押入れダークエルフ
本条巧
押入れ編
第001話 ダークエルフとおしいれ
7月20日。
待ちに待った夏休み、その初日。
学生寮の一室。間取りはキッチンと居室が分けられている1Kで、広くはない。
しかし、高校2年の男子が住むにはそれで十分だ。
六畳間の居室には押入れがあり、上段には布団、下段には買い置きしたスナック菓子類や、掃除機、暖房器具、ゲーム機などを入れている。
僕はゲーム機に用があった。
学生の夏休みには夏期課題――いわゆる夏休みの宿題がある。
中には初っ端に片付けてしまう猛者もいるが、大半の生徒は後半も後半にひーひー言いながらやる羽目になる。僕もそっち系だ。
それに、朝からゲーム三昧という誘惑には勝てなかった。
だから僕は、押入れの中のゲーム機に用があった。
「……あれ?」
ふすまを開けると、押入れの中にはなにもなかった。空っぽだ。
「……?」
正確には下段にあった物がなくなっている。上段の布団はちゃんとある。
「……あれ」
僕は一度ふすまを閉め、そしてまた開けた。
「……ない」
ないのだ。ゲーム機どころか、掃除機も暖房器具も、スナック菓子も、友人からもらったプラモデルの箱すらない。どこかにやった覚えはないので、考えられるのは泥棒という線だが、それも怪しい。
菓子類は論外だし、掃除機も暖房器具も中古品だ。ゲーム機は売ればいくらかの金になるかもしれないが、これも数世代前の代物だ。とても売るまでの労力に見合うとは思えない。
「財布は、無事……パソコンも」
六畳間に置いてある折りたたみテーブル、その上にあった財布もノートパソコンも無事だった。さらに言えばTVも無事だ。
「…………」
どちらにせよ、この状況ならまずは盗難届を寮の管理人に出すことが先決なのだが、盗られた物が物なので、危機感はまだ薄かった。
「押入れ、か」
ふと、僕は空っぽの押入れに入った。一畳ほどの広さで、もちろん立つことはできないので座った状態だ。頭はぎりぎりぶつからない。
ふすまを閉めると、押入れの中は真っ暗でやや蒸し暑かったが、悪くなかった。
そして懐かしい。昔は実家の押入れに、よくこうして入って遊んでいた。電気スタンドと漫画を持ち込めばあっという間に秘密基地に様変わりだし、隠れるにも打って付けだ。
「昔の携帯ゲーはバックライトなかったからなぁ……」
そんな思い出に浸っていると、
「……?」
肩に感触。壁ではない。もっと柔らかいものだ。
そして、
「……お?」
声だ。僕のではない。
「……お、お?」
女の声がすぐ隣から聞こえてきた。
「……誰か、いるの?」
まさか
「おう? おうおう!? これは夢か!? まさか繋がったのか!?」
などと意味のわからないことを言っているが、誰かがいるのは確かなようだ。
とにかく知らぬ他人が部屋にいるというのは緊急事態だ。僕がふすまに手を掛けると、泥棒(仮)はそれを感じ取ったようで、
「ま、待て! そこを開けたら――」
声が途切れた。同時に押入れに光が差し込む。暗がりにいたこともあって、なかなかに眩しかった。僕は押入れを出て振り返る。
「……?」
押入れは空っぽだった。中には誰もいない。上段も見てみるが、布団以外にはなにもない。首を傾げつつ、僕はもう一度押入れに入った。まさか座敷童子でも湧いたんだろうか。こんな学生寮の一室に。
「…………」
しばらく待ってみるが声は聞こえない。だけど、あれが空耳とも思えなかった。
「……あ」
思い出した。さっきはふすまも閉めて、真っ暗な状態だったことを。僕は同じ状況を再現するためにふすまに手を掛け、そして苦笑した。
(暑さでおかしくなったか)
この時の僕は一連の自分の奇行を、友人への笑い話のネタができたくらいにしか考えていなかった。とうに卒業したと思っていた中二病が再発したと、面白おかしく笑うネタ程度にしか。
「……ん? んん? んんん!? も、もしや、そこにおるのか?」
だから声がまた聞こえてきた時は、さすがにフリーズした。
「おい、ん? ……あれ? おらんのか? 繋がったはずじゃが……」
「……いるよ。そっちこそ、そこにいるの?」
返事をすると、嬉しそうな反応が暗闇越しにもわかった。
「おる! おる!
……余?
「……いる、けど……キミは誰? 泥棒?」
「泥棒!? ち、違う! 余は盗っ人ではないぞ!」
今度は焦っている。そしてやはり、誰かが押入れの中にいるのもわかった。それもかなりの近さ、というか、隣にいる。気配以前に、彼女がなにかを話すたびに、僕の肩にぶつかってくるのだ。これはたしかに隣に座っている証拠だ。
「余は魔法使いじゃ。あ、天才魔法使いじゃ。天才じゃから、こうしておぬしの世界と余の世界を繋げることができたのじゃ!」
突拍子のないことを言い出したが、それをどちらかと言えば信じる方向で受け止めてしまうのは、先ほど再発した黒い歴史の思春期病のせいだろうか。
「余の得意な魔法は古代魔法じゃ。それで色々とすごいことができるんじゃ!」
「…………」
……信じられる、方向で、まだ。
「人のおる世界に繋がったのは初めてでな! めちゃんこ驚いておる!」
「…………」
なんとか脳内情報を整理していたが、
「……のぉ、そこにおるか?」
ふと、先までと打って変わって弱気な声が聞こえてきた。
「いるけど」
「そうか……」
「……?」
「……相づちは打ってくれ。おらんくなったのかと不安になる」
「ごめん」
僕の存在を確かめるように、彼女の肩が僕の肩に押しつけられる。同時にさらさらとした感触が左腕に。髪の毛だろう。おそらくは長髪。僕がTシャツ姿なのも相まって、その感触はなかなかにくすぐったい。
「……出ようか。部屋で話そう」
真っ暗なここでは話が進まないと、僕はふすまに手を掛ける。
「――あっ」
唐突に声が消えた。テレビの電源が落ちるように、ぷつりと途絶えてしまった。
「…………」
僕はふすまを閉めてみる。再び押入れの中は真っ暗になるが、
「………お、おい、そこにおるの――」
声が戻った。僕はふすまを開けてみた。また声が消えた。
「…………」
僕はふすまを閉める。
「……うぅ、またおらんくなった……ん? おぬし、そこに――」
ふすまを閉めると声が聞こえてきて、
「……なぜじゃ、やはり余のような半端もんには誰も――」
ふすまを開けると、声が消える。ふすまを閉めてみる。
「…………」
が、今度は声は聞こえない。ただ、気配はある。そこに彼女はいる。
「……おるのか?」
「いるよ」
カラクリと言っていいのかわからないが、なんとなく理解した。どうやら押入れを閉め切っている時にだけ、彼女の言葉を借りれば世界が繋がるようだ。もっとも、まだ座敷童子説も僕は捨てていないが。
「ふすまが閉まっている時にしか話せない。で、いいのかな?」
「う、うむ。じゃからあんまり開けんでくれ……」
どうやら正解のようだ。
「……キミのことを話して欲しい」
どちらにせよ、なにか超常的な現象の結果が今のこの状況ならば、正直に言って興味はある。害意は感じないし。
「ほ、ほんとか!? もうどっかいかないか!? 聞いてくれるのか!?」
肩と腕を掴まれ、揺すられる。その声には心配の色が強く出ていて、さっきは実験とはいえ、なんだか悪いことをした気になった。
「聞くよ。……僕は龍之介。
「りゅうのすけ……そうか、そうか! それがおぬしの名か! いい名じゃな!」
「キミは?」
「余はダクタ・デクアルヴ。古代魔法が得意な天才魔法使いじゃ!」
ダクタと名乗った彼女は、続けて言った。ややトーンを落として。
「……余は、ダークエルフじゃ」
こうして僕たちは出会った。
もっとも、その出会い方は空から降ってきたわけでも、曲がり角でぶつかったわけでも、トラックに轢かれた後の世界でもなく、押入れから始まるという奇妙な出会いだったが。
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