異世界・押入れ編

第008話 ダークエルフとあいすきゃんでぃ

 8月1日。

 夏真っ盛りで、いよいよ暑さが本格的に牙を剥いてきた。

 こんな時だからこそ外で遊んだり、スポーツを楽しむ人は多い。僕もそれは理解できる。しかし、やはり暑いものは暑い。


 エアコンをガンガンに効かせた部屋で漫画を読んだりゲームをしたり、インドアを貫くことも僕は夏の楽しみだと思っている。というか暑いので外に出たくない。

 しかしそんな至福の時間を過ごすには、エアコンが、クーラーが、冷房装置が必須だ。そして、僕の部屋にはそれがない。ないのだ。


 僕の部屋だけではない。僕が暮らす学生寮の各部屋には、エアコンが付いていない。なんでも電気容量が云々、ブレーカーが落ちる云々、金がない云々で、悲しいことに生徒の部屋にエアコンはない。


 だからなのか、この学生寮の生徒は夏休みになると大半が実家に帰る。血気盛んな高校男児でも、やはり夏の暑さには勝てなかったらしい。

 そんなこともあり、もしこの寮で夏を乗り切るのなら、扇風機に全てを託すしかない。僕の命運は、扇風機先生に掛かっていると言っても過言ではないのだ。

 だというのに、


「あー、あー、暑いのーーー……干物になるんじゃぁ~~」


 その命を潤す風は、とあるダークエルフによって独占されていた。


「ダクタさん、そこにいると僕に風、こないんだけど」


 六畳間で暑さを凌ぐ、高二男子とダークエルフ。


「しょうがないじゃろ~~暑いんじゃから~~~」


 そのダークエルフ――ダクタは、扇風機の前に陣取り動く気配がない。顔面に風をぶち当てながら、『あ~あ~あ~』と声を震わせている。微笑ましい光景ではあるが、やはり暑いのだ。今この場において、扇風機の独占は許されない。


「せめて一歩下がってさ、首振りモードにしてよ」


 ダクタは僕が貸したTシャツと、学校指定のハーフパンツを着ている。なかなかに涼しい格好ではあるが、それでも暑さはろくに軽減されていないようだ。


「くるくるするやつじゃとなー、風が当たらんくなった時に、倍暑く感じるんじゃ。じゃからあれは嫌じゃ」


 その気持ちはわからなくはない。僕も首振りモードはあまり使わないし。


「……髪、挟まれないように気をつけなよ」


 普段は僕ひとりで使っていることもあり、扇風機に被せる安全ネットなどない。


「髪~? おぉ! ここに入り込んだら、ぐるんぐるんなりそうじゃなー」

「指、入れない」

「わはは! 嘘じゃ嘘じゃ。……あっつい……」


 もはやはしゃぐエネルギーも切れたとばかりに、ダクタは手に持っていたアイスキャンディーを咥える。僕も同様に自分のものをひと舐め。


「しかしのぉー、りゅうのすけの世界の甘味料はすごいのぉー。こんなに美味い氷飴があるとはのぉ~」


 ぺろぺろとアイスを舐めるダクタ。アイスが気に入ったらしい。


「食いものはめちゃ良さそうじゃなー。じゃけどのぉ、暑すぎるんじゃ……」


 おそらくダクタの感じる暑さは、高温に加え、多湿なのも大きいだろう。どうやら日本の夏は、異世界よりもきついらしい。なにも誇れないが。


「せめて窓が開けられたらな」

「それはダメじゃ。開けたら余、あっち戻るし」


 そう、今現在、僕の部屋の窓は閉め切られている。エアコンが付いているならともかく、扇風機のみの環境だというのに窓は開けていない。

 

 その理由はダクタが言ったとおり、世界の繋がりを維持するためだ。

 繋がりは最初、押入れのみだったが、ダクタの奮闘もあり範囲は拡張された。

 今は僕の部屋を押入れ扱いとし、ダクタの世界と繋げている。


 しかし押入れの時の制約は健在で、窓や扉を開ける際は注意が必要になる。玄関扉ならキッチンと居室の扉を閉めていれば開閉できるが、居室の窓を開ける場合、ダクタは押入れかキッチン側にいないと元の世界へ戻されてしまう。


「でも実験したらさ、10センチなら大丈夫だったよ」

「うむむ、まぁたしかにそうじゃが……」


 晴れて押入れ認定された悲しき僕の1Kルームだが、そのカラクリはできる範囲で調べる必要があった。もっとも、この部屋にダクタがやって来たのは昨日のことだし、いろいろあったのでそこまで詳しいことはわからなかったが。


 その中でもわかったこと、それは今回の繋がりは前よりも強力になっているということだ。単純に範囲も拡張しているし、耐久力? みたいなものも向上している。

 具体的には、たとえば居室にある窓の場合、ぴったり閉めていなくても世界の繋がりは保つということだ。もちろん許容範囲は10センチ程度なので、人の出入りなど到底できないが。


 その結果に最初こそ驚いたが、考えてみればおかしいことでもない。最初の押入れにせよ、閉め切っていると言っても完全なる密閉空間だったわけではないのだ。

数ミリ以下とはいえ、隙間は絶対にあったはずで、前の時から許容範囲は存在していた。それが全体の範囲拡張に伴い、増えただけ。単純な話だ。


「なにより電気が使えるのは大きい。というか、これ無理だったらずっと停電生活だった……」


 押入れの時は世界が繋がっている間、あらゆる電子機器の使用が不可能だった。

 しかし今の1K押入れでは、電気水道ガスは問題なく使えている。これにはただただ安堵するしかない。よほど古代魔法とやらが、前より強力になったのだろう。


「じゃけど余は魔法やっぱ使えん……」


 これは僕の仮説だが、繋がっている時の環境が〝より僕の世界に近づいた〟から、電子機器の制限などがなくなったのではないだろうか。逆に言えば、ダクタの世界にあるどこかに寄せれば、電子機器は使えなくなり、魔法が使用可能になるのではないかと。想像の域を出ないが。


「まぁさすがにこっちで魔法ぶっ放すのはまずい」


 そう考えると魔法は使えないままの方が安心……なのかもしれない。


「ぐぬぬ……いつかは絶対にこっちでも使えるようにしてやるのじゃ」


 ……恐ろしいことを言っている。でもその時には、ダクタもこの部屋から出られるようになっているかもしれない。……そう思うと満更嫌でもない。


「……ちょっと、ちょっとだけじゃぞ……」


 ダクタは四つん這いになり、慎重に窓を開けている。


「……ダメじゃ! こんな隙間じゃ風、ぜんぜん入ってこん!」


 どうやら10センチでは、涼しさは得られなかったようだ。


「ちくしょうめぇ……」


 不服そうにダクタは扇風機の前に戻った。そんな様子を僕はただ見ていた。すると僕の視線に気づいたのか、


「ん? どうかしたのか……?」

「いや、見てるだけでも楽しいなって」


 僕にとってそれは暑さすらも忘れられる、楽しいことだ。


「じゃ、か、ら、」


 が、ダクタはやはり不服そうで、


「恥ずいからずっと見るでないわ!」


 座ったまま勢いよく、僕の方へ倒れ込んできた。胡座あぐらをかいていた僕の足に、ダクタが仰向けで重なる。


「……こうなると、もっと見ちゃうけど?」

「はっ! ぬかった!」


 口ではそう言うが、ダクタは僕の足の上から動こうとしない。アイスを咥えながら、僕のことを見つめる。当然、そうなれば僕もダクタを見つめることになる。


 ダクタ・デクアルヴ。褐色の肌を持つダークエルフ。

 艶やかな黒い髪は、触れているだけで心地良い。ダクタは混血なのでやや先端が尖ってこそいるが、僕の想像する〝エルフ耳〟ではない。でも、髪から覗かせるその耳は、いつ見てもかわいい。


 そして瞳。左が青、右が赤の、いわゆるオッドアイだ。ダクタは薄気味悪いと自嘲し、コンプレックスのようだが、僕はそう思わない。どんな宝石よりも綺麗に見えるし、なにより格好いい。


「……感想、言っていい?」

「……ダメじゃ」

「どうして?」

「絶対、恥ずいから」


 だったらこんな倒れ込まなければよかったのに、と思うが、このライヴ感を貫く感じこそがダクタなのだ。


「……ちょっと、持っておれ」


 ふと、ダクタが咥えていたアイスキャンディーを僕に差し出した。僕は右手に自分のアイス、左手にダクタのアイスを持つ形になる。完全に両手は塞がった。一方で両手がフリーになったダクタは、そっと僕の両頬に手を伸ばす。


「…………」

「…………」


 ダクタの手は、とても熱かった。きっと夏の暑さのせいだ。その瞳が熱を帯びているのも、夏の暑さのせいだ。


「……アイス、溶けるよ」


 言っただけ。本当にただ言っただけの言葉。

 気持ちもなにも乗っていない、ただ口から出ただけの言葉。

 だって、僕の気持ちはとっくに別のところへ向いているから。

 ダクタと、同じところへ。



 ――結局、アイスは溶けてしまった。




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