ。


「…………」


 ……ぺた。


「…………」


 ……ぺた。


「…………」


 ……ぺた、ぺた。


「…………」


 ……ぺた、ぺた、ぺた。


「…………」


 背中に感触。これはたぶんダクタの足だ。

 ちらりと後ろを見ると、寝転がったダクタが足をぱたぱたとさせて、僕の背中にスタンプしている。ただ視線は僕ではなく、押入れの方を向いている。


「……りゅうのすけー、押入れのやつなー、こっちじゃ使えんのかー?」


 ぺたぺたと僕の背を足踏みしながら、ダクタが言った。


「ダクタがこっちじゃ魔法使えないんだし、僕も無理じゃないか?」

「じゃけど、ここはおぬしが主となっている空間じゃからなぁ」


 だから僕なら使えるのでは? ということか。たしかに筋は通っている。


「……やってみるか」


 僕は立ち上がり、勉強道具を広げていた折りたたみテーブルを部屋の脇へ移動させる。そして昨日と同じように、念じてみた。


「…………」


 変化なし。


「…………」


 さらに強く、押入れをイメージする。


「…………」 


 やはり変化なし。


「……ダメっぽい」

「もっとこう、本気でやるんじゃよ」


 本気と言われても、けっこうガチで念じてはいるんだが。


「……ッ」


 眉間に皺を寄せ、力強く念じてみる。

 押入れよ、来い、と。

 しかし、やはりなにも起こらない。


「ダメだな。やっぱり、僕もこっちじゃ使えないんじゃない?」

「んー。じゃがこの部屋が特異空間になっておるのは違いないからのぉ。余はなんとかなりそうな気がするんじゃよなぁー」


 そう言われても、出ないものは出ないっぽいのだ。


「前にも言ったがの、魔法っていうもんは、最初の初っ端は不安定だったりするのが多いんじゃ。じゃからな、やっぱり気合いをこうガツンと込めるんじゃよ」


 気合い、ねぇ……。


「……うぐぐぐ、ぬぐぐっ」


 僕は両手を合わせ、まるで滝行をする修行僧のように唸る。


「が、がんばるのじゃ! じゃ! じゃ!」


 ダクタも拳を作り、固唾を呑んで見守る。


「ぐぐぐっ、ぐぐぐ……」


 そして、


「――出ろッ!」


 その言葉に呼応するように押入れが出現――はしなかったが、代わりに部屋にある押入れのふすまが、すすーっと開いた。


「…………」

「…………」


 僕とダクタの視線が押入れに集まる。

 押入れの中にはもちろん誰もいないし、なにもない。

 ひとりでに、ふすまが開いたのだ。


「……閉まれ」


 すすーっとふすまが閉まった。


「……開け」


 すすーっとふすまが開いた。


「…………」

「…………」


 僕とダクタは顔を見合わせる。


「…………」

「…………」


 気まずい沈黙の末、


「べ、便利そうな魔法じゃな! う、うむ!」


 伝わってくる、どうにかして励まそうとしているダクタの心遣い。

 それが逆に、心底いたたまれなかった。


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