第002話 ダークエルフのおさわり

 ダクタのいた世界は〝スノリエッダ〟というらしい。一方で僕のいる世界だが、考えてみれば名前なんてものはないのに気づいた。なので〝地球〟と言ってみた。逆にダクタの方は住んでいる星の名前が特にないそうで、首を傾げていた。異世界という概念を、社会が認識しているかの違いなんだろうか。 

 

 そして異世界と繋がってしまった僕の部屋の押入れだが、繋げたのはもちろんダクタだった。ダクタは古代魔法というロマン溢れる技が使えるらしく、それで自身の世界と異世界を繋げた。繋がった先が押入なのは想定外だったそうだが。

 

 色々と知りたいことは山ほどあったが、まず僕には確認しないといけないことがある。消えてしまった僕の私物だ。菓子類はともかく、ゲーム機や特に掃除機は困る。大変に困る。快適な夏休みライフを送るためにも、取り戻さねば。


「わからん。どっかいった」


 どうやら買い直す必要がありそうだ。ただそれでも彼女に対して怒りの感情が湧いてこなかったのは、この状況をどこか僕は楽しんでいるからだろうか。

 押入れを繋げたのはダクタだが、どちらかと言えば偶発的に繋がってしまったようで、その仕組みのようなものはよくわかっていないようだった。


 そもそも古代魔法という時点で、ブラックボックス化している部分ばかりなようだが。天才魔法使いとはいったい……うごご。

 ということで、いくつかの実験をしてみた。

 まずは大まかな仕組み。


「長いこといろいろ試したんじゃがな、ぜんぜんダメだったんじゃ。そんでもう魔法に使う古代遺物も少ないし、最後っ屁でやったらな、成功したんじゃ」


 そういえばさっきも、そんなことを言っていた気がする。


「余の家に薄っぺらい扉のついた、狭い物置みたいなやつが生えてきたんじゃ」


 どうやら向こうには、僕の部屋の押入れが出現したらしい。


「上段? 扉を横に開けたら、下に入るとこがあっただけじゃ」


 上段はそもそも存在しないようだ。こちら側の押入れ上段の状況を見るに、繋がってしまったのは下段だけということになる。布団は九死に一生を得た。


「この〝おしいれ〟の扉――〝ふすま〟と言うのか? これをどっちも閉めている間だけ、世界は繋がるんじゃ。たぶん」


 それは先のやり取りからして予想できた。

 さらに詳しく検証してみると、押入れ下段の空間は、〝繋がっている状態〟と〝繋がっていない状態〟で別物のようだ。

 

 つまり、繋がっている時の押入れは、僕の世界とダクタの世界が重なっている状態で、ある意味さらにもうひとつの世界になっている。

 実際、今もこうして中にいるが、本来では聞こえるであろう外の音や、密閉空間故の暑苦しさや臭いも感じない。


 そして〝繋がった状態〟になった時は、それぞれの押入れにの中にある物体が移動する。その際は両者にあった物がぶつかるようなことはないらしく、ずれた座標になる……これは完全に結果論というか、そうであってよかった。もしも座標が重なった際に物体も重なってしまった場合、想像を絶する悲惨な光景が押入れの中には広がっていただろう。


「結果良ければ全てヨシ! じゃな!」


 ……。というか、なら最初に消えた僕の掃除機たちは、完全なる消え損ではないだろうか。それとも、それが世界を繋げる対価だとでも言うのか。それはそれで、なんとも安い対価だ。……僕にとっては、極めて重い犠牲だったが。


 検証を続けてみる。

 気になったのは時間の流れについた。もっともこれも結果ありきになったしまったが、結論から言えば時間の流れに乱れはなかった。

 繋がった押入れの中での経過時間は外と同じだったし、ダクタの世界と僕の世界の時間の流れも同じだった。とりあえずは浦島太郎にはならないようでほっとした。

 ダクタも調べたいことがあるようで、いくつか協力したが、


「魔法使えん! なぜじゃ! 使えんぞ!」


 その結果、押入れの中では魔法が使えないということがわかった。是非拝見したかった僕としては残念だったが、しょんぼり落ち込んでいる様子のダクタの前では口に出せなかった。


 魔法はダメ。ならば僕らの世界にある現代の魔法――科学はどうだろうと試してみたが、電子機器は完全に沈黙した。まぁこれは正直そんな予感はしていた。


「ランプ的な物なら……」


 いけるかもしれないと思った。それこそマッチ棒でもいい。とにかく電子機器ではないものだ。さすがにこのまま真っ暗というのは不便する。懐中電灯が使えないので、なにか代用できる物を買ってくる必要はあるが。


「うぅ……できれば、余はこのままがいい……」


 ただ、ダクタが嫌がった。


「……あまり、肌を見せたくないんじゃ」


 彼女はダークエルフと言った。僕の知識にあるダークエルフ(小説とゲーム知識だが)は黒や褐色の肌を持つエルフで、基本的に悪役をしている場合が多かった気がする。迫害を受けていたりもしていた。あと、お色気担当もしていたり。


「すまんのぉ、りゅうのすけ」

「ダクタがそうしたいなら、それでいいよ」


 強引に言って、この関係が終わるのは嫌だった。たとえこれが夏の暑さで脳をやられた僕の夢だったとしても、正直むちゃくちゃ楽しい。楽しい夢なら、できるだけ長く見たい。


「明かりがないなら、話すことくらいしかできないけど」

「よ、余はそれでもいい! それがいいじゃ! おぬしと……話せれば」

「それで、なに話す?」


 とは言うものの、なにを話せばいいのか。


「ま、まずは」

「まずは?」


 ダクタには考えがあるようだ。ならそれに従おうと思ったが、


「まずは、おぬしに触れたい」

「話す、とは……?」

「い、いや、人に触れるのが久しぶりなんじゃ! じゃから……」

「……僕は、いいけど」


 断る理由はない。……嫌でもない。


「では……いくぞ」


 押入れの中は、一切の光がない完全な闇だ。なので目が慣れるも糞もない。姿形の判別は不可能。ただ、聞こえる声の感じからして、おそらく今ダクタは、僕の方に身体を向けている。


「――ッ!?」


 と、僕は唐突な頬への冷たい感触に驚き、身を引いてしまった。


「わっ、す、すまん!」

「い、いや、大丈夫」


 正体はダクタの指だった。まさか初手、頬、で来るとは思っていなかったので、情けない反応をしてしまった。


「つ、続けても、よいか……?」

「あ、あぁ、もう大丈夫、大丈夫」


 僕は自分に言い聞かせるように、高鳴る鼓動を抑える。


「少しの間、許してくれ」

「…………」


 身構えていると、今度は頭になにかが触れた。ダクタの手だ。両手で僕の頭というか、髪の毛を触っている。


「……綺麗な髪じゃな」

「……見えなくない?」

「触ればわかる、よい髪じゃ」


 まさか髪を褒められる日が来るとは、思ってもいなかった。もちろん特別なことはしていない。


「よく手入れがされておる……」


 現代のヘアリンスすげーということなんだろうか。……コンディショナー? あれ、リンスとコンディショナーの違いってなんだっけ……。


「……おぬしの、髪色はなんじゃ?」 

「黒だけど」


 幸い、若白髪にはまだ遭遇していない。


「そうか! 余とお揃いじゃな!」


 なぜか喜んでいる。ダクタの世界に黒髪は少ないんだろうか。すると今度はダクタの細い指が、すすっと僕の耳に移動する。さすがにこれはくすぐったい。


「……人の、耳じゃな」


 ダクタはぽつりと呟いた。おかしいところでもあるのだろうか、と尋ねようとしたが、できなかった。


「……!」


 ダクタの指が、僕の唇に蓋をするように添えられたからだ。おそらく人差し指が、僕の唇をなぞっていく。こうなると僕は口で息ができない。かといって、鼻息をダクタの指にぶち当てるのも、僕のちっぽけなプライドが全力で拒否した。

 

 なので僕は完全に息を止めている。かなり、苦しい。

 でもその苦しさのおかげで、際限なく湧いてくる別の感情を抑えることができているのは、結果オーライかもしれない。

 ダクタの指が唇から離れると、僕はなるべく荒くならないように息を吸う。めちゃくちゃ苦しかった。

 

 細指は唇から顎、そして首へと垂直に下ろされていく。喉を触れられ、両手で僕の首が掴まれる。ひんやりとした手だった。それとも、僕が火照りすぎてそう感じるのだろうか。でもしょうがない、と僕は自分に言い訳をする。


 なにせダクタが僕の首や喉に触れながら、『太いのぉ』『男のものじゃ』『脈打っておる』『おぉ、今ごくんって飲み込んだな!』などと呟くので、どうしたって正常ではいられない。


「……腕も、おなごとは違うのぉ」


 肩に手を置き、そこから腕を撫でて、僕の手を取った。ダクタは僕の右手首を持ち、自分の右手と合わせているようだ。


「おぉ、やはり余よりも大きいの!」

「……まぁ、男の子だからね」

「ふふふ、そうじゃな」


 ダクタは僕の手を握ったりつまんだり、ひとしきり楽しんだ後、僕の膝に手を置いた。しかし、


「では、ここまで」 


 僕は言った。

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