第005話 ダークエルフのおじかん

 7月22日。

 ダクタと知り合って3日目の朝。時刻は午前6時。

 普段ならまだ布団の中ですやすやしている時間だが、今日は既に起きている。

 もっとも、布団の中にこそいないが、押入れの中にはいる。


「うげぇ、なんじゃこりゃあ……」


 僕があげたコーラ。それを嬉々として飲んだダクタの、第一声がそれだった。

 昨日、というか今日か。午前1時にダクタと別れたが、次に会うのはたった5時間後だった。それがダクタの希望だった。


 なので睡眠時間は4時間と少し。寝覚めは最高に悪くて、まぶたは重たかった。

 目覚ましがてら、外を散歩し、近所のマックでコーラを買った。ダクタがどんな反応をするか、ものすごく興味が湧いたのだ。


「甘い……苦い……しょっぱい……?」


 最初こそぶつぶつ言っていたダクタだが、気づけば無言でずずずーっとストローを吸っていた。どうやらお気に召したようだ。

 押入れに入るまでは正直眠かったが、ダクタの声を聞くと眠気なんて吹き飛んでしまった。たいがいに僕も単純だ。


「そ、それで……ずずず……そっちは……どうじゃ……?」


 僕が食べているのは、ダクタが作ったパイだ。真っ暗なので形はわかりにくいが、たぶんパイだ。〝ナシュララの果実〟をふんだんに使ったとダクタは言っていた。

 味はリンゴとミカンが混ざったような味で、悪くない。なにより、異世界の果実を使った料理には興奮する。その経験は地球上で、きっと僕が初めてだ。


「うまい」

「そ、そうか!」


 すここここーと、もはや氷しか残っていない容器を空吸いしていたダクタだったが、歓喜故なのか、さらにすこここ音は激しくなった。


「ナシュララの実はな、採るのにちょっとコツがいるんじゃ。なので余、がんばって採ってきた!」

「ありがとう」

「えへへ」


 と、そこでダクタは、ようやく飲んでいたコーラがなくなったことに気づいたようで、言葉こそ発しないが露骨に落ち込んでいた。僕が自分の分をあげると、もしかしたらパイを褒めた時よりも喜んで勢いよく吸い始めた。


 朝食を終えると、僕とダクタは昨日と同じように話し始めた。ただ、昨日はダクタのことがあまり聞けなかったので、今日は僕が質問攻めする方向でいく。

 僕だってダクタのことが、もっと知りたいのだ。


「ダクタって魔法、使えるんだよね?」

「うむ! 余は天才じゃからな! めちゃ使える!」

「なにか見せて」

「うっ……前にも言うたが、この中じゃと魔法使えんのじゃ……」

「やっぱりダメなのか」

「すまんのぉ……余も、余のかっちょいいとこを披露して褒めて欲しいのじゃが」

「魔法って……火とか水とか出したり?」

「そうじゃのーそうじゃのー、魔法にはいくつかの種類があってじゃな……――」


 ダクタの話はもちろん、その声も、ずっと聞いていたかった。


「こないだのぉ、家の近くの池でな、釣りをしとったんじゃ」

「釣り? ダクタが? え、趣味?」

「いやまぁ釣り自体も好きじゃが、単純に腹が減っての」

「魔法でぱぱっと捕れないの? 魚」

「わかっとらんのぉ~~、釣りの真髄はな、魚を釣り上げることではない。水面に糸を垂れるその行為そのものなんじゃ。ふっふっふ、おぬしもまだまだじゃな」

「腹が減っていたのでは」


 意外な一面を知れて、嬉しかった。


「釣りと言えばな、前に奇妙な魚を釣ったな!」

「どんな?」

「余の倍くらいの大きさでな」

「でかいな」

「足が100本くらい生えておった」

「きもっ!」

「しかも釣り上げたら、そのまま走って森の中へ逃げおったんじゃ」

「こわっ!」

「余も悔しかったので追いかけたんじゃがな、見失ってしもうたんじゃ」

「追いかけたのか……」

「どんな味だったんじゃろうなぁー」

「喰う気だったのか……」


 驚いて、笑って、もっと知りたくなる。 


「ダクタはひとり暮らし?」

「今はな。じゃがその前は、ずっとばーばとおったぞ」

「ばーば? おばあちゃん?」

「うむ。余の祖母じゃ。ばーばは物知りでな、いろいろ教わったんじゃ」

「魔法とか?」

「そうじゃな! あと家事も畑仕事も剣術も格闘術も教わったぞ!」

「なんというスーパーおばあちゃん」


 どれくらい言葉を交わしたんだろうか。

 でも、まだ足りない。


「ダクタはいつもなにしてるの?」

「いつも? 家におる時か?」

「そう、ひとりの時とか」

「ひとりの……そうじゃな……。散歩しとったり魔法の特訓しとったり、かの」

「やっぱり魔法も特訓とかするんだ」

「そりゃそうじゃ! 何事も日々の鍛錬の積み重ねじゃ!」

「お、年の功」

「……聞こえんのぉ? ん?」

「……すいませんでした」


 文字通り、無我夢中だったんだと思う。


「じゃあダクタは猫舌なんだ」

「熱いものは苦手じゃ」

「ふーふーするの?」

「ふーふーするのぉ」

「なんかこう、魔法で冷ましたりできないの?」

「おぬしは青いのぉ、自分でふーふーするからこそ、より美味しくいただけるんじゃぞ? がんばってふーふーした後のお茶は最高なんじゃ」

「……目的と手段、入れ替わってない?」


 ダクタのことを聞くのはもちろん、他愛ない話をするのも楽しかった。ずっと話していたかった。ダクタが僕のことを聞きたいと言っても、『いや、今日はずっと僕のターンだ』と譲らなかった。


 話して、話して、どれだけ言葉を交わしただろうか。喉が渇いたら僕が飲み物を用意して、腹が減ったらダクタが食べ物を用意して、とにかくずっと話していた。

 

 至福の時間だった。だけど、やっぱり限界はあった。腰だ。いい加減に腰が限界だった。なにせ今は23時を回ってる。朝の6時から、17時間もほぼほぼ押入れの中にいるのだ。腰がやばい。


 寝転がっているならともかく、一畳ほどのスペースに座っているだけ。本当に腰がやばい。座った状態で腰を伸ばす動作の間隔が1分を切った時、僕はこれ以上は腰が完全にアウツだと悟った。


「……ふぅ、ダクタ、そろそろ今日は終わりにしようか」

「……!」

「格好悪いんだけど、腰がやばい。ダクタは大丈夫?」

「あ、あぁ、余は鍛えておるからな……」

「そっか。じゃ悪いんだけど、今日はこの辺で」


 情けないが、今日はここまでにするのが賢明だ。


「それで……明日は、何時集合にする?」


 今日話せなかったことは、明日話せばいい。夏休みはまだ始まったばかりだ。時間はまだたっぷりある。


「そ、そう、じゃな……」

「できれば、明日は昼過ぎくらいがいいな。今日みたいに早いと、起きられないかもしれない」


 そもそも昨日の睡眠も5時間程度だ。腰の違和感のせいで今のところ睡魔の気配は感じないが、一度眠ればそのまま10時間ぐっすりコースも十分にあり得る。


「今の時間が……ちょっとごめん」


 僕はふすまを開き、時間を確認してすぐに閉じた。現時刻は23時15分。


「もう少しで日付が変わるね。なら……今から13時間後くらいはどうかな?」


 それくらいあれば、爆睡からのシャワーを浴びる時間は確保できる。


「…………」

「……ダクタ?」

「えっ? あ、あぁ、そうじゃな……余は、それでいい……」

「……?」


 昨日といい、一昨日といい、ダクタは別れ際になると様子がおかしくなる。だけど、その理由がわからなかった。そして、今日一日でダクタのことをたくさん知ったと思っていたのに、その理由をまったく想像できない自分が悔しかった。


 まだまだ僕はダクタのことを知らない。

 少なくとも、深い部分には入れていない。

 しかしそれでも、進むことはできる。機会はある。

 明日は、これからも続いてくのだ。


「……じゃあ、また明日、ダクタ」

「……あぁ、また明日、りゅうのすけ」


 僕はふすまに手を掛けた。そして世界の繋がりを解除する、その直前で、


「――おぬしに会えて、よかった」


 そんな言葉が背に刺さった。


「…………」


 昨日までの自分なら、そんなことを聞いたら、照れ隠しでそのままふすまを開けてしまっていたかもしれない。だけど、その言葉に載せられた感情、声色、想い、それが僕の手を止めた。


「……ダクタ?」


 返事はない。


「……ダクタ?」


 僕はもう一度呼んだ。ダクタの気配はある。そこにいる。なのに、返事をしてくれない。どうしてだろう。


「……ダクタ、明日も早い方がいい? 僕はそれでもいいけど」


 思い当たるのはそれ。僕は僕の疲労を考えて13時間後と言ったが、もしかしたらダクタはもっと早い方がいいかのもしれない。それこそ今日のように。


「……明日」


 ダクタの声が聞こえてきた。


「……明日」


 だけどその声は、とてもか細く、消え入りそうだった。


「明日は……明日は……」


 そしてダクタは言った。


「――明日はもう……こないんじゃ」


 言葉尻は震え、涙声になっていた。

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