第009話 ダークエルフにいってらっしゃい

 僕の部屋が1K押入れに変貌したのが7月31日。

 その日の昼過ぎから今の今まで、ダクタはずっと僕の部屋にいる。時間にすればちょうど24時間くらいだろうか。


 結局のところ、いつまでダクタはここにいるのだろうか。いや、いくらいてもらっていいし、それは大歓迎なのだが。

 そんなことを考えていると、


「あ、そうじゃ。余、一回あっち戻らんといかん」


 ダクタが言った。


「用事?」

「うむ。大事な用があるんじゃ。じゃけど、終わったらすぐ戻ってくるからの! そしたらまたずっとこっちおるからな!」 


 なら夕飯の準備でもしているか。ここは学生寮なので食事の心配はないのだが、それは僕に限った話だ。部外者であるダクタの分はない。しかし幸い、各部屋にはキッチンがあるので、自炊もやろうと思えば可能だ。


「っと、そうだ。服、持ってくる」

「おぉ、そうじゃった! おぬしのこれも着心地はよいがな、あっちで汚してしまっては申し訳ないからの」


 僕としては問題ないのだが、単純に外を歩くには今のダクタの格好はラフ過ぎる。なにせTシャツ1枚と学校指定のハーフパンツのみ。さすがに『ちょっとコンビニへ』くらいならともかく、異世界ともなるとダメだろう。たぶん。


「はい着替え」

「おぬしは綺麗に服を畳むのぉ」


 僕から衣服を受け取り、ダクタは手早く着替えた。


「……やっぱり、魔法使いっぽくないな」


 昨日も抱いていた感想だが、やはり同じことを思った。

 僕の想像する〝魔法使い像〟はトンガリ帽子、杖、ローブ、箒とかそんな感じ。

 だが、ダクタはそれとはまったく別物だ。


 銀色を基調として細部に金の刺繍などがある、どこか制服にも見えるノースリーブの上着と、およそ魔法使いには似つかわしくない、ホットパンツみたいなのを穿いている。さらに首には黒いチョーカーもあるし、頭には銀のティアラ。


「ばりばり近接戦闘やりますオーラ出てる」


 少なくとも、僕の世界でこれは魔法使いの正装とは呼べなそうだ。


「うむ、余はどの距離でも戦えるぞ! 天才魔法使いじゃからな!」


 僕ら基準だと『それってもはや勇者じゃね?』って感じなのだが、まぁダクタの世界の常識はそうなのだろうと深くは突っ込まないでおく。


「では、いくかの」


 着替えたダクタは窓に手を掛ける。


「……待った」


 そこで僕は思い出した。


「靴、履いてない」

「うん? ……おぉ、そうじゃった! 忘れておったわ!」


 ここは室内なので、当然のことながら今のダクタは素足だ。


「では……ほいっ!」

「……ほい?」


 なぜか両手を上げ、万歳ポーズのダクタ。


「こうしたほうが持ちやすいじゃろ?」

「……なにゆえに?」

「え? じゃって、おぬしの世界は土足で家に入っちゃダメなんじゃろ?」

「いや、まぁ……」


 世界というより国だけど。しかしそれにしたって意味がわからない。


「それとその万歳は、どういった関係が?」

「鈍いのぉ、おぬしが余を抱きかかえて、そんで持って窓を開ければ、部屋を汚さずに繋がりを解除できるじゃろうて」


 なるほど。そういうことか。たしかに名案――ではない。


「……普通に玄関から出ればいいのでは?」

「…………」

「…………」

「……ちっ」


 ちっ!? なぜ舌打ちがそこで。


「はいはい、わかったわかった。そうしますよじゃ」


 ダクタは頬を膨らませている。かわいいのだが、いかんせん意味がわからない。……と何度も心の中で言い訳するが、そこまで僕も鈍くはない。ただ、やっぱり僕だって恥ずかしいことはあるんだと、今日のところは勘弁してもらう。


 ダクタの靴は玄関に置いてある。膝上まであるロングブーツで、やはりこれも魔法使いぽくない。

 ダクタ曰く、身に付けている衣服等は全て手作りだそうだ。魔力と融和性の高い素材をふんだんに使い、制作の過程でも常に魔力を注ぎ込んで作ったという。


なので物理的な強度はもちろん、耐熱、耐寒、さらに魔力耐性なるものも極めて高い、スペシャル装備なのだと自慢していた。しかし残念ながら、こっちの世界ではそれらの効果は無効化されてしまうようで、ただ丈夫なコスプレ衣装でしかない。


「ではの……」


 ブーツを履いたダクタはノブに手を掛ける。世界の繋がりは外部との出入口が開放されることで解除されるので、玄関でも有効だ。むしろ普段はこっちのほうが気をつけないといけない。来訪者はいつだって突然来るわけだし。


「いってくる」

「いってらっしゃい」


 何気なく僕は言ったのだが、


「――――ッ」


 ダクタが固まった。


「――……」


 そして俯いてしまう。今度は本当に意味がわからない。


「……ダクタ?」


 具合でも悪くなったのだろうか。


「……誰かにな、送り出してもらうのは……500年ぶりじゃ」


 顔を上げたダクタは微笑んでいた。その瞳は涙で滲んでいる。


「……ばーばがいなくなってからな、もうずっと聞いておらんかった……」


 ダクタは祖母が亡くなってから300年眠って、起きた後も200年間、ずっとひとりだった。挨拶というのは、それを向ける、向けられる〝誰か〟がいてこそ挨拶なのだ。ダクタはそれすらも、ずっとできなかった。


「じゃけど、やっぱり、誰かに見送られるのは、いいもんじゃな……」

「……これから、何度だって言うよ。いってらっしゃいって」


 その〝誰か〟に僕はなりたい。


「りゅうのすけ……」

「だから、これからも――」

「今すぐ押し倒してよいか?」

「……ん?」


 僕の思考停止するさなか、ダクタがじりじりと近づいてくる。あれ、さっきまでの儚くて優しい空気が吹き飛んでいるんですが。


「だ、ダクタ、用事、いいの?」

「…………」

「ダクタ!」

「わ、わかっておる! 冗談じゃ、冗談!」


 その割には、とても焦って見えるのは気のせいだろうか。


「余はすぐ戻る! そしたら『ただいま』って言うからな、『おかえり』って言うんじゃぞ! 絶対じゃぞ!」

「おかえり!」

「だあああああああっ! 今ではないわ! 帰ったらじゃ!」


 ダクタが吠える。ぽかぽかと僕を叩いたかと思えば、


「うぅ……500年ぶりの『おかえり』が……」


 無茶苦茶落ち込んでしまった。その消沈っぷりはすごいもので、よほど楽しみにしていたようだ。僕の中で罪悪感が膨らんでいく。


「ごめん、ダクタ」

「いや、ええ……。じゃけど、これからもたくさん言うてもらうからの。おかえりも、いってらっしゃいも、おはようも、おやすみも、全部じゃ」

「あぁ、わかった」


 僕のそのつもりだ。

 ダクタもそれで満足したようで、晴れやかな笑顔を見せた。


「では、いってきますじゃ!」

「いってらっしゃい!」


 ダクタがノブを回し、扉を開く。

 これで僕とダクタの世界の繋がりが解除される。一瞬だけ視界がブレるように歪み、そしてすぐに晴れる。

 僕もこのまま夕食の買い出しにでも行こうか、そう思ったのだが、


「……?」


 眼前に広がる光景を見て、完全にフリーズした。

 ダクタだ。ダクタがいるのだ、目の前に。


 僕が佇むここ。ここは間違っても僕の部屋ではない。

 空は澄み切った青、地は豊かな緑溢れる、見知らぬ場所。


 そして僕を指差し、驚愕の表情を浮かべてわなわなと震えているダクタ。

 それらが意味する答えはひとつ。


 僕は、異世界に来てしまった。


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