第004話 ダークエルフとおしゃべり

 7月21日。

 僕は六畳間の真ん中に置かれた折りたたみテーブルの周りを、ひらすら回っていた。約束の時間までは余裕がある。しかし、どうしてもそわそわしてしまう。


 昨日、押入れに入った時間はあまり覚えていないが、出た時刻は15時だった。

 ダクタは『この時間に』と言ったが、正直もう我慢できなかった。まだ14時50分で約束の時間には少し早いが、それなら中で待っていればいい。


「…………」


 僕は押入れのすぐ目の前に、目覚まし時計を置いた。中に入れると動作しないが、ここに置いておくとふすまを開ければ時間を確認できる。我ながら妙案だ。


 そして僕は押入れに入り、ふすまを閉めた。

 ふっと、音が消え、臭いが消え、暑苦しさも消えて、わずかな光も消える。

 闇というよりは、無に近いかもしれない。今この押入れは、超常的な現象に支配された空間に変化している。ダクタの世界と繋がったのだ。 


 声も聞こえてきた。ダクタの声だ。どうやら僕よりも早く待機していたらしい。

 が、様子が変だ。

 聞こえてくるのは、すん、すん、すん、と鼻をすするような、か細い声。


「……ダクタ?」

「――!! りゅうのすけか!?」

「あぁ――んっ!?」


 直後、僕は押入れの壁に背中をぶつけた。ダクタがほとんどタックルに近い形で、僕の胸に飛び込んで来たのだ。ダクタは薄着だった。たぶん昨日と同じだ。お互いの上半身が密着しているので、ダクタの温もりが伝わってくる。熱い。すごく熱い。


 僕の顔のすぐ下にダクタの頭があって、太陽の匂いがする。すごくいい匂いだ。ダクタは想像よりもずっと大人っぽい身体をしていて、状況が状況なら僕は自分を抑えることができなかったかもしれない。そう、状況が状況なら。


「……ダクタ?」


 興奮なんてしない。ダクタは震えていたからだ。


「その身に、なにかあったのかと……」


 僕の胸に顔をうずめたまま、ダクタは言った。


「……ダクタ、いつからここに?」


 ダクタの肩に触れる。抱き寄せることもできたかもしれない。でも、こんな隙と弱さを見せているダクタにはできない。僕はそっとダクタの身を離した。


 話を聞くと、どうやらダクタはずいぶん前から押入れの中で待っていたらしい。

 自分で言った『この時間』というのが、出会った時刻なのか、別れた時刻なのか、その判断ができなくて不安になってしまったそうだ。そして押入れの仕様上、相手との確認ができないので、入れ違いを避けるために長時間、中で待っていた。 


「……落ち着いた?」

「うむ……情けない姿を見せた」


 ダクタは僕の隣に座っている。


「ごめん、もっと確認しておくべきだった」


 非は僕にもある。昨日の別れ際、僕はダクタの言葉で平静を乱していたため、逃げるように押入れを出てしまった。


「悪いのは余じゃ」

「いや、僕だよ」

「余じゃ」

「僕だよ」

「余じゃ!」

「…………」

「…………」


 沈黙。


「……ふふ」

「……わはは」


 思わずふたりで笑ってしまった。それからも少しの間、沈黙が続いたが、決して嫌ではなく、むしろどこか優しい時間が流れた。


「……?」


 ふと、肩になにかが当たった。たぶんダクタの肩だ。


「…………」


 まただ。ぽん、ぽん、とまるでメトロノームのように、一定のリズムで僕にぶつかってくる。


「…………」


 僕も無言で、それに合わせてみた。


「……!」


 声こそ出さなかったが、ダクタが喜んでいることはよくわかった。ぽーん、ぽーん、と僕たちは肩をぶつけ合った。まるで子供のじゃれ合いだと微笑ましく思っていたのだが、


「……いや、ちょっ」


 次第にダクタの当たりが強くなってきた。


「ほれほれ! わはは!」


 それが加速度的に威力を増していき、もはやタックルとも呼べる代物に進化しつつあった。既に僕は肩をぶつけるのをやめ、踏ん張るのに必死だ。


「だ、ダクタさ――」

「わはははははははは!」


 僕は自身のライフポイントが着実に削られていくのを感じ、思わず後ろに身を反らせてしまった。


「おっ?」


 ターゲットロストにより、ダクタの(ほぼ)タックルが不発に終わる。

 しかし、


「――ふごッ」


 代わりにダクタの頭部が僕の顎にクリーンヒットした。の、脳が揺れる。


「いてて、うむ? りゅうのすけ? どうかしたか?」


 僕は押入れの壁に背を預け、歯を食いしばる。最高に格好悪いので、悟られぬよう、静かに呼吸を整えていく。なので、あぐらをかいた僕の足の上に倒れ込んでいるダクタの、いろいろな感触に心を乱される暇もない。


 そして僕のライフポイントが回復する頃には、ダクタも落ち着いていた。


「確認不足、ふたりが悪かった、ということで」

「うむむ」


 あくまで悪いのは自分だと、ダクタは両成敗の判定には不服のようだが、なんとか納得してくれた。

 それからの僕たちは、他愛ない話をひたすら続けていった。


 ダクタのいた世界――〝スノリエッダ〟のことも気になったが、それ以上に僕はダクタのことが知りたかった。なにが好きで、なにが嫌いなのか。どうでもいいようなことも、知りたかった。でも、それ以上にダクタも僕のことが知りたかったようで、終始僕が答えていた。


 なにせ僕が1の質問をする前に、10の質問が飛んでくるのだ。気づけば僕は、自分語り大好きマンみたいになっていた気がする。気がするというのは、最後の方のことはよく覚えていないからだ。


 なぜなら、僕は寝てしまったのだ。


「…………」


 目が醒めて、眠る前のダクタとのやり取りを思い出し、意識を整理していく。


「……?」


 左肩に重みを感じた。耳を澄ますと、可愛らしい寝息も聞こえてくる。できれば起こしたくはない。しかし、こんなところに置いていくわけにもいかない。なにより、昨日のようなことになるのは嫌だった。


「……ダクタ」


 だから僕は気後れこそしたが、ダクタを起こすことにした。


「うにゃ? なんじゃ? ……ん? 真っ暗じゃ……まだ夜かえ?」


 眠りからは覚めたが、まだダクタの意識は半覚醒だ。なので遠慮なく、ぐっと僕に体重を掛けてくる。重さよりもとにかく、感触がいけない。これはいけない。


「ダクタさん、起きてくださいな」

「変な夢じゃな。余を起こす者など、もう世には存在せんじゃろうて……むにゃ」

「ほらほら、こんなとこで寝たらバキバキになるよ、身体」


 実際、僕は身体中に疲労が蓄積しているのを感じていた。立ち上がって伸ばしたら、さぞバキポキ鳴るだろう。相当これは凝っている。


「んんん……ん?」


 起きたようだ。


「りゅうの、すけ? これは、りゅうのすけか?」


 まるで僕の存在をたしかめるように、ダクタは僕に触れる。


「おはよう、ダクタ」

「………」


 精一杯のポーカーフェイスならぬポーカーボイスでがんばる僕だが、なぜかダクタは沈黙している。

 そして、


「や、やってしもうたあああああああああ!」


 声を上げた。


「寝てしもうた! 寝てしもうた! せっかくりゅうのすけとおったのに!」

「ここ暗いから、疲れるとすぐ寝ちゃうね」

「うぅ……」


 露骨に落ち込んでいる。そこまで落ち込むことなんだろうか。


「今日は……たぶんもういい時間かもしれないけど、明日がある」


 夏休みはまだまだ続く。時間はたっぷりあるのだ。


「明日……。明日も、またここに来てくれるか?」

「来るよ。時間は……今度はちゃんと決めよう。えっと、今……何時だ?」


 僕はダクタに断りを入れて、ふすまを開ける。押入れの前に置かれた目覚まし時計は、午前1時を指していた。どうやらがっつり寝てしまったようだ。 

 時間を確認した僕はまた押入れに入り、ふすまを閉める。


「こっちだと今は真夜中だ。そっちは?」

「こっちも同じようなもんじゃ。夜も更けておる」


 お互いの世界の時間も似たような感じ。なら、


「明日、というか今日は12時間後くらいにしようか? 押入れ集合」


 既に日付が変わってしまっているために今日の昼過ぎ、ということになる。


「……う、うむ」

「……ダクタ?」

「え、あっ……い、いや……なんでもない」

「……?」


 こういう時に表情がわからないのは不便だ。女の子のわずかな機微を感じ取れない自分が歯がゆい。ただ、ここで無理に聞くのも野暮……だと思う。たぶん。


「……じゃ、今から12時間後に、また」


 とにかく今回は、ちゃんと再集合の時間は決められた。昨日よりは断然マシだ。

 今日もぜんぶが上手くやれていたかは、わからない。でも、なら明日はもっと上手くやればいい。明後日はさらにだ。そうやっていけば、きっとダクタとより仲良くなれる。僕は明日が待ち遠しかった。


「……?」


 と、その時だ、ふいにぐっと腕を引っ張られた。


「……半日も待てん」

 

 

 後から思い返せば、たぶん、僕が完全に落ちたのは、この時だったと思う。

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