第2話

 冬の終わりが近づく頃、新型コロナウイルスが忽然と猛威を振るい始めた。

 2月より微増の傾向にあった感染者数は、4月に入って急増し、春の陽気を感じる  間もなく緊急事態宣言が発令された。

 マスクの着用や人との距離を保つソーシャルディスタンスという新しい概念が奨励されて、今までの生活が一変することとなった。

 政府や自治体から外出自粛要請が出されて、社会全体に深刻な影響を及ぼし始めた。

 陸は自身が生まれ育った町にあるプラスチック樹脂成形工場に勤務していた。

 小さな町工場で給料も安かったが、無理なシフトに組み入れられることなく残業が少ないことが気に入っていた。

 しかし経済への悪影響は、やがて陸の生活へも影を落とす様になった。

 顧客からの受注減少に伴い稼働停止日が増えた工場は、6月に入り経営状況の悪化が顕著となると、厳しい決断を迫られた。

 人員整理だった。

 その対象となった陸は、政府より支給が決まった定額給付金と同額の10万円のみを渡されて会社を追われた。

 長年務めてきた会社から僅かな手切れ金のみで解雇を言い渡されたことに、陸は複雑な感情を覚えた。

 労働局に相談することも考えたが、経営危機に瀕する会社を相手に金の話をしたところでどうなるとも思われなかった。

 去る者も残る者も皆一様に不安を抱えていた。

 前者は次の仕事にありつけるかどうか。

 後者はいつまで働けるかどうか。

 経営状況の厳しい会社が存続し、今の生活が続けられるといった保証はどこにも無かった。

 新たな門出を迎える者達の最後の1日は、どこか和やかな雰囲気につままれていた。

 今まで協力し合いながら良いことも苦しいことも共にした想いを胸に別れを惜しむ一時が流れた。

 皆互いに辛気臭いものは無くして笑顔で別れたいという気持ちがあった。

 口々に励ましと感謝の言葉を交わし、コロナ後の再会を誓い合った。

 会社から大人数での送別会の類のものは禁じられていたため、一人一人そのまま工場を後にした。

 陸はおよそ10年という長い年月を過ごした薄茶けた工場を正門から見上げて、ぼんやりと流れた月日の早さに多少の驚きを覚えた。

 もうここに戻ることもないし、皆と再び会うこともないだろうと思った。

 聞きなれた加工音も今はすっかり鳴りを潜めた。

 物寂しげな静けさを背にして陸は足早に駅へと向かい歩き出した。

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