Who Said...

 気がつけば青信号だった。

ほんの少しだけアクセルを開けクラッチをなぞると、愛車は少し眠たげな排気音と一緒に前へと進んでいく。ここからのセクションに信号はない。


 ……少しならいいよね? スピーカー越しのジャズ・ボーカリストが、まるでそんな思いを見こしたかのように背中を押した。


「Ah One Ah two...Ah one two!」


──ドラムブレイク。


 ペダルが床に当たる音が聞こえた気がした。途端に感じるのは右肩上がりに跳ね上がるパワーとタービンの弾み。その相乗効果で回転数がみるみる上がっていく。

 

 それは『まだ行ける』と訴えかける高鳴りのようにも聞こえた。ただ、それを感じながらもクラッチを踏み込む。行き場を失ったタービンの慣性がインテークを吹き抜け、派手な音を立ててブースト計がマイナスに触れていく。


 ──無論、限界はまだまだ先だ。パワーバンドを外れぬようにギアチェンジを済ませて左、ゆるやかな右、下り坂を超えた。まもなく最初のブレーキングポイントだ。


 クラッチ、爪先のブレーキに合わせてアクセル。ついでステアを右に。愛車がコーナー内側へ飛び込んでいく。目指したのは立ち上がり重視のライン。再びアクセルを踏み込めば、小さな車体がうなりを上げて必死に地面を蹴る。


 遠くに見える街の光がきらびやかに木々の間を通り抜けていく。……いつの間にか私は笑っていた。こんなの、楽しくないはずがない──。


────────


 そんな楽しい旅も、保って十分。

終点は駐車場だ。駐車場といっても、ひび割れたアスファルトと雑草で覆われた転回場だけど。


 私は車を停めると、少しばかり伸びをして窓を開いた。少し寒いくらいの風と、遠くに見える街の灯り。


 ──来週も頑張ろう。ただ、そう思った。

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